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	<description>親鸞会の情報をお届けするポータルサイト</description>
	<pubDate>Fri, 13 Aug 2010 01:12:19 +0000</pubDate>
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		<title>『歎異抄』解説書の比較対照【１３】 《弥陀の本願まことにおわしまさば》</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/08/hikaku13.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/08/hikaku13.htm#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Aug 2010 00:31:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[歎異抄解説書の比較対照]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　歎異抄]]></category>

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		<description><![CDATA[
前回（《『歎異抄』解説本を比較する意義》 親鸞会.NET　）に引き続き『歎異抄をひらく』と他の『歎異抄解説書』を比較してみましょう。
「弥陀の本願まことにおわしまさば」の真意

原文

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。   （『歎異抄』二章）

梅原猛氏著『誤解された歎異抄』の意訳

もしも阿弥陀さまの衆生救済の願いが真実であるとすれば、そのことをあの『三部経』という経典で説いたお釈迦さまの説法が間違っているはずはありません。もしもこのような『三部経』におけるお釈迦さまの説法が間違っていなかったならば、それを正しく解釈した善導大師の注釈書が間違っているはずがありません。

↑
↓

高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』の意訳

弥陀の本願がまことだから、唯その本願を説かれた、釈尊の教えにウソがあるはずはない。
釈迦の説法がまことならば、そのまま説かれた、善導大師の御釈に偽りがあるはずがなかろう。

『歎異抄』二章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」を、「もしも本願が、まことであるとするならば」と領解する人が多くあります。
ですが、この章は、弥陀の誓願に疑いが生じた関東の同行が、「直に本当のところをお聞きしたい」と、京都にまします聖人を命として、決死の覚悟で訪ねた時に仰ったお言葉です。
弥陀の本願が「まことか、どうか」をお尋ねした同行に、聖人が「もし、まことであるならば」と仮定で語られたとすれば、何の解答にもなりません。なぜ、答えにならない答えをされたのか、解説者は説明に苦心してきました。
例えば

延塚知道氏著『親鸞の説法「歎異抄」の世界』は、この一節は
『歎異抄』は、『観経』の伝統の中から生まれてきた書物であることを伝えようとしていると解説しています。

釈尊が『観無量寿経』で説かれた「弥陀の本願」を、善導大師が『観無量寿経疏』で注釈され、それをそのまま法然上人、親鸞聖人が伝えられているという「伝統」を示すものだと言うのです。「本願まことか、どうか」を命懸けで聞きに来た同行に、聖人がそんな「伝統」を語られるはずがないでしょう。

また、山崎龍明氏著『初めての歎異抄』は、
「親鸞聖人はやや遠慮がちにいっています」と解説していますが、聖人が「本願まこと」を「遠慮がち」に語られることなど、考えられません。

仮定で語られることすら「本来、親鸞にはありえない」のだと、
石田瑞麿氏著『歎異抄　その批判的考察』は、こう批判します。

「マコトニオハシマサハ」という仮定的表現は親鸞のどこをつっついたら出てくるのか、考えてみてほしい。親鸞においては、「本願」が「マコト」であるかどうか疑問視されたり、「マコト」と一応、仮定してみたりできる余地は本来、寸毫もない。（中略）「弥陀ノ本願マコトニオハシマサハ」という仮定は、本来、親鸞にはありえないことがわかる。それが、ここでこんな形で語られたのは、遠来の人たちの問いが余りにも見当はずれなものだったことによる。

関東の同行の問いがあまりにも見当外れだったから、『歎異抄』だけは、本来ありえない表現がなされたというのでは、取って付けたような説明です。

「仮定」で解釈する従来の説は訂正されるべきと主張する倫理学者もいますが、
佐藤正英氏著『歎異抄論註』の解説は、

「弥陀の本願まことにおはしまさば」の「ば」に、疑問あるいは仮説の意を含ませて解したのでは文意が死んでしまう。従来の解釈は訂されねばならない。（中略）だが、なぜ平叙文ではなく「おはしまさば、……」あるいは「ならば、……」という仮定的な言い廻しが用いられているのだろう。親鸞は、阿弥陀仏の誓願が〈真にして実なる〉ものであることを己れの〈知〉において捉えているわけではない。〈信〉を抱いているにすぎない。いいかえれば己れの〈信〉においてのみ阿弥陀仏の誓願は〈真にして実なる〉ものとして現前している。その〈信〉の地平を明示せんがためであろう。

この説明は、「……であろう」という私見にすぎません。親鸞聖人は、「弥陀の本願まこと」を自分の知恵で“知っておられた”のではなく、「〈信〉を抱いているにすぎない」ことを明示されたのであろう、と推測するにとどまっています。肝心なのは、「弥陀の本願まこと」だと「〈信〉を抱いている」という、その「信」の意味です。これがご自分の心で信じ固めた「信念」にすぎないのか、阿弥陀仏から頂いた「他力の信心」なのか、最も大切なことが書かれていません。

安良岡康作氏著『歎異抄　全講読』も、この一節の「明言・確説は、話し手である親鸞の信念によって証得されたものである」と解説していますが、これでは聖人はご自分の心で信じ固めた「信念」を語られていることになります。


『歎異抄をひらく』では、「弥陀の本願まこと」と疑い晴れた心は、ひとえに弥陀から賜る「他力の信心」であると明言されています。

弥陀の本願に疑い晴れた心は、決して私たちがおこせる心ではない。この心が私たちにおきるのは、まったく弥陀より賜るからである。
ゆえに、「他力の信心」と言われる。「他力」とは「弥陀より頂く」ことをいう。
このように親鸞聖人の信心は、我々が「疑うまい」と努める「信心」とはまったく違い、“弥陀の本願に疑い晴れた心”を弥陀より賜る、まさに超世希有の「信心」であり、「信楽」とも言われるゆえんである。

そして『ひらく』では、「弥陀の本願まことにおわしまさば」は、「まことならば」と「仮定」で語られたのではなく、「弥陀の本願まことだから」という「断定」であると、根拠を挙げて明快な解説がなされています。

だが親鸞聖人には、弥陀の本願以外、この世にまことはなかったのだ。

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法  （教行信証）
まことだった、まことだった。弥陀の本願まことだった。

の大歓声や、

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします  （歎異抄）
火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ。

『歎異抄』の「念仏のみぞまこと」は、「弥陀の本願念仏のみぞまこと」の簡略である。聖人の「本願まことの信念」は明白であろう。
親鸞聖人の著作はどこも、「弥陀の本願まこと」の讃嘆で満ちている。「弥陀の本願まこと」が、常に聖人の原点であったのだ。その聖人が、仮定で「本願」を語られるはずがなかろう。
「弥陀の本願まことにおわしまさば」は、「弥陀の本願まことだから」の断定にほかならない。

「弥陀の本願まこと」と、いくら言っても言い足りないのが他力信心なのです。
各人各様の推測や私見をどれだけ読んでも、「弥陀の本願まことにおわしまさば」の理解はおぼつかない。

 
＊梅原　猛……日本を代表する哲学者。
京都市立芸術大学名誉教授。
国際日本文化研究センター名誉教授

＊延塚知道……大谷大学教授

＊山崎龍明……元・西本願寺教学本部講師。
武蔵野大学教授。専門は親鸞聖人、『歎異抄』

＊石田瑞麿……元・東海大学教授。浄土教の研究に専心。著書多数

＊佐藤正英……東京大学名誉教授。
日本倫理思想史、倫理学の研究者

＊安良岡康作……国文学者。
東京学芸大学名誉教授

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親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１３】 《弥陀の本願まことにおわしまさば》




