2011/04/27
どんな苦難も乗り越え、生きねばならぬのはなぜか 親鸞聖人のみ跡を慕う、親鸞会会員
茨城県の早場米生産地から田植えの便りが届いた。ただし、原発事故の「風評」を心配しながらの作業という。被災地に、まだ確かな春はない。
もし親鸞聖人が彼の地を訪ねられたら、どのように法を説かれただろう。ふと、考えさせられる。
常陸国(現茨城県)にお住まいの頃。
「私もお仲間に入れてもらえんかな」
「えっ?坊さんが田植えできるんかい」――。
目を丸くする村人の前で、衣の裾をまくり泥田に入っていかれる親鸞聖人。
田園にやがて親鸞聖人の田植え歌が広がる。
「五劫思惟の苗代に
兆載永劫の、しろをして
雑行自力の草をとり
一念帰命の種おろし
念々相続の水ながし
往生の秋になりぬれば
実りを見るこそうれしけれ」
どう生きる、に精一杯の村人たちに寄り添い、生きる方角をはっきり示されている。
どんな苦難も乗り越え、生きねばならぬのはなぜかと。
青々とした早苗が風にそよぐ季節が、東北にもやってくる。
ともに〈弘誓の仏地〉に向かって、確かな歩みの春としたい。
親鸞聖人のみ跡を慕う親鸞会会員は、「どう生きる」よりさらに大切な「、なぜ生きる」を明らかにしています。
それは、親鸞聖人がそうなされたからなのです。
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