震災で多くの方が辛い思いをされている、そう考えると、被害を受けなかったからと行ってワイワイ騒ぐ訳にもいかない……そんな心情から、イベントなどを自粛する流れが広がっています。
「自粛、自粛」と騒いで、経済活動まで停滞させると大変なことになると警鐘する人も多いですが、日々報道される震災ニュースを見ていると、やはり「よっしゃ、どこか旅行にでも行くか!」という気持ちになかなかなれないのも確かです。
今年は丁度『親鸞聖人750回忌』の年。
京都の東西本願寺を始め、浄土真宗各派は様々な行事を予定していて、もちろん親鸞会でも秋に750回忌法要が予定されています。
しかし、震災による自粛ムードからか、京都の本願寺に参詣する人のキャンセルが相次ぎ、ホテル予約などではその数は既に千五百人を超えている、というニュースを耳にしました。
旅行業者は悲鳴を上げている、とのこと。
まあ、無理もないことと思いました。
実際、既に京都西本願寺の750回忌行事に参詣した人が言っていたことですが、
「いやあ、本山にお参りしてきたよ。有り難かった。法話は無かったけどね」
なるほど、何か教えを聞き学ぶ為に参詣した訳ではなく、最初から旅行気分だったとうことなのでしょう。
法要参詣を旅行の一つと思っているのなら、震災で自粛しようと思ってしまうのも無理もないでしょう。
「何だかよく分からないが、とにかく本山にお参りすれば、まあいいことあるだろう。極楽参りもできるだろう」
まるでパワースポットを訪れる感覚になってしまっていませんか。
浄土真宗とは、そんな教えではありません。
忘れてはならないのは、参詣の目的でしょう。
何の為に参詣するのか。教えを聞き求めるのは何故なのか。
親鸞会では、親鸞聖人の教えを聞き求める目的を忘れることは決してありません。
だから、今回の震災直後であろうと、親鸞会館の法話には全国から参詣者が集いました。中には、被災地からの参詣者もありました。
そして、心静かに、親鸞聖人の教えを正しく聞かせていただいたのです。
全国の浄土真宗門徒の皆さん、750回忌の今年こそ、「親鸞聖人の正しい教えは何なのか」しっかりと学び聞かせていただける年にしましょう。
決して、旅行気分にならずに。
東日本大震災が発生してから数日間、テレビはどのチャンネルに変えても震災の悲惨な状況を映し出していました。
もちろん、状況の詳細を知りたい私としては、自宅に帰ればテレビを付けて、放映されている災害状況を食い入るように見ていました。
ですが、ある時に気づきました。
一緒に見てしまう「子供」によくない、ということを。
幼い子供は幼いなりに、東北は何処かなど分からないなりに、今日本でどんなことが起きているのかを理解し、そして「不安」におびえるのです。
「ここは大丈夫だよ」と言い聞かせても、流れてくるニュースの「行方不明」「壊滅状態」そして「死」に敏感に反応していることに、気づきました。
これはまずい。
ある時点を持って、自宅でニュースを見るのを止めました。
いや、どこか娯楽番組がやっていれば、そのチャンネルにしたでしょうが、NHK教育でさえ安否情報を流しているのですから、子供に見せれる番組がないとなると、消す以外にありません。
こんなことがあってか知りませんが、テレビ東京では他の局より先にアニメ番組を放映し、絶賛されたという話題を耳にしました。
