2010/06/10

自戒すべきこと      親鸞会.net

「まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ」
(歎異抄・序)

〝決して勝手な判断によって、他力の真義を乱すことがあってはならない〟
親鸞聖人の教えを説かず、「オレはああなった」「こうなった」の体験談で人集めする邪義を、『歎異抄』は厳しく教誡する。
蓮師もまた五百年前、「珍しき法」に群がる体験乞食グループを『御文章』に重ねて指摘され、廻心懺悔を促された。だがいつの時代も、各別の体験談を自慢し、売り物にする輩が後を絶たない。原因は、何か。
〝オレがオレが〟と目立ちたい自己顕示欲、財施を得たい利益欲であろう。
聖人でさえ「名利の大山」と警戒されるのだから、自制できぬ者があるのもうなずける。
だが根本は、「真実信心が無い」からに違いない。まこと信心獲得した人に、
唯一救いたもうた弥陀の本願を、己の名利でネジ曲げることなど、あり得ぬだろう。
常に正しい聖人の教えを聞法し、自戒せねばなるまい。

みえみえの 自己宣伝の 体験談

体験談 自己宣伝の ほかはなし

 

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2010/01/28

特集:7つのポイント(3)体験至上主義の誤り

特集:7つのポイント(3)「体験至上主義」の誤り

おちいりやすい「体験至上主義」の誤りを知っておきましょう☆

浄土真宗 親鸞会 公式|「機相」「信相」の教導に驚く・体験話に迷わされた23年

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2010/01/22

擬似体験の温床

「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、 
 如来の教法をわれも信じ
 人にも教え聞かしむるばかりなり」

が、聖人の常の仰せであり、
蓮如上人もまた
「当流に更に沙汰せざる珍しき法門を讃嘆し、
 同じく宗義に無き面白き名目なんどを使う人これ多し。
 以ての外の僻案なり。
 自今已後、固く停止すべきものなり」。

両聖人の戒められる「当流に更に沙汰せざる珍しき法門」
「宗義に無き面白き名目なんどを使う」とは、
各人各様の信仰体験談のことである。同じ体験など毛頭ないからだ。

「私が獲信した時はこうだった」
「ああだった」
「私はこのようにして信心決定した」。

これらの教えの抜けた体験至上主義者は、何時も何処の里にもあるものだ。
人はまた、そんな体験談を異常に好むものである。
そんな処は、寄ると触ると体験話がなされ、擬似体験の犠牲者を次々と
生み出す温床となっている。

だが善知識方は、
「いつ」
「どこで」
「どの知識のもとで」
「どのように」

獲信したなど、どこにも遺されてはいない。決して親鸞学徒の本道を踏み外してはなるまい。

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2010/01/15

仏法に持ち込んだ迷いごと

この「サプリメント」を4ヵ月食べたら、私はこんなに健康になった。
私はこの「薬」を3ヵ月飲んだら、医者から見放された頭痛がウソのように消えた。
この「医療機器」を6ヵ月使ったら、長い間苦しんだ私の腰痛が完治した。
こんな体験談が、新聞広告やテレビ番組などに氾濫している。大衆を飛びつかせるに、生々しい体験談を踊らせるに勝るはないからだ。体験談は生々しいほど良く、より多く聞かせ読ませることが、暗示を与え相乗効果を高める。
こんな火宅無常の世界の、そらごとたわごとの考えを、三世十方を貫く仏法に持ち込んだのが、体験至上主義の誤りの元である。
親鸞聖人も覚如上人、蓮如上人、歴代の善知識方が迷いごとを語られなかった理由は明白だろう。

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2010/01/14

体験至上主義

他力の信心は、阿弥陀仏から賜る唯一絶対の真実信心であるから、
各人各様の人間の三業(さんごう)で表せるようなものではない。
だから、浄土真宗の信心は、そんな機相(三業)では語られていないのである。

ところが、「私はああだった。こうなった」と信心を三業で語る者たちがいる。
体験至上主義ともいわれる彼らの生命線は、そんな体験談なのだ。

彼らに、体験談を話すな、書くなということは、親鸞学徒に、親鸞聖人の教えを説くな、教えるな、というのに等しい衝撃である。
生命を断たれることになるからだ。
これ以上の打撃は、他にあるまい。

体験談 ほかに売り物 さらになし

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2010/01/07

特集:7つのポイント(2)「諸行往生」の誤り

特集:7つのポイント(2)「諸行往生」の誤り

大切な内容です。
繰り返し学ばせていただきましょう☆

浄土真宗 親鸞会・現代に生きる仏説|諸行往生は本願にあらず

親鸞会.NET» » 平生業成の本願

親鸞会.NET» » 弥陀の願心を伝える「善をしなければ信仰は進みませんよ」

親鸞会.NET» » 「善をしてゆけば、そのうちに助かる」は誤り(信心の沙汰・親鸞会)

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2010/01/07

平生業成の本願

 

  
「善をしてゆけば、そのうち助かる」と聞き誤っている者がいる。
「今、助けるという平生業成の教えに反する」と、非難してくる者さえある。
だが親鸞会では常に「平生の一念に助ける」弥陀の本願ばかりが説かれている
のだ。
平生とは現在ただ今。
「今、助ける」本願が常に説き切られているのに、
「善の積み重ねで助かる」とか「そのうち助かる」と聞くのは、とんでもない
聞き誤りではないか。
『歎異抄をひらく』にも「弥陀の救いは『今』である」と明言されている。(p139)
言ってもいないことを言っていると的外れの非難は自損損他にしかなるまい。

如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし、多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす
(『口伝鈔』)

一念往生、現生不退が阿弥陀仏の救いである。
釈尊も親鸞聖人も、ただこの阿弥陀仏の救いのみを伝えられている。
そのみ教えを「我も信じ、人にも教え聞かしむるばかり」が親鸞学徒だ。
そのうえでなお善を勧める理由を問うならば、それは阿弥陀さまの願心
だから、阿弥陀さまに聞かれるがよかろう。

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2010/01/05

特集:7つのポイント(1)親鸞学徒の本道

特集:親鸞学徒の本道

親鸞学徒の進むべき道は、。親鸞聖人のお言葉を示し、
その意味を懇切に伝える以外にありません。

以下、関連記事です。

繰り返し読ませていただきたいですね。

  
 
 
親鸞会.NET» » 親鸞聖人つねの仰せ
http://www.shinrankai.net/2010/01/7poin.htm

浄土真宗 親鸞会・現代に生きる仏説|親鸞学徒の本道をゆく
http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20090101hondou.htm

輝く☆親鸞学徒の本道 - 浄土真宗 親鸞会 ★ 朋ちゃんHappy diary♪
http://blog.goo.ne.jp/tomotomota123/e/6de83c5eb452eee536dbe6605f93ee0e

更に珍しき法を弘めず|浄土真宗親鸞会・現代に生きる仏説
http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091010.htm

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