 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
前回（<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/hikaku1.htm" target="_blank">《『歎異抄』解説本を比較する意義》 親鸞会.NET</a>　）に引き続き『歎異抄をひらく』と他の『歎異抄解説書』を比較してみましょう。<br />
<span style="font-size: medium;">「弥陀の本願まことにおわしまさば」の真意</span><br />
<br />
原文<br />
<br />
<span style="color: #ff0000;">弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。   （『歎異抄』二章）</span><br />
<br />
梅原猛氏著『誤解された歎異抄』の意訳<br />
<br />
<span style="color: #008080;">もしも阿弥陀さまの衆生救済の願いが真実であるとすれば、そのことをあの『三部経』という経典で説いたお釈迦さまの説法が間違っているはずはありません。もしもこのような『三部経』におけるお釈迦さまの説法が間違っていなかったならば、それを正しく解釈した善導大師の注釈書が間違っているはずがありません。</span><br />
<span style="color: #800080;"><span style="color: #000000;"><br />
↑<br />
↓</span></span><br />
<br />
高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』の意訳<br />
<br />
<span style="color: #800080;">弥陀の本願がまことだから、唯その本願を説かれた、釈尊の教えにウソがあるはずはない。<br />
釈迦の説法がまことならば、そのまま説かれた、善導大師の御釈に偽りがあるはずがなかろう。</span><br />
<br />
『歎異抄』二章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」を、「もしも本願が、まことであるとするならば」と領解する人が多くあります。<br />
ですが、この章は、弥陀の誓願に疑いが生じた関東の同行が、「直に本当のところをお聞きしたい」と、京都にまします聖人を命として、決死の覚悟で訪ねた時に仰ったお言葉です。<br />
弥陀の本願が「まことか、どうか」をお尋ねした同行に、聖人が「もし、まことであるならば」と仮定で語られたとすれば、何の解答にもなりません。なぜ、答えにならない答えをされたのか、解説者は説明に苦心してきました。<br />
例えば<br />
<br />
<span style="color: #008080;">延塚知道氏著『親鸞の説法「歎異抄」の世界』</span>は、この一節は<br />
<span style="color: #008080;">『歎異抄』は、『観経』の伝統の中から生まれてきた書物であることを伝えようとしていると解説</span>しています。<br />
<br />
釈尊が『観無量寿経』で説かれた「弥陀の本願」を、善導大師が『観無量寿経疏』で注釈され、それをそのまま法然上人、親鸞聖人が伝えられているという「伝統」を示すものだと言うのです。「本願まことか、どうか」を命懸けで聞きに来た同行に、聖人がそんな「伝統」を語られるはずがないでしょう。<br />
<br />
また、<span style="color: #008080;">山崎龍明氏著『初めての歎異抄』</span>は、<br />
<span style="color: #008080;">「親鸞聖人はやや遠慮がちにいっています」と解説</span>していますが、聖人が「本願まこと」を「遠慮がち」に語られることなど、考えられません。<br />
<br />
仮定で語られることすら「本来、親鸞にはありえない」のだと、<br />
<span style="color: #008080;">石田瑞麿氏著『歎異抄　その批判的考察』</span>は、こう批判します。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「マコトニオハシマサハ」という仮定的表現は親鸞のどこをつっついたら出てくるのか、考えてみてほしい。親鸞においては、「本願」が「マコト」であるかどうか疑問視されたり、「マコト」と一応、仮定してみたりできる余地は本来、寸毫もない。（中略）「弥陀ノ本願マコトニオハシマサハ」という仮定は、本来、親鸞にはありえないことがわかる。それが、ここでこんな形で語られたのは、遠来の人たちの問いが余りにも見当はずれなものだったことによる。</span><br />
<br />
関東の同行の問いがあまりにも見当外れだったから、『歎異抄』だけは、本来ありえない表現がなされたというのでは、取って付けたような説明です。<br />
<br />
「仮定」で解釈する従来の説は訂正されるべきと主張する倫理学者もいますが、<br />
<span style="color: #008080;">佐藤正英氏著『歎異抄論註』</span>の解説は、<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「弥陀の本願まことにおはしまさば」の「ば」に、疑問あるいは仮説の意を含ませて解したのでは文意が死んでしまう。従来の解釈は訂されねばならない。（中略）だが、なぜ平叙文ではなく「おはしまさば、……」あるいは「ならば、……」という仮定的な言い廻しが用いられているのだろう。親鸞は、阿弥陀仏の誓願が〈真にして実なる〉ものであることを己れの〈知〉において捉えているわけではない。〈信〉を抱いているにすぎない。いいかえれば己れの〈信〉においてのみ阿弥陀仏の誓願は〈真にして実なる〉ものとして現前している。その〈信〉の地平を明示せんがためであろう。</span><br />
<br />
この説明は、「……であろう」という私見にすぎません。親鸞聖人は、「弥陀の本願まこと」を自分の知恵で“知っておられた”のではなく、「〈信〉を抱いているにすぎない」ことを明示されたのであろう、と推測するにとどまっています。肝心なのは、「弥陀の本願まこと」だと「〈信〉を抱いている」という、その「信」の意味です。これがご自分の心で信じ固めた「信念」にすぎないのか、阿弥陀仏から頂いた「他力の信心」なのか、最も大切なことが書かれていません。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">安良岡康作氏著『歎異抄　全講読』</span>も、この一節の「明言・確説は、話し手である親鸞の信念によって証得されたものである」と解説していますが、これでは聖人はご自分の心で信じ固めた「信念」を語られていることになります。<br />
<br />
<span style="color: #800080;"><br />
『歎異抄をひらく』</span>では、「弥陀の本願まこと」と疑い晴れた心は、ひとえに弥陀から賜る「他力の信心」であると明言されています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">弥陀の本願に疑い晴れた心は、決して私たちがおこせる心ではない。この心が私たちにおきるのは、まったく弥陀より賜るからである。<br />
ゆえに、「他力の信心」と言われる。「他力」とは「弥陀より頂く」ことをいう。<br />
このように親鸞聖人の信心は、我々が「疑うまい」と努める「信心」とはまったく違い、“弥陀の本願に疑い晴れた心”を弥陀より賜る、まさに超世希有の「信心」であり、「信楽」とも言われるゆえんである。</span><br />
<br />
そして『ひらく』では、「弥陀の本願まことにおわしまさば」は、「まことならば」と「仮定」で語られたのではなく、「弥陀の本願まことだから」という「断定」であると、根拠を挙げて明快な解説がなされています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">だが親鸞聖人には、弥陀の本願以外、この世にまことはなかったのだ。</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法  （教行信証）<br />
まことだった、まことだった。弥陀の本願まことだった。</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">の大歓声や、</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします  （歎異抄）<br />
火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ。</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">『歎異抄』の「念仏のみぞまこと」は、「弥陀の本願念仏のみぞまこと」の簡略である。聖人の「本願まことの信念」は明白であろう。<br />
親鸞聖人の著作はどこも、「弥陀の本願まこと」の讃嘆で満ちている。「弥陀の本願まこと」が、常に聖人の原点であったのだ。その聖人が、仮定で「本願」を語られるはずがなかろう。<br />
「弥陀の本願まことにおわしまさば」は、「弥陀の本願まことだから」の断定にほかならない。</span><br />
<br />
「弥陀の本願まこと」と、いくら言っても言い足りないのが他力信心なのです。<br />
各人各様の推測や私見をどれだけ読んでも、「弥陀の本願まことにおわしまさば」の理解はおぼつかない。<br />
<br />
 <br />
＊梅原　猛……日本を代表する哲学者。<br />
京都市立芸術大学名誉教授。<br />
国際日本文化研究センター名誉教授<br />
<br />
＊延塚知道……大谷大学教授<br />
<br />
＊山崎龍明……元・西本願寺教学本部講師。<br />
武蔵野大学教授。専門は親鸞聖人、『歎異抄』<br />
<br />
＊石田瑞麿……元・東海大学教授。浄土教の研究に専心。著書多数<br />
<br />
＊佐藤正英……東京大学名誉教授。<br />
日本倫理思想史、倫理学の研究者<br />
<br />
＊安良岡康作……国文学者。<br />
東京学芸大学名誉教授<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2009/10/hikak.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１】《ただ念仏して》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2009/12/hikak-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【２】《弥陀の本願まことにおわしまさば》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/03/tannisyo-16.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【３】「急ぎ仏になりて」</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/04/tannisyo-17.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【４】歎異抄第一章の「往生」は「新しい生活」のこと？？　（親鸞会.NET）</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/04/hik.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【５】「ただ信心を要とす」の「信心」とは</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/04/tannisyo-18.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【６】「他の善も要にあらず」の誤解で真宗凋落<br />
</a><a href="http://www.shinrankai.net/2010/04/tannisyo-19.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【７】　なぜ東大教授も誤読したのか　親鸞会.NET</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/05/hikaku-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【８】『歎異抄』と「二種深信」 親鸞会.NET</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/05/hika.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【９】『霧に包まれる「摂取不捨の利益」　　親鸞会.NET<br />
</a><a href="http://www.shinrankai.net/2010/06/hikaku.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【10-1】《『弥陀の救い「無碍の一道」とは　親鸞会.NET》）</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/06/hika102.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【10-2】《『弥陀の救い「無碍の一道」とは　親鸞会.NET》）<br />
</a><a href="http://www.shinrankai.net/2010/06/hika11.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１１】《弥陀の救いは平生の一念》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/hikaku1.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１２】《『歎異抄』解説本を比較する意義》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/08/hikaku13.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１３】 《弥陀の本願まことにおわしまさば》</a><br />
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<a href="../2010/06/hika102.htm" target="_blank"><br />
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 <img src="http://www.shinrankai.net/wp-content/uploads/2010/08/gj109_l-300x225.jpg" alt="歎異抄" title="歎異抄" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1770" /></p>
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		<item>
		<title>『歎異抄』解説書の比較対照【１２】《『歎異抄』解説本を比較する意義》</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/hikaku1.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/hikaku1.htm#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 17 Jul 2010 00:35:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[歎異抄解説書の比較対照]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　歎異抄]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1751</guid>
		<description><![CDATA[
前回（《弥陀の救いは平生の一念　親鸞会.NET》）
に引き続き『歎異抄をひらく』と他の『歎異抄解説書』を比較してみましょう。