そうそう、全チャンネルが震災を報道しなくてもいい。子供がみれるチャンネルがあっていいじゃないか。それが多くの視聴者に喜ばれたのだろう、と素直に思いました。
ところが、その後のニュースで、アニメ放映したことに対する抗議の電話やメールがテレビ東京に殺到していたというではありませんか。
やむなく謝罪したらしいのですが、今の日本の状況を考えれば「不謹慎」と思う人が多いのも事実なのでしょう。
ただ思ったのは、どんなことを行っても、褒める人もあれば非難する人もある。すべての人が褒め讃えることなど存在しないのだな、ということです。
有名人が「何億円の義援金を出した」と聞いて「素晴らしい」と褒める人もあれば、「売名行為だ」と非難する人もある。
「よくも放射能をまき散らしたな」と東電を非難する人も多い中、「想定外の津波が来たのに、なんとかあの状況で収めた日本の技術はすごい」と言う人もある。
日本人のモラルは素晴らしいと海外が絶賛する、その中でも「いや、日本人はおひとよしすぎる」とバカにする声も聞かれる。
皆にて褒める人もなく、皆にて誹る人もなし。
もちろん、他人の言葉に耳を傾け反省し行いを正すことは大事ですが、浴びせられる声に一喜一憂していては何もできなくなります。
これは仏教、浄土真宗の歴史でもそうでした。
親鸞聖人、蓮如上人、いや一番最初はお釈迦さまでさえ、すべての人が「素晴らしい教えだ」と褒め讃えた訳ではなく、誹り嘲り、果ては命を狙う者まで現れました。
「誹謗されるから、教えるのはやーめた」と信念を曲げておられたら、とても仏教は今日まで伝えられることはなかったでしょう。
親鸞会の歩む道はどうでしょうか。
「親鸞聖人の教えを正しく理解し、そして多くの方に伝える」
讃える人、誹る人、様々な声があろうとも、この姿勢一つ、ブレることなく、今までも、そしてこれからも進んでいくことでしょう。
みなさん、ごぶさたしております。
今年も、富山の冬はなかなか厳しい寒さ。連日の雪で周囲はすっかり白一色。
早く春が来てほしいものです。
ただ、雪が積もることで眺めるのが楽しみな場所というものが、北陸道小杉インター付近に存在します。
そう、親鸞会の旧・会館予定地です。
旧会館予定地と言えば、親鸞会館が現在の射水市上野に建てられる前に親鸞会が取得した土地のこと。
今の小杉工業団地付近にあり、五歩一交差点から西に向けば見える丘のことです。
元々、ここに親鸞会館が建立される予定でしたが、山頂に古墳があることが分かって造成はストップ。しかし、その古墳存在を盾に十条製紙が売りに出した土地取得競争で県を動かして、見事上野に会館を建てることができたのですから、旧予定地あってこその「今の親鸞会館」な訳です。
どうも、その古墳は「県史を塗り替えるほどの存在」らしいのですが、発掘調査が行われたというのは聞いたことがありません。富山県は「埋蔵文化センター」が存在して、実に考古学に力を入れている県ではありますが、さてさて旧聖地の古墳発掘の順番が回ってくるのはいつのことでしょうか。
で、その旧予定地の古墳が、雪が降るとよく分かるんだそうです。
ある、歴史に詳しい親鸞学徒の方から「冬になると、形がよくわかる。あの前方後方墳は美しい形をしている」と聞いてはいましたが。
って、どこだよ、おい、という方。写真を1枚。

