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「なぜ生きる」……親鸞聖人の教えを聞き求め、生きる喜びにあふれる声を紹介している、浄土真宗 親鸞会のサイトです。
出遇いから40数年 聞き切りたい、今度こそ 
流転を重ねた過去が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。聞法を再開し、縁ある人にも親鸞会の法話の案内をし始めた。これまで、何人もの仏縁深い人と出会った 。
法友に愛され35年
年老いた母親を喜ばせたい思いもあり、自宅に親鸞会講師を招いての法話を思い立ち、ふもとに近い場所に土地を求めた。以来35年。地元の法友に愛され、法話は続いている 。
寺もマネした家庭法話
「真向かいに300年の歴史を持つ真宗寺院がありますが、法話も開かず、本当の親鸞聖人のみ教えを伝えていません」しかしその寺は、どう思ったか、永年していなかった説教を、最近するようになったという。
唯一の肉親に伝えたくて
親鸞会の法話に参詣し、「これは『門徒物知らず』どころじゃない。もっと聞かなければ」親鸞会館では 『正信偈』のご説法をお聞きできると聞き、早速、参詣するようになる。
なぜ自殺はいけないの?
今、大人が子供たちから突きつけられている問題は、単に教育現場や文科省に任せていいことではありません。なぜ自殺してはならないか。これは、人類最大の難問なのです。
外された人工呼吸器
親鸞会
会員からの投稿です。富山県射水市民病院で人工呼吸器が取り外されました。いろいろな議論を通して、死は安楽なのか、本当の延命の目的について考察します。因果の道理を信ずる心が人生を変える
ある少年院教官の青年親鸞学徒の紹介窃盗、傷害の少年達との心のふれあい。
「誰も行きたがらない道、だからこそ行く。」
夢は熱血先生
『どんな仕事をするために学ぶのか』ではなく、その先の『働いて生きるのは何のためか』を親鸞会で学びました。自分と同じような疑問を抱いている生徒に、生きる意味を伝え、サポートしていきたいと思います。私はなぜ親鸞聖人の教えに魅せられたか
ふと思い出す死の不安。これから、大学へ行き、会社に入り、結婚、家庭、老後を迎えて、そして死んで行く。
やがて死ぬのに、なぜ生きねばならないんだろう?一人、考え込む事も度々でした。
義母の法悦に魅せられ
「泣かんでもいいのやよ」食道ガンの義母は笑顔で言いました。忘れられない義母との思い出について投稿します。孤高のプログラマー
達成感はあるものの、もう平凡な研究はできないというプレッシャー、急に評価されなくなるかもしれないという不安、この先どこへ向かえばよいか分からぬ焦りやらで、心は入り乱れる。私が世界を旅した理由
「なぜ生きる」の答えを探して、リュック一つで中東からヨーロッパを旅した体験記。都心で出会った真実の仏教
光に向かう青年たち2
「たいへんな思いをして、ここまで育ててくれた両親にすこしでもご恩返ししたいと思います。」
2000畳に仏教観が一変
返事ハキハキ、挨拶キラリ
入社してから3週間、毎日のように研修で強調されたのは、挨拶・返事・メモ・機敏な行動の四つだった。「どれも親鸞会の先輩たちが、模範を示して教えてくれたことばかり。当たり前のことを、なぜ今更……とも思いました」
しかし同僚たちを見ていると、初めこそ大きな声で挨拶するものの、一月もすれば声は小さくなり、挨拶をしなくなる人さえある。「大学を卒業して、豊富な知識があっても、当たり前のことができる人は少ないんだと知りました」。明るい声で挨拶し、まめにメモを取っていると、上司や同僚は「すごいね」と声をかけてくるという。
「因果の道理の実践が、社会においても大事であると身にしみています。何より、生きる目的を知らされた喜びが、あらゆる自信につながっているんです」
法悦を語り合い、みんな元気
熊本県阿蘇にある、親鸞会会員の山荘で5月の連休に1泊2日の交流会を開きました。近くの温泉を巡り、夕食は主婦の皆さんが腕を振るわれ、かしわご飯や、だご汁(熊本の郷土料理)、ハンバーグなど、すべて手作り。そのあとは仏法に遇えた法悦を語り合いました。
「寝食をともに、法を語れる集いが、他のどんな集まりよりも楽しいです。毎年恒例の行事になったらいいですね」と喜ばれています。
インド料理店で思わぬ仏縁
スリランカ出身のMさんが親鸞会館ご法話のご縁を喜びました。
近くのインド料理店で働くMさんとは、よく通ううちに親しくなり、サービスで紅茶、汗をかくとティッシュまで出してくれます。スリランカは仏教国、思い切って話をしたら「ぜひ聞きたい」の返事。ご法話の当日、親鸞会館でバッタリ会った人に、「この人もよくお店に来ます!」と驚いていました。Mさんは、英語も日本語もペラペラだそうですよ。
友人を誘って親鸞会館へ
