2010/01/31
【特集】テレビ座談会の反響(4) 親鸞会.net
●親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない
「なぜ生きる」(高森顕徹先生監修)には
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
人類は今も、この深い闇の中にある。
どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、
“よくぞこの世に生まれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。
(『なぜ生きる』2・3ページ)
と書かれています、
親鸞聖人は常に、
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
(御文章1帖目1通)
とおっしゃり、釈迦の説かれた仏教以外に教えたことはない、と明言されました。。
また、釈迦の教法はあっても、インド・中国・日本の高僧方がましまさねば、
真実の仏法を知ることはできなかったと、『正信偈』に七高僧を著しています。
ならば、お釈迦さまや七高僧も、親鸞聖人と同じように、人生の目的を明示され、
その達成を勧められた方であろうに、
なぜ、
「親鸞聖人ほど」
と書かれているのでしょうか。
この質問に1日、懇ろにお答えいただきました。
高森顕徹先生へのお礼状を通して座談会の内容を振り返ってみたいと
思います。
山本さんのお礼状には、最初にこう書かれています。
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第一声、「この質問は、深い迷信から出ています」とお聞きした時、
申し訳ないことに、お答えの意味がよく分からず、
頭の回線が右往左往しました。
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え!
「なぜ、“親鸞聖人ほど”と書かれているのでしょうか」
という質問は、深い迷信からきている?
これは一体どういうことなのでしょうか。
続きを見てみましょう。
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