●『歎異抄』解説本を比較する意義

「まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むる所、いささかこれを註す」
（『歎異抄』序）

〔意訳〕
決して勝手な判断によって、他力の真義を乱すことがあってはならない。このような願いから、かつて聖人の仰せになった、耳の底に残る忘れ得ぬお言葉を、わずかながらも記しておきたい。

『歎異抄』の著者は、後の人が断じて「自見」（自分の勝手な判断）によって教えを曲げることのないようにと、耳の底に残る親鸞聖人のお言葉を、泣く泣く書き記しました。
それから七百年たった今、聖人の願いもむなしく、『歎異抄』は「自見」や「私見」「主観」で奔放に解釈され、根拠のない無責任な解説がまかり通り、親鸞聖人の教えが大きく誤解されています。
異説を正すために書かれた『歎異抄』が、新たな異説・誤解を生んでいるのです。

親鸞聖人が直接、書かれたお言葉を示して、世間に流布した誤謬（あやまり）を正さねばなりません。

高森先生のご著書『歎異抄をひらく』が、聖人自作の『教行信証』や、覚如上人、蓮如上人のお言葉で、古今の間違いや曖昧さをどのように正し、『歎異抄』の真意をひらいているか、比較してみたいと思います。

●弥陀の救いは信心一つか、念仏か

『歎異抄をひらく』が世に出てから三カ月後、山崎龍明著『初めての歎異抄』という書が出ました。
これは平成１８年のＮＨＫ番組「こころの時代　歎異抄を語る」のテキストをもとに出版した本です。
新たに書かれたものではありませんが、著者は武蔵野大学の教授で、現役の『歎異抄』研究者の中ではトップレベルと評されています。
その最新刊となれば、今の真宗界を代表する解説書といえるでしょう。

今日は、この本と『歎異抄をひらく』を比較しながら、『歎異抄』の特に誤解されやすい点を検討していきます。

●「ただ念仏して」の誤解

〔原文〕

親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。 （『歎異抄』二章）

〔意訳・山崎龍明『初めての歎異抄』〕
この親鸞においては、「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われて、広大な世界に生まれていくだけです」という法然聖人のお言葉を信じているだけで、ほかになにかの理由があるわけではありません。

〔意訳・高森先生『歎異抄をひらく』〕
親鸞はただ、「本願を信じ念仏して、弥陀に救われなされ」と教える、法然上人の仰せに順い信ずるほかに、何もないのだ。

『歎異抄』二章の「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」の「ただ」の誤解が甚だしい。
「ただ口で、南無阿弥陀仏と称えて」と理解して、「聖人は、ただ念仏を称えて救われたのだ」と思っている人が非常に多くあります。

山崎氏もそう解説していますが、&#8221;ただ念仏を称えて救われる&#8221;という一般的な解釈だけでは心配なのか、念仏より信心を重んずる別の解釈もあると、次のように言葉を濁しています。

（『初めての歎異抄』）
この「ただ念仏」という語は、一般的には文字どおり「ただ念仏」するということで、ここの「ただ」とは「念仏し」にかかる副詞です。

しかし、この「ただ」はあとの「信ずるほかに別の子細なきなり」の「信ずる」にかかると指摘する人もいます（前掲、佐藤正英『歎異抄論註』）。
親鸞聖人は念仏を称えることよりも、「信」ずることを中心にしたという立場からの指摘のようです。

他人事のような書き方ですが、山崎氏本人は「親鸞聖人は念仏を称えることよりも、『信』ずることを中心にしたという立場」ではないようです。
ですが聖人の教えは、「『信』ずることを中心にした」どころではありません。
&#8220;信心一つで救われる&#8221;というのが、一貫した聖人の教えであり、これ以外に九十年の生涯、教えられたことはなかったのです。
これを間違えたら、「ただ念仏して」はおろか親鸞聖人の教えすべてを誤解することになってしまいます。
その最も大事な教説の根拠を、『歎異抄をひらく』では繰り返し提示されているのです。

以下はその一部です。

（『歎異抄をひらく』１５０ページ）

「涅槃の真因は唯信心を以てす」（教行信証）

浄土往生の真の因は、ただ信心一つである。

「正定の因は唯信心なり」（正信偈）

仏になれる身になる因は、信心一つだ。

（『歎異抄をひらく』１７３ページ）

聖人の教えは一貫して、信心一つの救いだから、「唯信独達の法門」といわれることは、既に詳述した（１５０ページ）。
『歎異抄』では「ただ信心を要とす」（第一章）と明示し、蓮如上人の証文も多数にのぼる。
ほんの数例、『御文章』から挙げてみよう。

「往生浄土の為にはただ他力の信心一つばかりなり」
（二帖目五通）

浄土へ往くには、他力の信心一つで、ほかは無用である。

「信心一つにて、極楽に往生すべし」（二帖目七通）

信心一つで、極楽に往生するのだ。

「他力の信心一つを取るによりて、極楽にやすく
往生すべきことの、更に何の疑いもなし」
（二帖目十四通）

他力の信心一つ獲得すれば、極楽に往生することに何の疑いもないのである。

最も人口に膾炙されるのは、次の『御文章』だろう。

「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」（五帖目十通）

親鸞聖人の教えは&#8221;信心一つで助かる&#8221;という教示である。

蓮如上人は断言されている。

『歎異抄をひらく』では、&#8221;信心一つで助かる&#8221;という聖人のお言葉を根拠
に、「ただ念仏して」の「ただ」は、他力信心を表す「ただ」であると詳説
され、「ただ念仏さえ称えたら救われる」という世の迷妄を正されています。