コンビニ「ポプラ」から眺めた旧予定地。
これではよく分かりませんので、拡大してみましょう。

まだ分かりませんか?
ここです、ここ。


え、ちっちゃい!と思った方。
はいはい、古墳と言えば「仁徳天皇陵」だと思ってませんか?
あんな巨大な古墳を作れる権力者など、こんな田舎の越中にはいませんってば。
ただし、あくまで推定ですので、正確なことは、調査せねば分かりません。
富山県での「前方後方墳」は、このぐらいの大きさが普通でして、例えば射水市の隣、富山市婦中町には県を代表する前方後方墳として「王塚古墳」があります。

↑王塚古墳。
全長は約50メートルの前方後方墳。富山県を代表する古墳で、国指定の史跡です。
近くに「勅使塚古墳」という全長70メートルの前方後方墳がありますが、それでも大きさは県で2番目だそうです。

1番は氷見市の柳田布尾山古墳、全長107メートルだそうです。
おそらく、旧聖地にある古墳も同等の規模を持つと思われ、きちんとした調査が行われれば、確かに「県史を塗り替える」ほどにはなりそうです。
夏は緑にかこまれて分からない古墳跡ですが、木が枯れて雪が降るとその姿を現す。
五歩一交差点付近を通る時は、ちょっと眺めてみて下さい。
おっと、脇見運転はやめてくださいね(笑)。
民主党の小沢一郎氏が、キリスト教について「排他的で独善的な宗教だ」と発言したことが波紋を呼んでいます。
キリスト教の認識については、確かに鋭く突いているとは思います。
が、政治家としての発言とは思えません。
ネット上でも「民主党大丈夫か?」という声が溢れ、中には「創価学会に媚を売っているのではないか」という意見も・・・。
「産経抄」では、「キリスト教の場合、唯一絶対の神を信仰している。だからその傾向は強かったともいえる。」と書きながらも、「しかしここ数十年、他宗教との対話や融和を積極的に打ち出しているのもキリスト教だ。」と最近の傾向から、小沢氏の発言に疑問を投げかけています。
ただ、教団の対外的方針と、教義とは別に考えなければなりません。
これに反発したキリスト教側も動きました。
日本キリスト教連合会が小沢氏に撤回要求の抗議文を送りつけた模様。
その内容には「小沢氏の発言は一面的で、それこそ『排他的』で『独善的』だ。責任政党幹事長の言葉として、その見識を深く疑う」としている。
「独善的」発言でキリスト教連合会が小沢氏に撤回要求の抗議文(産経)
産経の記事では、小沢氏の発言の全貌がつかめませんが、以下の記事でよく分かります。
小沢氏「君は何教だ」 キリスト教発言への質問に逆ギレ(報知)
小沢氏は「煩悩を生きながらにして超越できる人が生き仏。お釈迦様が最初の人だ」と力説した上で「死にゃあ煩悩がなくなるから仏様。君んとこも仏様あるだろ? ほかの宗教で、みんな神様になれるとこあるか」と問いかけた。
発言の撤回をしないのはよしとしても、逆ギレはいけませんねえ。
小沢氏の仏教観は、煩悩が無くなった、もしくは煩悩を超越できる人のことが「仏」という認識で、「死ねば誰でも仏」という考えのようです。
「死ねば誰でも仏になれる」・・・それが大きな間違いであることは、親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんは十分すぎるほど分かっていることでしょう。
問題は、「死ねば必ず仏になれる身」になっているか、どうかです。
どうも、キリスト教に対する認識以上に、仏教とはどういう教えなのか、小沢氏はもっと勉強すべきですね。
ともあれ、この騒ぎ、今後の動きに注目です。
(参考)
>>マンガ「念仏して急ぎ仏になりて」の本当の意味
>>死んだらどうなるか 自殺を止められた釈尊の譬え話
「フラン制作日記」を書いている途中で、ガダルカナルの話題を出して一気に重くなった当ブログですが、先週からNHKがやたらと戦争番組を放映しているので、かなり気になっています。
特に、深夜に放送している証言番組を見ると、背筋の凍る思いがします。
玉砕の戦闘でも、何人かの兵士は生き残って、その壮絶なる様子を証言している。・・・歴史は実に重いものがあります。
さて、前回、鉛筆による作画を終えた「フラン」ですが、線画をスキャナで取り込んで、彩色する段階にきています。
最近のスキャナは、安価でも性能がいいものが出ていますから、こういった作業は家庭でも簡単にできるようになりました。10年前では考えられなかったことです。
私も、使っているスキャナは1万円程度のA4カラリオですが、きちんと1200dpiの2階調でスキャンしてくれますからね。
グレースケールだと、やたらと紙面のゴミを拾いますから、白黒の2階調で「しきい値」を適当に設定してやれば、かなりの紙面ゴミを飛ばすことができます。
それでも残るゴミは、後でせっせと取らなければなりませんが、それはまた後の話。
スキャンしたデータを、Adobe Photoshopで開いて色塗りをしていきます。



