2012/08/23

「念仏者は無碍の一道なり」の「碍」とは? 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第25回

『歎異抄』の有名な一節、「念仏者は無碍の一道なり」の誤解は、後生の一大事を知らないところからおきているようです。親鸞会では、その後生の一大事を明らかにしています。無碍の碍とは、往生浄土のさわりにならない、という意味です。

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2012/02/23

親鸞聖人の人間観とは? 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第24回

親鸞聖人の人間観から『歎異抄』を拝読しなければ、大変な誤解を生んでしまいます。親鸞聖人の人間観は、阿弥陀仏が見られた人間のすがたです。親鸞会では、常の弥陀の本願を原点に、親鸞聖人の教えをお伝えしています。

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2012/01/25

「衆生済度は死んでから」の誤解 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第23回

親鸞聖人の「いそぎ仏になりて」の一文から、「衆生済度は死んでから」と誤解した歎異抄解説本が多いようです。『歎異抄をひらく』には、「はやく弥陀の本願に救われ念仏する身となり、浄土で仏のさとりを開き、大慈悲心を持って思う存分人々を救うことをいうのである」と明記されています。仏教は生きている時が勝負なのです

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2011/12/02

「他力をたのむ」とは? 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第22回

「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」を誤解すると、悪をしてもいい、善はするな、ととんでもない誤解をしてしまいます。親鸞会は、悪人の正しい意味を明らかにし、本当の親鸞聖人の教えをお伝えしています。

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2011/09/24

「悪人」は人間の代名詞 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第21回

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は、日本の思想史の中でも最も有名な一節といわれます。ところが、この親鸞聖人のお言葉の誤解が甚だしいのです。親鸞会は、その誤解をただし、本当の「悪人正機」の意味をお伝えしています。

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2011/09/12

「非業非善」の念仏の真意 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第20回 

「非業非善」の念仏とは、どういう意味でしょうか?浄土真宗で極めて大切な、「他力」「自力」の意味を明確にしっていただかなければ、本当の親鸞聖人の教えはわかりません。親鸞会は、他力、自力の意味を正しく、丁寧に、ひとりでも多くの方にお伝えしていきます。

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2011/05/05

「善も悪も全く知らぬ」他力信心の表明 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点《第19回》

親鸞聖人の「善も悪も全く知らぬ」というお言葉を文字どおり、「何もわからない」と解説した本が多く驚きます。これは他力信心の表明であることを知らねばなりません。歎異抄には、このように誤解しやすい言葉が多いので、親鸞聖人の主著『教行信証』をもとに解説せねばならないのです。

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2011/02/14

鬼気迫る対峙 聖人の慈誨 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点【18】 親鸞聖人の教えを伝える親鸞会

「おのおの十余ヶ国の境を越えて、身命を顧みずして訪ね来らしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり」の『歎異抄』のお言葉は、後生の一大事がわからなければ、意味がわからないでしょう。そこから誤解・曲解が生み出されています。親鸞会は、後生の一大事の解決1つを求める集まりなのです。

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2010/12/15

「追善供養」の迷信を破られた聖人のお言葉 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点【17】生きた教えを伝える親鸞会

仏教といえば、追善供養を教えたものと、多くの人が思っています。ですから、親鸞聖人が追善供養を否定されたと聞けば驚くでしょう。世間の常識で歎異抄を読むと必ず誤解が生じますから、本当の親鸞聖人の教えをよく知らねばなりません。

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2010/11/18

「全く知らぬ」聖人の真意 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点【16】

「総じてもって存知せざるなり」という歎異抄の言葉を、文字どおり「全く知らぬ」と受け取って、「念仏は浄土に生まれる因やら、地獄に堕つる業やら、親鸞聖人も、まるで分かっておられなかったのだ」と誤解する学者が少なくありません。念仏(弥陀の本願念仏)より他に道なし、と断言された親鸞聖人の教えを知らないのだろうか?

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