そして次の「念仏して」は、救われた喜びから噴き上がる「報謝の念仏」になることも、根拠を挙げて説示されています。

「ただ」は一般的にはこういう意味、また別の指摘もあるという「私見」の羅列を、親鸞学徒は容認してはなりません。

モノサシとすべきは、親鸞聖人のお言葉なのです。

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]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
前回（<a href="http://www.shinrankai.net/2010/06/hika11.htm" target="_blank">《弥陀の救いは平生の一念　親鸞会.NET》</a>）<br />
に引き続き『歎異抄をひらく』と他の『歎異抄解説書』を比較してみましょう。<br />
<br />
<span style="background-color: #ffff99;">●『歎異抄』解説本を比較する意義</span><br />
<br />
<span style="color: #ff0000;">「まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むる所、いささかこれを註す」<br />
（『歎異抄』序）</span><br />
<br />
〔<span style="color: #666699;">意訳〕<br />
決して勝手な判断によって、他力の真義を乱すことがあってはならない。このような願いから、かつて聖人の仰せになった、耳の底に残る忘れ得ぬお言葉を、わずかながらも記しておきたい。</span><br />
<br />
『歎異抄』の著者は、後の人が断じて「自見」（自分の勝手な判断）によって教えを曲げることのないようにと、耳の底に残る親鸞聖人のお言葉を、泣く泣く書き記しました。<br />
それから七百年たった今、聖人の願いもむなしく、『歎異抄』は「自見」や「私見」「主観」で奔放に解釈され、根拠のない無責任な解説がまかり通り、親鸞聖人の教えが大きく誤解されています。<br />
異説を正すために書かれた『歎異抄』が、新たな異説・誤解を生んでいるのです。<br />
<br />
親鸞聖人が直接、書かれたお言葉を示して、世間に流布した誤謬（あやまり）を正さねばなりません。<br />
<br />
高森先生のご著書『歎異抄をひらく』が、聖人自作の『教行信証』や、覚如上人、蓮如上人のお言葉で、古今の間違いや曖昧さをどのように正し、『歎異抄』の真意をひらいているか、比較してみたいと思います。<br />
<br />
●<span style="background-color: #ffff99;">弥陀の救いは信心一つか、念仏か</span><br />
<br />
『歎異抄をひらく』が世に出てから三カ月後、<span style="color: #008080;"><span style="background-color: #ffffff;">山崎龍明著『初めての歎異抄』</span></span>という書が出ました。<br />
これは平成１８年のＮＨＫ番組「こころの時代　歎異抄を語る」のテキストをもとに出版した本です。<br />
新たに書かれたものではありませんが、著者は武蔵野大学の教授で、現役の『歎異抄』研究者の中ではトップレベルと評されています。<br />
その最新刊となれば、今の真宗界を代表する解説書といえるでしょう。<br />
<br />
今日は、この本と『歎異抄をひらく』を比較しながら、『歎異抄』の特に誤解されやすい点を検討していきます。<br />
<br />
<span style="background-color: #ffff99;">●「ただ念仏して」の誤解</span><br />
<br />
〔原文〕<br />
<br />
<span style="color: #ff0000;">親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。 （『歎異抄』二章）</span><br />
<br />
<span style="color: #008080;">〔意訳・山崎龍明『初めての歎異抄』〕<br />
この親鸞においては、「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われて、広大な世界に生まれていくだけです」という法然聖人のお言葉を信じているだけで、ほかになにかの理由があるわけではありません。</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">〔意訳・高森先生『歎異抄をひらく』〕<br />
親鸞はただ、「本願を信じ念仏して、弥陀に救われなされ」と教える、法然上人の仰せに順い信ずるほかに、何もないのだ。</span><br />
<br />
『歎異抄』二章の「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」の「ただ」の誤解が甚だしい。<br />
「ただ口で、南無阿弥陀仏と称えて」と理解して、「聖人は、ただ念仏を称えて救われたのだ」と思っている人が非常に多くあります。<br />
<br />
山崎氏もそう解説していますが、&#8221;ただ念仏を称えて救われる&#8221;という一般的な解釈だけでは心配なのか、念仏より信心を重んずる別の解釈もあると、次のように言葉を濁しています。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">（『初めての歎異抄』）<br />
この「ただ念仏」という語は、一般的には文字どおり「ただ念仏」するということで、ここの「ただ」とは「念仏し」にかかる副詞です。</span><br />
<br />
しかし、この「ただ」はあとの「信ずるほかに別の子細なきなり」の「信ずる」にかかると指摘する人もいます（前掲、佐藤正英『歎異抄論註』）。<br />
親鸞聖人は念仏を称えることよりも、「信」ずることを中心にしたという立場からの指摘のようです。<br />
<br />
他人事のような書き方ですが、山崎氏本人は「親鸞聖人は念仏を称えることよりも、『信』ずることを中心にしたという立場」ではないようです。<br />
ですが聖人の教えは、「『信』ずることを中心にした」どころではありません。<br />
&#8220;信心一つで救われる&#8221;というのが、一貫した聖人の教えであり、これ以外に九十年の生涯、教えられたことはなかったのです。<br />
これを間違えたら、「ただ念仏して」はおろか親鸞聖人の教えすべてを誤解することになってしまいます。<br />
その最も大事な教説の根拠を、『歎異抄をひらく』では繰り返し提示されているのです。<br />
<br />
以下はその一部です。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">（『歎異抄をひらく』１５０ページ）</span><br />
<br />
「涅槃の真因は唯信心を以てす」（教行信証）<br />
<br />
浄土往生の真の因は、ただ信心一つである。<br />
<br />
「正定の因は唯信心なり」（正信偈）<br />
<br />
仏になれる身になる因は、信心一つだ。<br />
<br />
（『歎異抄をひらく』１７３ページ）<br />
<br />
聖人の教えは一貫して、信心一つの救いだから、「唯信独達の法門」といわれることは、既に詳述した（１５０ページ）。<br />
『歎異抄』では「ただ信心を要とす」（第一章）と明示し、蓮如上人の証文も多数にのぼる。<br />
ほんの数例、『御文章』から挙げてみよう。<br />
<br />
「往生浄土の為にはただ他力の信心一つばかりなり」<br />
（二帖目五通）<br />
<br />
浄土へ往くには、他力の信心一つで、ほかは無用である。<br />
<br />
「信心一つにて、極楽に往生すべし」（二帖目七通）<br />
<br />
信心一つで、極楽に往生するのだ。<br />
<br />
「他力の信心一つを取るによりて、極楽にやすく<br />
往生すべきことの、更に何の疑いもなし」<br />
（二帖目十四通）<br />
<br />
他力の信心一つ獲得すれば、極楽に往生することに何の疑いもないのである。<br />
<br />
最も人口に膾炙されるのは、次の『御文章』だろう。<br />
<br />
「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」（五帖目十通）<br />
<br />
親鸞聖人の教えは&#8221;信心一つで助かる&#8221;という教示である。<br />
<br />
蓮如上人は断言されている。<br />
<br />
<span style="text-decoration: underline;">『歎異抄をひらく』では、&#8221;信心一つで助かる&#8221;という聖人のお言葉を根拠<br />
に、「ただ念仏して」の「ただ」は、他力信心を表す「ただ」であると詳説</span><br />
され、「ただ念仏さえ称えたら救われる」という世の迷妄を正されています。<br />
<br />
そして次の<span style="text-decoration: underline;">「念仏して」は、救われた喜びから噴き上がる「報謝の念仏」</span>になることも、根拠を挙げて説示されています。<br />
<br />
「ただ」は一般的にはこういう意味、また別の指摘もあるという「私見」の羅列を、親鸞学徒は容認してはなりません。<br />
<br />
モノサシとすべきは、親鸞聖人のお言葉なのです。<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2009/10/hikak.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１】《ただ念仏して》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2009/12/hikak-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【２】《弥陀の本願まことにおわしまさば》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/03/tannisyo-16.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【３】「急ぎ仏になりて」</a><br />
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<a href="http://www.shinrankai.net/2010/04/hik.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【５】「ただ信心を要とす」の「信心」とは</a><br />
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</a><a href="http://www.shinrankai.net/2010/04/tannisyo-19.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 比較対照『歎異抄をひらく』【７】　なぜ東大教授も誤読したのか　親鸞会.NET</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/05/hikaku-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【８】『歎異抄』と「二種深信」 親鸞会.NET</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/05/hika.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【９】『霧に包まれる「摂取不捨の利益」　　親鸞会.NET<br />
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</a><a href="http://www.shinrankai.net/2010/06/hika11.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１１】《弥陀の救いは平生の一念》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/hikaku1.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１２】《『歎異抄』解説本を比較する意義》</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/08/hikaku13.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 『歎異抄』解説書の比較対照【１３】 《弥陀の本願まことにおわしまさば》</a><br />
<br />
<a href="../2010/06/hika102.htm" target="_blank"><br />
</a><br />
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<a href="../2010/06/hika102.htm" target="_blank"><br />
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<br />
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</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（１）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 Jul 2010 00:00:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1496</guid>
		<description><![CDATA[
当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載したいと思います。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───