最近は、Photoshopに代わるグラフィックソフトも安くて高機能のものが沢山でていますから、無理して高いソフトを使う必要がなくなってきましたね。
「フラン」の場合は印刷に使うことを考慮して、最初から「CMYKモード」で彩色しますので、やっぱりPhotoshopが必要なのですが、Web用にRGBモードの絵でよければ、Photoshopでなくても構いません。安いので十分。
そう、レイヤー機能があれば、十分なんですよ。この程度の色塗りは。
あと、やっぱりタブレットがあった方が便利ですよね。
マウスで色塗り・・・可能ですし以前はやっていましたが、一度タブレットを体験すると後戻りできませんね。

過去を思い出せば、NECのPC8801を使っていた時、マウスでお絵描きしていたことがありました。
サランラップにまず下書きをして、それをモニタに貼付けて、マウスでなぞって行くんですよ。昔はそんな苦労をしていましたが、それでも楽しかったものです。
それから数年。Photoshopはバージョン4の時から使っていますが、動作が激重で頻繁にフリーズしてイライラの絶頂にあっても、仕上がった絵に感動して「すごいことができるようになったなあ」と感動したものでしたが。
今の便利さを、当時に持っていくことができれば、目ん玉飛び出るでしょう。
しかし、現状はとても幸せで満足できるかというと、そうでもありません。
もっといいモニタやタブレットがあったら、Photoshopのバージョンを最新にできたら・・・と、欲望に限りない。人間の悲しい性なんでしょう。
おっと、話がそれている間に、色塗りは相当進んでいました。
話題になったテレビ番組をたまたま見ていましたので、少しここに書いておきます。
先週金曜日(7月31日)夜、NHK総合で『語れなかった記憶 ガダルカナル・兵士たちの証言』という番組がありました。
これは東海北陸版の番組でしたので、全国放送ではありませんでした。
題名の通り、太平洋戦争中のガダルカナル戦から帰還し、現在も生きておられる元兵士の証言を集めた番組。
名古屋歩兵228連隊が派兵されたので、生存者も名古屋近郊におられ、NHK名古屋放送局が作成したものです。
228連隊で現在生き残っておられる方は十数名。
その中で数名の方が番組に登場していましたが、22歳で中隊長として出征し、ガダルカナルで多くの部下を失った方の証言では、陸軍士官学校で徹底的に教えられたことが
「義は山岳よりも高く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽し」
つまり「国のために命を捨てよ」ということでした。
しかし、ガダルカナルでは、圧倒的兵力で攻撃してくるアメリカ軍に対し、日本軍は日露戦争以来使っている三八式歩兵銃で立ち向かうので、その優劣は明らか。
元衛生兵の証言では、「弾薬どころか、医薬品も全くなかった」とのこと。
「包帯も何もない。傷口にウジがわいても、そこらへんの水で洗うしかなかったし、『がんばれ』と声をかけるしかなかった」という最悪の状態。
更に、第3次ソロモン海戦により、3万人分の食料を摘んだ補給船が壊滅的打撃を受け、ガダルカナル島は一気に「餓島」と呼ばれる事態に。
名古屋歩兵228連隊が上陸してから1ヶ月あまり経つと、1日に50人の餓死者を出していたという。
そして、元兵士の証言です。
「うごけないから、兵士のまわりにハエがたかる。そのハエをたたいて、食ったのだから。
……ああいうのを餓鬼って言うんじゃないか」
そして、飢餓と死に対する恐怖から、兵士は理性を失っていき……
「狙いを定めて、ボーンと撃ってね、敵さんが倒れるとね、死体を引きずってきて、みんなで処置して、焼いて食べちゃったね。……今考えると、なんであんなことができたんかね」
正に、餓島は極限状態にありました。
番組は、この後撤退の話になるのですが、そこは省略しますが、先に登場した元中隊長は、戦場であることを知らされます。
「死は鴻毛よりも軽くない」
そして、撤退行軍中、歩くこともままならない兵士に「命よりも大切な銃」を捨てよと命令したそうです。
想像を絶する状況だった訳ですが、今から六十年前、日本人が実際に体験したことであったことには違いありません。
最近「萌えに走っていないか」と言われます。
私自身は、そんなつもりはないのです。
このブログだけではなく、最近の親鸞会に関するコンテンツで、何やら「萌える」内容があるのは、説明するまでもありません。
いわゆる「アニメ絵」なんですが、水彩や油絵と違ってペイントが単純に見えるので、いとも簡単に描いているというイメージをお持ちの方がありますが、そんなことないですよ。
一連の萌え絵を描いた後は、かなり肩がこります。
ええ、ガチガチです。
最近のテレビアニメを見ていると、3Dデータを使って、原画・動画を書くことなくセルアニメ風に仕上げたものも見られて、なかなか驚いております。
「きらりんレボリューション」を娘と一緒に見たとき、「セルアニメにしては、何やら動きが3Dアニメっぽいなー」と思っていたら、やっぱりCGでした。
技術の進歩は、すばらしい・・・。
思い起こせば今から14年前、あるビデオソフトを作る為に、アニメ用の原画用紙やセル、アニメ用絵の具を買い込んだことがありました。
でも、今時そんなものを売っている画材屋なんて、そう見つかりません……。
一応、私もアニメ制作技術についてある程度学んだ人間ですので、まあ、親鸞会内ではこういう仕事がまわってまいります。
折角ですので、その制作状況を、少しばかり書いておきましょう。