「寺は葬式や墓番で、死人相手の仏教ばかり。どうして生きる大切さを教えないのかと思っていたんです」と言い、昨年11月に親鸞会館を拝観したSさん。その後、講師から、「親鸞閉眼せば」のお言葉を通して、「親鸞会は、生きている人に、生きた仏法をお伝えしているのですよ」と聞いて感動。ご法話にも参詣し、新たな友人を次々誘い、6回も正本堂を拝観している。
このほか、友人を誘って来る人や、仕事で富山を訪れるたびに親鸞会館へ来館する人もある。
どうしてここまで仏教に詳しいのか
高速道路で、「浄土真宗親鸞会館」の看板を見た石川県のHさんは、昨年7月、拝観に訪れました。
「インターから車で1分、とあったので、ふと行ってみようと思ったんです」
親鸞聖人はどんなことを教えていかれたのか、以前から知りたいと思っていたHさんは、高森顕徹先生の著書をすでに書店で求めており、二千畳に来た深い因縁を喜ばれました。
館内に掲げられている仏語の意味を説明され、「どうしてこんな若い女性が、ここまで仏教に詳しいのか」と驚いた様子。
「『難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり』という親鸞聖人の『教行信証』のお言葉を通して、無明の闇について詳しく教えていただき、ますます仏教が聞きたくなりました」と、翌日、高森先生のご法話に参詣。その後も聞法を重ねています。
大の仏教嫌いが親鸞学徒に
大の仏教嫌いだったという84歳のHさんが、「親鸞会が好きになった。こんな神聖で厳粛な所は、ほかにない」と4月、親鸞学徒に生まれ変わった。
「一人の先生に固執するのはよくない」「親鸞会の者には絶対、うちの敷居をまたがせないぞ」とHさんは、息子夫婦の聞法を反対していた。仏教とは何か、死んだらどうなるか、嫁のTさんが話をしても、いつも平行線。「ワシは盆栽じゃない。嫁の言うとおりにはならんからな」とピシャリ。
転機は6年前。息子が病に倒れ、帰らぬ人となった。
深く無常を知らされて、Tさんは一層聞法に励み、朝晩欠かさず勤行するようになる。嫁のその姿にHさんは、次第に心動かされていった。
そして昨年の報恩講で初めて親鸞会館に参詣した。
「反対しておったワシが何で来とるんやろ。自分でも分からん」と、大きな会館、参詣者の真剣な聞法姿勢、若者の多さに驚き、続けて聞き求めるようになった。
「親鸞聖人のみ教えは、聞かせていただくほど伝えずにおれなくなる。気持ちはまだ50代。友達をどんどん誘いますよ」
20年ぶりの仏縁を喜ぶ
20年ぶりに親鸞学徒となった方を紹介します。大学で仏縁を結びましたが、家庭の事情で親戚宅を転々とするうち聞法のご縁を失いました。4年前、唯一の肉親だった母親と死別し、もう一度仏法を聞きたいと思われたのです。
今年3月に地元青森県の講演会、そして富山の親鸞会館と参詣し、「この道一つ」と心に決めています。趣味の写真を通じて知り合った人たちにも伝えたいと張り切っています。
ロシアの友が親鸞会館へ参詣
「ウラジオストク西本願寺の記念碑を見た時から、浄土真宗とはどんな教えか、気になっていた」
ロシア出身のSさんは、3月から続けて親鸞会のご法話に参詣しています。知り合ったのは昨年、私がロシアに留学していた時です。帰国後もメール交換していたら、今年、仕事で富山に来るというのです!早速、親鸞会館に誘いました。
日本に留学した経験もあるSさんは、通訳なしで聴聞し、「罪深い我々を、この世と未来、二度も助けてくださるという弥陀の本願はすごい」と驚いていました。続けて仏縁を求めたいと喜んでいます。
これからも大切な仲間たちと
今春卒業の法友たちと、レンタカーで3月の親鸞会館の行事に参詣しました。車中は4年間の思い出でいっぱいに。仏教を学び始めたばかりのころはよきライバル、落ち込んでいる時は励まし合い、卒業後の進路も相談しながら、ともに光に向かって進ませていただいた大切な仲間だと改めて感じました。
「これからも年に一度は集まろうね」。そんな話まで持ち上がり、「連れが大事、教えが大事」、縁は大切だなと知らされた親鸞会館への卒業旅行でした。
教え子と共に正本堂へ参詣
中学教師をしていた時の教え子と、最近、親鸞会館で顔を合わせるようになりました。
道徳の時間に私から聞いた因果の道理の話が心に残っていたようで、壁にぶつかるたびに思い出しては頑張ってきたそうです。その後彼は、親鸞会会員の女性と結婚。夫婦で聞法するようになり、「先生から聞いていたのは、親鸞聖人のみ教えだったと知って驚いた」と言います。
先日、同朋の里でコーヒーを飲みながら、深い因縁を喜び合いました。
自信に満ちていて、会うと元気になる
「兄から初めて仏法を聞いたのは大学生のころです。母はすぐ参詣するようになりましたが、私は目先の課題やアルバイトのことで頭がいっぱいで、なかなか真剣に聞けませんでした」
だが就職して数年たった今、人間関係などに悩むことも多く、人生の指針が欲しいと感じ始めていたという。
「親鸞会会員の皆さんは、いつも自信に満ちていて、会うと元気になる。自分もこんなふうになりたいなと思い、親鸞会館に参詣するようになったのです」
今後は父にも伝え、「五十周年には家族そろって参詣したいですね」と目を細めた。