ネット上で、浄土真宗の重要な教えについての、論争がなされていました。

○論争の発端は、浄土真宗親鸞会で仏教を聞き始めたという「新人太郎」さんに対して、「４５９」と名乗る人物が、

「浄土真宗では善を勧めないのに、親鸞会は善を勧めているから間違いだ」

と発言したことです。

そして、

〝浄土真宗では善を勧めない〟根拠として、

「親鸞聖人は『雑行（ぞうぎょう）を捨てよ』と仰っている」

と主張しました。

「雑行を捨てよ」

とは、

「諸善をやめよ。善をするな」

ということだ、というのです。

（※雑行について、漫画で分かりやすくコチラで解説されています）
↓　　↓　　↓

【マンガ解説】『雑行・雑修・自力の心』浄土真宗親鸞会 公式サイト
http://www.shinrankai.or.jp/b/zougyou-zasshu-jiriki/index.htm


○争点は、
「雑行を捨てよ」とは、「諸善を捨てよ」ということなのか。
「雑行を捨てよ」と教えられた真意は何か、に絞られてきました。
親鸞聖人の教えを少しでも知る者にとって、「雑行」とは何か。
最重要の問題であり、誤解を放置しておれるものではありません。

果たして、親鸞聖人の教えに善の勧めはあるのか、ないのか。
正しい浄土真宗の教えを知って頂くご縁になればと、この「新人太郎氏」と「４５９氏」との論争をまとめてみました。

（全記録はこちらのサイトhttp://www.geocities.jp/shinran0826/index.htmにありますので、詳しく知りたい方はどうぞお読み下さい）

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●先に述べましたように、事の始まりは、４５９氏が、

「真宗では『諸善』を勧めていません。『極善』を勧めているんです」
と発言されたことです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

これに対して、新人太郎氏は、

折角のご返事でしたが、
「真宗では『諸善』を勧めていません。『極善』を勧めているんです」
とあるのには、少々とまどいました。
「諸善」と「極善」の違いを、仏教の素人にもわかるように教えてください。
お願いします。

と問われました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

４５９氏は、こう答えています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

では仏教の素人（？）にもわかってもらえるようにカキコするつもりでいきます。

『諸善』とは六度万行といえばわかりますか？

布施（お金を寄付する、仏法の話をする）、持戒（戒律を守る）などですね。他にもあります。

『極善』とは念仏です。南無阿弥陀仏です。

違いはわかりましたか？

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここから、新人太郎氏は、

「『極善』「念仏」「南無阿弥陀仏」とはどんなことなのか」、
これが分からなければ、
「浄土真宗は諸善を勧めない、とはどういうことか。浄土真宗は何をどう勧められているのか」
が分かりませんから、重ねて『極善』の意味を尋ねます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

早速の返信、ありがとうございました。
「これで諸善と極善の違いがわかりましたか」
とありましたが、失礼ですが、さっぱり分かりません。
仏教に素人の私には、諸善の説明はわかりましたが、
「極善とは念仏です。南無阿弥陀仏です」
の念仏とはなんですか。南無阿弥陀仏とはなんのことでしょうか。

逃げも見放したりもせず、仏教の素人にも分かるように説明すると言われている力強い言葉がうれしいです。
よろしくお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ところがこの素朴な新人太郎氏の質問に、４５９氏はいっこうに答えません。

先に、大上段に構え、

「浄土真宗は極善を勧めているんです」

と主張していたのに、その意味を尋ねられると答えない。

何と無責任かと驚いたものでした。

同時に、言葉の意味を知らずに使うと悲惨な結果をまねく、典型例を見る思いがいたします。

さてこの後、４５９氏は、

「とにかく親鸞聖人は、『諸善』を勧められていないんだ」

という論調で、話を切り上げよう（逃げよう）としたのですが、

新人太郎氏から「待った」がかかりました。

続きは、次回に。

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（３）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（４）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（５）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（６）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（８）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（９）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１０・最終回）　親鸞会.NET




 


]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載したいと思います。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
<br />
ネット上で、浄土真宗の重要な教えについての、論争がなされていました。<br />
<br />
○論争の発端は、浄土真宗<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>で仏教を聞き始めたという<span style="color: #0000ff;">「新人太郎」</span>さんに対して、<span style="color: #008000;">「４５９」</span>と名乗る人物が、<br />
<span style="color: #008000;"><br />
「浄土真宗では善を勧めないのに、<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>は善を勧めているから間違いだ」</span><br />
<br />
と発言したことです。<br />
<br />
そして、<br />
<br />
<span style="color: #008000;">〝浄土真宗では善を勧めない</span><span style="color: #008000;">〟</span><span style="color: #008000;">根拠として、</span><br />
<br />
<span style="color: #008000;">「親鸞聖人は『雑行（ぞうぎょう）を捨てよ』と仰っている」</span><br />
<br />
と主張しました。<br />
<br />
<span style="color: #008000;">「雑行を捨てよ」</span><br />
<br />
<span style="color: #008000;">とは、</span><br />
<br />
<span style="color: #008000;">「諸善をやめよ。善をするな」</span><br />
<br />
<span style="color: #008000;">ということだ、というのです。</span><br />
<br />
（※雑行について、漫画で分かりやすくコチラで解説されています）<br />
↓　　↓　　↓<br />
<br />
【マンガ解説】『雑行・雑修・自力の心』浄土真宗<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a> 公式サイト<br />
<a href="http://www.shinrankai.or.jp/b/zougyou-zasshu-jiriki/index.htm" target="_blank">http://www.shinrankai.or.jp/b/zougyou-zasshu-jiriki/index.htm<br />
</a><br />
<br />
○<span style="color: #ff0000;">争点は</span>、<br />
<span style="color: #800080;">「雑行を捨てよ」とは、「諸善を捨てよ」ということなのか。</span><br />
「雑行を捨てよ」と教えられた真意は何か、に絞られてきました。<br />
親鸞聖人の教えを少しでも知る者にとって、「雑行」とは何か。<br />
最重要の問題であり、誤解を放置しておれるものではありません。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">果たして、親鸞聖人の教えに善の勧めはあるのか、ないのか。<br />
</span>正しい浄土真宗の教えを知って頂くご縁になればと、この「新人太郎氏」と「４５９氏」との論争をまとめてみました。<br />
<br />
（<span style="color: #800080;">全記録</span>はこちらのサイト<a href="http://www.geocities.jp/shinran0826/index.htm" target="_blank">http://www.geocities.jp/shinran0826/index.htm</a>にありますので、詳しく知りたい方はどうぞお読み下さい）<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
●先に述べましたように、事の始まりは、<span style="color: #008080;">４５９氏</span>が、<br />
<span style="color: #008080;"><br />
「真宗では『諸善』を勧めていません。『極善』を勧めているんです」</span><br />
と発言されたことです。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
これに対して、<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>は、<br />
<br />
折角のご返事でしたが、<br />
「真宗では『諸善』を勧めていません。『極善』を勧めているんです」<br />
とあるのには、少々とまどいました。<br />
<span style="color: #0000ff;">「諸善」と「極善」の違いを、仏教の素人にもわかるように教えてください。</span><br />
お願いします。<br />
<br />
と問われました。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>は、こう答えています。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
では仏教の素人（？）にもわかってもらえるようにカキコするつもりでいきます。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">『諸善』とは六度万行</span>といえばわかりますか？<br />
<br />
布施（お金を寄付する、仏法の話をする）、持戒（戒律を守る）などですね。他にもあります。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">『極善』とは念仏です。南無阿弥陀仏です。</span><br />
<br />
違いはわかりましたか？<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
ここから、<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>は、<br />
<br />
「『極善』「念仏」「南無阿弥陀仏」とはどんなことなのか」、<br />
これが分からなければ、<br />
「浄土真宗は諸善を勧めない、とはどういうことか。浄土真宗は何をどう勧められているのか」<br />
が分かりませんから、重ねて『極善』の意味を尋ねます。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
早速の返信、ありがとうございました。<br />
「これで諸善と極善の違いがわかりましたか」<br />
とありましたが、失礼ですが、さっぱり分かりません。<br />
仏教に素人の私には、諸善の説明はわかりましたが、<br />
「極善とは念仏です。南無阿弥陀仏です」<br />
の<span style="color: #0000ff;">念仏とはなんですか。南無阿弥陀仏とはなんのことでしょうか</span>。<br />
<br />
逃げも見放したりもせず、仏教の素人にも分かるように説明すると言われている力強い言葉がうれしいです。<br />
よろしくお願いします。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
ところがこの素朴な新人太郎氏の質問に、<span style="color: #008000;">４５９氏はいっこうに答えません</span>。<br />
<br />
先に、大上段に構え、<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「浄土真宗は極善を勧めているんです」</span><br />
<br />
と主張していたのに、その意味を尋ねられると答えない。<br />
<br />
何と無責任かと驚いたものでした。<br />
<br />
同時に、言葉の意味を知らずに使うと悲惨な結果をまねく、典型例を見る思いがいたします。<br />
<br />
さて<span style="color: #008000;">この後、４５９氏</span>は、<br />
<span style="color: #008000;"><br />
「とにかく親鸞聖人は、『諸善』を勧められていないんだ」</span><br />
<br />
という論調で、<span style="color: #008000;">話を切り上げよう（逃げよう）とした</span>のですが、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏から「待った」がかかりました</span>。<br />
<br />
続きは、次回に。<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou3.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（３）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou4.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（４）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（５）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou6.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（６）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou7.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou8.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（８）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou9.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（９）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou10.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１０・最終回）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/05/zougyou8.htm" target="_blank"></a><br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/06/zougyou10.htm" target="_blank"> </a><br />
<br />
<img src="http://www.shinrankai.net/wp-content/uploads/2010/05/gz167_l-300x225.jpg" alt="gz167_l" title="gz167_l" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1497" /></p>
]]></content:encoded>
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		<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" />
	</item>
		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 23:30:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1517</guid>
		<description><![CDATA[
当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───
前回の続きです。