もちろん、最初はラフな絵から始めます。
最近は、このラフ案の原案をそのままスキャンして、パソコン上で清書するというパターンもあります。
ラフからパソコンで書いている方も多いようですが、どうも「アナログな部分」から抜け出せないでいます、私。
で、ラフ画から、奇麗な線で書き直す「クリンナップ」という作業を行います。
クリンナップとはアニメ業界用語なのですが、つまり「清書」のことです。
クリンナップされた絵を、昔はセルにカーボンで写し取って、それにアニメ絵の具で彩色していました。
最近は、そのままスキャンしてパソコン行きのデジタル処理、ですね。

クリンナップ作業は、鉛筆で行います。
プロの世界でもそうです。
アニメーターそれぞれの筆圧によって、芯の固さが異なりますが、私は三菱uniのHBが一番好きです。
その鉛筆で、均一な太さで線を奇麗にトレスしていきます。
均一ってのが難しい。鉛筆って、ちびますからね。
根気よくなぞっていく訳です。
主線を書いたら終わりです。

プロのアニメ制作現場では、この主線だけではなく、影の部分や白目の淵など、彩色の境目となる線も赤鉛筆などで入れていく作業があります。
アニメは分業で作られますので、動画マンは次の彩色担当者でも分かるような絵を描かねばならない訳です。
いやはや、大変です。
ラフ画から、トレスしてパソコンに取り込み、色付けまで全部一人でやるのは大変ですが、分業にすればもっと手間がかかると思うと、プロのアニメーターさんを尊敬せずにおれません。
さて、続きはまた次回。
夏はやっぱりこれですね。
「ざるそば」

親鸞会の皆様にはすっかりおなじみ。サンキューには、ざるそば、ざるうどん、そしてざる氷見うどんと夏のおいしいメニューが揃っております。
いつも、「きつねそば」とか「温系」のそばしか食べていませんでしたが、今日はじめて「ざるそば」をいただきました。
これはハッキリ言ってうまいですね!
麺のコシがすごい。
麺つゆはそれほど濃い味ではなく、のどごしが素晴らしいです。
いくらでも食べれそう。100円追加の麺大盛りにしておけばよかった!
私が学生の時だったか、そば専門店に行ってざるそばを注文した時に「そば湯」も一緒に出てきて、どうすりゃいいのか困った時がありました。
そばつゆをそば湯でうすめて飲むんですよね。最初は抵抗ありましたが、意外とうまいんですよね。
「ざるそばの、つゆはあるけど、麺がない……飲むか!」というCMが以前ありましたが、あれはギャグじゃないですね。専門店ではそば湯でうすめて飲んでいるで、マジな訳です。
それはどうでもいいのですが、親鸞会のみなさんは、そば派ですかね、うどん派ですかね。
今度、どちらが売れているのか、聞いてみよう。
苦悩の旧里はすてがたく……ではありませんが、長く使用して愛着のあるものは、たとえ古びたものでもなかなか手放せないものです。
何の話かというと、「MacOS9」の話です。
MacOSXに以降して、10.0から始まったバージョンは今や10.5。今更、OS9を使うことなんてないだろう、と思いますがそうでもありません。
そう、ジョブズはOS9を棺桶に入れるパフォーマンスをしました。そう、あの時だけ彼は「おくりびと(納棺夫)」だった訳です。
完全に葬られてしまったOSですが、それでもOS9でないと動かない周辺機器があります。
その為にも、OS9を立ち上げることが、今でもあるのです。

