2011/04/27

和の精神と十七条憲法 「和する」を貴ぶ親鸞会

聖徳太子は、日本に仏法を広められた方で、親鸞聖人は「和国の教主(日本のお釈迦様)と褒め称えておられます。その聖徳太子が制定して「十七条憲法」の中に「和するを以て貴し」と書かれてあります。親鸞会も「和する」ことを貴び、親鸞聖人の教えをお伝えしています。

続きを読む »

2011/04/27

どんな苦難も乗り越え、生きねばならぬのはなぜか 親鸞聖人のみ跡を慕う、親鸞会会員

親鸞聖人が、関東におられたとき、茨城県で、田植えをされながらも弥陀の本願をお伝えされました。今日、「田植え歌」として知られたいます。どう生きるに一生懸命な農民に、なぜ生きるの真実を伝えられたのです。

続きを読む »

2010/11/20

いまの流転が永久の流転|親鸞会 顕正新聞

「足るを知る」「ほどほどが一番」と人はいいます。しかしそこで本当に満足できるでしょうか。わかっちゃいるけどやめられない人間の本性を見るとき、本当の幸せを手に入れることの難しさが知らされます。
そんな中、親鸞聖人は、本当の幸せを明らかになされているのです。

続きを読む »

2010/10/18

『歎異抄』の誤解が真宗を崩壊させている|親鸞会 顕正新聞

親鸞会・顕正新聞からの記事の抜粋です。『歎異抄』の誤解が、浄土真宗を崩壊させています。特に、善をすすめず、悪を誇っていては、この世からジゴクの日々になってしまいます。

続きを読む »

2010/10/07

見落とされている大事|親鸞会.NET

どの道も、100%求まらない道ばかり。しかし、「好きなことをやれたら満足」と言い張っています。そこには大きな見落としがあります。「太平洋の真ん中で好きなだけ泳ぎなさい」といわれても長く楽しめないのと一緒です。完成がある人生の目的を教えた親鸞聖人の教えを聞かせていただきましょう。

続きを読む »

2010/07/06

多生億劫にもあり得ぬ事|親鸞会 顕正新聞

「噫、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(もうあ)いがたく、真実の浄信(じょうしん)は億劫(おっこう)にも獲がたし」(親鸞聖人)

〝ああ、なんたる不思議か、親鸞、多生にも遇い難いことに、いま遇えた。億劫にも獲難いことを今獲ることができたとは〟

阿弥陀仏に救い摂られた驚きと感動の親鸞聖人のお叫びである。

親鸞会の二千畳の存在する在所に住んでいても、どれだけこの正本堂に座られる人があろうか。同朋の里のある村の幾人が、F館で信心の沙汰をされるご縁があるだろう。

親鸞会の二千畳に群参し同朋の里・F館に溢れる人々も、地元に帰れば「国に一人、郡(こおり)に一人」の親鸞学徒であるにちがいない。

無上の妙法は聞けなくて当然、聞けたら不思議の中不思議である。どうして私が聞けたのか。小慈小悲もない私なのに「何とか伝えたい」の悩みが起きるのは、全く無上仏の起こさしめたまう悩みであり、お計らいにちがいない。

「あいつはどうして聞かんのか、謗るのか」と見下げる心も、怒りの心も霧散する。

多生にも億劫にもあり得ぬことが、どうして現にわが身に起きているのか。原因を知ることこそが、最も肝要ではなかろうか。

続きを読む »

2010/06/30

家族に伝えたい|親鸞会 顕正新聞

四国の妙好人(みょうこうにん)・庄松(しょうま)同行が、深夜、寺の門を叩き、「大変だ!大変だ!」と叫んだ。

「どうした庄松」

起こされた住職が尋ねると、

「オラ、疑いが起きてきたんだ。地獄は本当にあるのか?」

「今更、お前、何を言う」

「本当に地獄があるのなら、まず妻子に伝えにゃならんだろう。他人に勧めるばかりで家族に伝えていないじゃないか。無いものをあるように教えているからでないかと、疑いが起きてきたのじゃ」

と、辛辣に切り込んでいる。

袖触れ合うも多生の縁といわれる。ましてや家族となれば、よほど深い因縁があってのことだ。久遠劫より流転を重ね、今生、巡り遇わせていただいた阿弥陀仏の本願、往生極楽の道を、自分だけ喜び、家族を放っておけるものでなかろう。
「わが妻子ほど不便なることなし、それを勧化せぬは浅ましき事なり」

蓮如上人の大喝である。

続きを読む »

親鸞会講座

最新の情報


Go Top