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４５９氏は、新人太郎氏に

「とにかく親鸞聖人は、『諸善』を勧められていないんだ」

という論調で、話を切り上げよう（逃げよう）としたのですが、

新人太郎氏から「待った」がかかりました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「親鸞聖人が『諸善』を勧められなかったことは、これまでの説明で
分かったろう」

と言われていますが、失礼ながら全然分かりません。
一体、どんな根拠で、どんな説明をなされて、こんなことを高言されるのでしょうか。
理解に苦しみます。

（中略）

４５９さんは、

「親鸞会は諸善を勧める。真宗は諸善を勧めない。
違うじゃありませんか、全く」

と言われていますが、「真宗は諸善を勧めない」とは本気の話ですか、
驚きました。

道理で寺へ行っても人はまばらでお年寄りばかり。
悪を容認し善を排斥して、「念仏のみで助かる」「南無阿弥陀仏を心得る」
と、その意味も知らずに、なにやらの一つ覚えのように、言っているのが
真宗なら、現今の衰退のワケも頷けるような気がします。
それが真宗なら滅亡して当然でしょう。

悪を認め善を勧めないのが親鸞聖人の教えでしょうか。
なにかの誤解ではありませんか。

４５９さんも誤解されているのではと思われてなりませんが、
いかがでしょう。

それとも親鸞聖人の教えに、そのような根拠があるのなら一つでも教えてください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この質問に、４５９氏が挙げてきた根拠が、

★「雑行を捨てよ」

だったのです。

ではここからは、やりとりをしばらく見てみましょう。
少々煩瑣に思われる人もあるかも知れませんが、ここが、

「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」

という、浄土真宗を衰滅させてきた恐ろしい聞き誤りですから
議論の流れを熟読理解し、正しい親鸞聖人の教えを学ばせて頂きましょう。
（途中でコメントをはさみます）
次回に続きます。

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親鸞会.NET» [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、<span style="color: #ff0000;">《「雑行を捨てよ」の真意》</span>について連載しています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
前回の続きです。<br />
<br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>は、<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>に<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「とにかく親鸞聖人は、『諸善』を勧められていないんだ」</span><br />
<br />
という論調で、<span style="color: #008080;">話を切り上げよう（逃げよう）とした</span>のですが、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏から「待った」</span>がかかりました。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「親鸞聖人が『諸善』を勧められなかったことは、これまでの説明で<br />
分かったろう」<br />
<br />
と言われていますが、失礼ながら全然分かりません。<br />
一体、どんな根拠で、どんな説明をなされて、こんなことを高言されるのでしょうか。<br />
理解に苦しみます。<br />
<br />
（中略）<br />
<br />
４５９さんは、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>は諸善を勧める。真宗は諸善を勧めない。<br />
違うじゃありませんか、全く」</span><br />
<br />
と言われていますが、<span style="color: #0000ff;">「真宗は諸善を勧めない」とは本気の話ですか、<br />
驚きました。</span><br />
<br />
道理で寺へ行っても人はまばらでお年寄りばかり。<br />
悪を容認し善を排斥して、「念仏のみで助かる」「南無阿弥陀仏を心得る」<br />
と、その意味も知らずに、なにやらの一つ覚えのように、言っているのが<br />
真宗なら、現今の衰退のワケも頷けるような気がします。<br />
それが真宗なら滅亡して当然でしょう。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">悪を認め善を勧めないのが親鸞聖人の教えでしょうか。<br />
なにかの誤解ではありませんか。</span><br />
<br />
４５９さんも誤解されているのではと思われてなりませんが、<br />
いかがでしょう。<br />
<br />
それとも<span style="color: #0000ff;">親鸞聖人の教えに、そのような根拠があるのなら一つでも教えてください</span>。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
この質問に、<span style="color: #008080;">４５９氏</span>が挙げてきた根拠が、<br />
<br />
<span style="color: #008080;">★「雑行を捨てよ」</span><br />
<br />
だったのです。<br />
<br />
ではここからは、やりとりをしばらく見てみましょう。<br />
少々煩瑣に思われる人もあるかも知れませんが、ここが、<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」</span><br />
<br />
という、浄土真宗を衰滅させてきた恐ろしい聞き誤りですから<br />
議論の流れを熟読理解し、正しい親鸞聖人の教えを学ばせて頂きましょう。<br />
（途中でコメントをはさみます）<br />
次回に続きます。<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
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	</item>
		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（３）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou3.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou3.htm#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 23:20:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1521</guid>
		<description><![CDATA[
当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───
今日が第３回目です。
「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」
は、浄土真宗を衰滅させてきた恐ろしい聞き誤りですから、議論の流れを熟読理解し、正しい親鸞聖人の教えを学ばせて頂きましょう。（途中でコメントをはさみます）

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「雑行とは、諸善万行だ。その雑行を捨てよという根拠を、こんなに挙げているのに、お前はまだ分からんのか」
と、叱られそうですが、それくらいは、新人でも聞かされています。

お尋ねしているのは、そんなことではないのです。だから、そんな言葉は何千何万挙げられても、私の質問には無駄なのです。

４５９さんは、それにまだお気づきではないようですから、もう一度、お聞きします。
「真宗は、諸善を勧めない」とあなたが言われるから、
「諸善を捨てよ、止めよ」
と言われている親鸞聖人の言葉を示して下さいと、お願いしているのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

親鸞聖人が『この正・助二行を除きて以外の自余の諸善は、ことごとく雑行と名づく』と教行信証にて書いているのです。

「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」は別の意味ですか？
同じ意味のことが書いてあるということがわかりませんか？

あなたはそんなに往生のために諸善がしたいのですか？
何か根拠があるのですか？
根拠があるならば「往生のために諸善をせよ」と言われた親鸞聖人の言葉を示してください。
蓮如上人の言葉でも結構です。
根拠がないなら「ない」とお答えください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「諸善を捨てよ、止めよ」と
「雑行を捨てよ、止めよ」は、
同じではないのですか、とのお尋ね、驚きました。
そんな違いさえ、分かられないのですか。
それぐらいは心得ての、今日までの発言だと思っていた私がバカだったのかも知れません。
机上の勉強だけでは、分からないことかも知れませんが、努力して明らかにして下さい。

それに、何も言っていないことを、あれこれ言われても困ります。
「諸善は往生の助けにならない」ことは、親鸞会発行の『なぜ答えぬ』にも強調されていますので、私も「諸善が往生のためになる」と言ったことはないはずです。証拠があれば教えてください。
私の言っていないことを責められても無茶です。
まして親鸞聖人の言葉などとは、とんでもないこと。
くどいようですが、私の尋ねていることをもう一度確認させていただきます。
「真宗は、諸善を勧めない」とあなたが言われるから、
「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねしているのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「諸善を捨てよ、止めよ」と
「雑行を捨てよ、止めよ」は、
ここでは同じ意味です。
少なくとも私はそう思います。