立ち上がりは、やっぱり遅いです。
イライラします。
漢字Talk7からMacを使っている自分にとっては、このOS9が出た時には感動ものでしたがね。
今のインテルMacでOS9を起動させることができたら、さぞかし速い立ち上がりだろうなあ……。
おまけに、フリーズやっぱり多いですね。
OSXは本当に安定している。そう、たまに立ち上げるOS9を使って、それをつくづく実感する。
OS9時代に、画像処理や動画作成など行っていた時、それはもう頻繁に「コマンド+S」キーを押していました。
そう、ファイルの保存ショートカットキーです。
Photoshopなどで、大きな画像にフィルタをかける時など、途中でフリーズする可能性大ですから、まずは保存して、ハラハラものでフィルタ作業をしたものです。
また、たとえ数十秒の動画でも、夜中にレンダリングをかけて翌朝に完成させる、という作業をよくやりましたが、朝にのぞいてみると、やはりレンダリング途中でフリーズしていたこともしばしば。あのショックというのは今でも忘れられないものがありますね。
……何のことか、分からない人にはさっぱり分からない話題ですみません。
親鸞会の会員全体で見ると、やはりMacユーザーというのは相当少数ですからね。
講師の方でも、何人おられるだろう……。
先日も、「セキュリティ上の問題があるのでOSをアップグレードして欲しい、って言われたんだけどどうすればいいかな」と、ある親鸞会会員から相談を受けました。
その方、古いMacブックを使っておられ、最新OSにするとストレス激増まちがいなし。
「マシンを買い替えるしかなさそうですね」
……あまりいいアドバイスではありません、これ。
でも、古いマシン、古いOSって手放せないですよね。分かります。
新規インストールから、時間をかけてじっくりと育ててきた「自分の子ども」みたいなものですからね!
Windowsユーザーばかりの中で生きて行く、ってのはストレスも多く辛いものですが、それがまたMacユーザーの一つの楽しみであったりします。
「親鸞会Mac同好会」なるものを、立ち上げたら面白いかもしれませんね。
まずは同朋の里で会食会でもいかがですか。
Macでも、EeePcみたいなサブノートが出るという噂がありますから、それを私も待ちたいと思います(笑)。
昨日の親鸞会・本部会館の行事で始めて気がつきました。

ここ、どこだか分かりますか?
そう、「赤1駐車場」下にある調整池なんですが、よーく見てください。

蓮だ!
蓮の花は咲いていませんが、確かに蓮ですね、これ。
管理責任者に聞いてみたところ、間違いなく「レンコン」を植えているそうです。
知らない間に、意外とイキなことされますね~。
花が咲くのが楽しみです。
親鸞会館の近くで蓮の花が鑑賞できるのはいいですね。
ところで、蓮の花が咲く時に音がするって本当でしょうか?
以前、探偵ナイトスクープで実験された、という話もありますが、その回は見ていないので知りません。
なにせ、「ポン」とか、「サクッ」とか、いやそんな音なんてしないよ、とかいろいろと噂されております。
・・・実は、私は聞いたことがあります。
「バリッ」という音でしたよ。・・・聞いたのは子供の頃でしたから、記憶はあいまい(笑)
ともあれ、親鸞会館へお越しの際、ちょっと調整池をのぞいてみませんか?