思うにあなたは諸善を考え違いしています。
それはＳＡさん［両氏の議論に、割り込もうとしている第三者］も説明していることです。
世間道徳倫理上の善と、仏法の往生のための善のふたつです。それをごちゃまぜにしているのではないですか？

私が今まで説明していた『諸善』とは仏法上の諸善のことです。
諸善を勧めないから、世間でいう善をしないという理由にはなりません。

『「諸善は往生の助けにならない」ことは、親鸞会発行の
『なぜ答えぬ』にも強調されていますので、私も「諸善
が往生のためになる」と言ったことはないはずです。証
拠があれば教えてください』

とありますが、では往生の何の役にも立たない諸善をなぜ親鸞会はするのですか？
根拠を示してください。

「真宗は、諸善を勧めない」
「諸善を捨てよ、止めよ」
と言われている親鸞聖人の言葉は、私が今まであげてきた根拠がそれです。
それがご不満ならばなぜ不満なのか、親鸞聖人の根拠を示してください。

私はあなたから親鸞聖人のお言葉をお聞きしたことがありません。
それからＳＡ氏があなたの質問に答えてくれるそうです。そちらにもどうぞ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
（コメント）

ここで４５９氏は、

「『諸善を捨てよ、止めよ』と
『雑行を捨てよ、止めよ』は、
ここでは同じ意味です。」

と、重大なことを断定されています。
ところがなにかを察知したのか、直後に、

「少なくとも私はそう思います」

とも述べています。

しかし、今問題になっているのは、両氏の「思い」や「考え」ではありません。「親鸞聖人の教え」です。

「親鸞聖人の教えに、善の勧めは、あるのか、ないのか」

を論じているのに、
「私はそう思います」
などと発言すること自体、４５９氏の立ち位置が、「常に断言で説かれている」親鸞聖人の教えからは逸脱していることが分かります。

続く

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]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、<span style="color: #ff0000;">《「雑行を捨てよ」の真意》</span>について連載しています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
今日が第３回目です。<br />
<span style="color: #008080;">「親鸞聖人の教えに、善の勧めはない」<br />
</span>は、浄土真宗を衰滅させてきた恐ろしい聞き誤りですから、議論の流れを熟読理解し、正しい親鸞聖人の教えを学ばせて頂きましょう。（途中でコメントをはさみます）<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から<span style="color: #008080;">４５９氏</span>へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「雑行とは、諸善万行だ。その雑行を捨てよという根拠を、こんなに挙げているのに、お前はまだ分からんのか」<br />
と、叱られそうですが、それくらいは、新人でも聞かされています。<br />
<br />
お尋ねしているのは、そんなことではないのです。だから、そんな言葉は何千何万挙げられても、私の質問には無駄なのです。<br />
<br />
４５９さんは、それにまだお気づきではないようですから、もう一度、お聞きします。<br />
「真宗は、諸善を勧めない」とあなたが言われるから、<br />
<span style="color: #0000ff;">「諸善を捨てよ、止めよ」<br />
と言われている親鸞聖人の言葉を示して下さい</span>と、お願いしているのです。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
親鸞聖人が『この正・助二行を除きて以外の自余の諸善は、ことごとく雑行と名づく』と教行信証にて書いているのです。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」は別の意味ですか？<br />
同じ意味のことが書いてあるということがわかりませんか？</span><br />
<br />
あなたはそんなに往生のために諸善がしたいのですか？<br />
何か根拠があるのですか？<br />
根拠があるならば「往生のために諸善をせよ」と言われた親鸞聖人の言葉を示してください。<br />
蓮如上人の言葉でも結構です。<br />
根拠がないなら「ない」とお答えください。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「<span style="color: #0000ff;">諸善を捨てよ、止めよ」と<br />
「雑行を捨てよ、止めよ」は、<br />
同じではないのですか、とのお尋ね、驚きました。</span><br />
そんな違いさえ、分かられないのですか。<br />
それぐらいは心得ての、今日までの発言だと思っていた私がバカだったのかも知れません。<br />
机上の勉強だけでは、分からないことかも知れませんが、努力して明らかにして下さい。<br />
<br />
それに、何も言っていないことを、あれこれ言われても困ります。<br />
<span style="color: #0000ff;">「諸善は往生の助けにならない」ことは、<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>発行の『なぜ答えぬ』にも強調されています</span>ので、私も「諸善が往生のためになる」と言ったことはないはずです。証拠があれば教えてください。<br />
私の言っていないことを責められても無茶です。<br />
まして親鸞聖人の言葉などとは、とんでもないこと。<br />
くどいようですが、私の尋ねていることをもう一度確認させていただきます。<br />
<span style="color: #0000ff;">「真宗は、諸善を勧めない」とあなたが言われるから、<br />
「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねしている</span>のです。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「諸善を捨てよ、止めよ」と<br />
「雑行を捨てよ、止めよ」は、<br />
ここでは同じ意味です。<br />
少なくとも私はそう思います。</span><br />
<br />
思うにあなたは諸善を考え違いしています。<br />
それはＳＡさん［両氏の議論に、割り込もうとしている第三者］も説明していることです。<br />
世間道徳倫理上の善と、仏法の往生のための善のふたつです。それをごちゃまぜにしているのではないですか？<br />
<br />
私が今まで説明していた『諸善』とは仏法上の諸善のことです。<br />
諸善を勧めないから、世間でいう善をしないという理由にはなりません。<br />
<br />
『「諸善は往生の助けにならない」ことは、<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>発行の<br />
『なぜ答えぬ』にも強調されていますので、私も「諸善<br />
が往生のためになる」と言ったことはないはずです。証<br />
拠があれば教えてください』<br />
<br />
とありますが、では往生の何の役にも立たない諸善をなぜ<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>はするのですか？<br />
根拠を示してください。<br />
<br />
「真宗は、諸善を勧めない」<br />
「諸善を捨てよ、止めよ」<br />
と言われている親鸞聖人の言葉は、私が今まであげてきた根拠がそれです。<br />
それがご不満ならばなぜ不満なのか、親鸞聖人の根拠を示してください。<br />
<br />
私はあなたから親鸞聖人のお言葉をお聞きしたことがありません。<br />
それからＳＡ氏があなたの質問に答えてくれるそうです。そちらにもどうぞ。<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
（コメント）<br />
<br />
ここで４５９氏は、<br />
<br />
「『諸善を捨てよ、止めよ』と<br />
『雑行を捨てよ、止めよ』は、<br />
ここでは同じ意味です。」<br />
<br />
と、重大なことを断定されています。<br />
ところがなにかを察知したのか、直後に、<br />
<br />
「少なくとも私はそう思います」<br />
<br />
とも述べています。<br />
<br />
しかし、<span style="color: #800080;">今問題になっているのは、両氏の「思い」や「考え」ではありません。「親鸞聖人の教え」です。</span><br />
<br />
「親鸞聖人の教えに、善の勧めは、あるのか、ないのか」<br />
<br />
を論じているのに、<br />
「私はそう思います」<br />
などと発言すること自体、４５９氏の立ち位置が、「常に断言で説かれている」親鸞聖人の教えからは逸脱していることが分かります。<br />
<br />
続く<br />
<br />
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<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
<br />
<img src="http://www.shinrankai.net/wp-content/uploads/2010/05/gz023_l-300x225.jpg" alt="雑行" title="雑行" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1522" /></p>
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	</item>
		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（４）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou4.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou4.htm#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 23:00:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1527</guid>
		<description><![CDATA[
当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───
今日が第４回目です。

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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「諸善にふたつある。
倫理道徳でいう善と、仏法の往生のための善である。
私の今まで言っている『諸善』とは、仏法上の善である。世間でいう善ではない。
それをごちゃまぜにしている」

と、今度は叱られました。
だいぶ混乱しておられるようですが、ふたつの諸善の違いをお聞かせ下さい。

そして前にあなたが、

「『諸善』といえば、六度万行のこと。
布施（お金を寄付する、仏法の話をする）、持戒（戒律を守る）などですね。他にもあります」
と言われている『諸善』は、どちらの善でしょうか。お尋ねします。

また、

「往生の何の役にも立たない諸善を、なぜ親鸞会は勧めるのか」
と信じられないようなことを仰っている。
たとえばの話ですが、難民のような、肉体的にも精神的にも苦しんでいる人々を見ても、
「諸善は往生のためにならぬのだから、捨てよ、止めよ」
と、支援を勧めないのが、親鸞聖人の教えですか。
どこかおかしいところがあるのではありませんか。

ますます、はっきりお聞きしなければなりません。
「諸善を捨てよ、止めよ」
と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
混乱しているのはあなたです。
仏法上の諸善とは、往生のための諸善、出世間の諸善のことです。
世間でいう諸善は、倫理、道徳上の諸善のことです。
私はあなたとずっと仏法の話をしていました。
ですから当然私のいう諸善は仏法・出世間の諸善のことです。

『「往生の何の役にも立たない諸善を、なぜ親鸞会は勧め
るのか」と信じられないようなことを仰っている。
たとえばの話ですが、難民のような、肉体的にも精神
的にも苦しんでいる人々を見ても、
「諸善は往生のためにならぬのだから、捨てよ、止めよ」
と、支援を勧めないのが、親鸞聖人の教えなのですか。
どこかおかしいところがあるのではありませんか』

といわれていますが、その考えが世間善と出世間善とをごちゃまぜにしている証拠です。
往生のための諸善は、往生には何の役にも立たないから捨てよと聖人は言ってるのです。
ボランティアや募金、献血などは往生のための諸善とは違います。それは世間・道徳・倫理の善です。
親鸞聖人は、『世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ』と仰せです。
決して世間善を否定された方ではありません。
以上のことを踏まえた上で以前の私が挙げた根拠をお読みください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「私がずっと話ししてきたのは、ボランティアや募金、献血などの、世間でいう善ではありません。当然、仏法上の諸善です。
仏法上の『諸善』といえば、六度万行のこと。布施（お金を寄付する、仏法の話をする）持戒（戒律を守る）などですね。他にもあります」
と、明快に答えて頂きました。
その仏法上の『諸善』を、すべて『雑行』と言われるのならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、『雑行』と言われるのでしょうか。
あのように仏法を伝えることは、仏法上の諸善に入らないのですか。

いよいよ、「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉が聞きたくなりました。
よろしくお願いします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

（コメント）

 親鸞聖人は、『教行信証』に、
「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す」
（親鸞は、二十九歳の時、雑行を棄てて、阿弥陀仏に救い摂られたのだ）
と告白されています。

もし、４５９氏の言うように、「仏法の話をする」などの仏法上の諸善が、すべて「雑行」ならば、
「雑行を棄てて、弥陀に救い摂られた」後の、親鸞聖人の「仏法を伝えられた」行為は、どうなるのか。「雑行」と言われるのか。

それが「雑行」ならば、
「雑行を棄てて」
の聖人のお言葉はどうなるのか、と追及されています。
続く

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<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
今日が第４回目です。<br />
<br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou7.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「諸善にふたつある。<br />
<span style="color: #0000ff;">倫理道徳でいう善</span>と、<span style="color: #0000ff;">仏法の往生のための善</span>である。<br />
私の今まで言っている『諸善』とは、仏法上の善である。世間でいう善ではない。<br />
それをごちゃまぜにしている」<br />
<br />
と、今度は叱られました。<br />
だいぶ混乱しておられるようですが、<span style="color: #0000ff;">ふたつの諸善の違いをお聞かせ下さい</span>。<br />
<br />
そして前にあなたが、<br />
<br />
「『諸善』といえば、六度万行のこと。<br />
布施（お金を寄付する、仏法の話をする）、持戒（戒律を守る）などですね。他にもあります」<br />
と言われている『諸善』は、どちらの善でしょうか。お尋ねします。<br />
<br />
また、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「往生の何の役にも立たない諸善を、なぜ<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>は勧めるのか」<br />
と信じられないようなことを仰っている。<br />
たとえばの話ですが、難民のような、肉体的にも精神的にも苦しんでいる人々を見ても、<br />
「諸善は往生のためにならぬのだから、捨てよ、止めよ」<br />
と、支援を勧めないのが、親鸞聖人の教えですか。<br />
どこかおかしいところがあるのではありませんか。</span><br />
<br />
ますます、はっきりお聞きしなければなりません。<br />
<span style="color: #0000ff;">「諸善を捨てよ、止めよ」<br />
と言われている親鸞聖人の言葉をお尋ねします。<br />
</span><br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
混乱しているのはあなたです。<br />
<span style="color: #008080;">仏法上の諸善とは、往生のための諸善、出世間の諸善のことです。<br />
世間でいう諸善は、倫理、道徳上の諸善のことです。</span><br />
私はあなたとずっと仏法の話をしていました。<br />
ですから当然私のいう諸善は仏法・出世間の諸善のことです。<br />
<br />
『「往生の何の役にも立たない諸善を、なぜ<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>は勧め<br />
るのか」と信じられないようなことを仰っている。<br />
たとえばの話ですが、難民のような、肉体的にも精神<br />
的にも苦しんでいる人々を見ても、<br />
「諸善は往生のためにならぬのだから、捨てよ、止めよ」<br />
と、支援を勧めないのが、親鸞聖人の教えなのですか。<br />
どこかおかしいところがあるのではありませんか』<br />
<br />
といわれていますが、その考えが世間善と出世間善とをごちゃまぜにしている証拠です。<br />
往生のための諸善は、往生には何の役にも立たないから捨てよと聖人は言ってるのです。<br />
ボランティアや募金、献血などは往生のための諸善とは違います。それは世間・道徳・倫理の善です。<br />
親鸞聖人は、『世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ』と仰せです。<br />
決して世間善を否定された方ではありません。<br />
以上のことを踏まえた上で以前の私が挙げた根拠をお読みください。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
新人太郎氏から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
「私がずっと話ししてきたのは、ボランティアや募金、献血などの、世間でいう善ではありません。当然、仏法上の諸善です。<br />
仏法上の『諸善』といえば、六度万行のこと。布施（お金を寄付する、仏法の話をする）持戒（戒律を守る）などですね。他にもあります」<br />
と、明快に答えて頂きました。<br />
その<span style="color: #0000ff;">仏法上の『諸善』を、すべて『雑行』と言われるのならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、『雑行』と言われるのでしょうか。</span><br />
あのように仏法を伝えることは、仏法上の諸善に入らないのですか。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">いよいよ、「諸善を捨てよ、止めよ」と言われている親鸞聖人の言葉が聞きたくなりました。</span><br />
よろしくお願いします。<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
（コメント）<br />
<br />
<span style="color: #800080;"> 親鸞聖人は、『教行信証』に、<br />
「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す」<br />
（親鸞は、二十九歳の時、雑行を棄てて、阿弥陀仏に救い摂られたのだ）<br />
と告白されています。<br />
</span><br />
もし、４５９氏の言うように、「仏法の話をする」などの仏法上の諸善が、すべて「雑行」ならば、<br />
<span style="color: #800080;">「雑行を棄てて、弥陀に救い摂られた」後の、親鸞聖人の「仏法を伝えられた」行為は、どうなるのか。</span>「雑行」と言われるのか。<br />
<br />
それが「雑行」ならば、<br />
「雑行を棄てて」<br />
の聖人のお言葉はどうなるのか、と追及されています。<br />
続く<br />
<br />
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</a><br />
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</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou10.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（１０・最終回）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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<a href="http://www.shinrankai.net/2010/05/zougyou3.htm" target="_blank"> </a><br />
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		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（５）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou-2.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou-2.htm#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 22:40:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1534</guid>
		<description><![CDATA[
当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───
今日が第５回目です。

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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『その仏法上の〝諸善〟を、すべて〝雑行〟と言われる
のならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁
円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、
〝雑行〟と言われるのでしょうか』

といわれてますが、『弥陀に救われた後』ということはご存知のようですね。
それらは仏恩報謝の行です。
往生のための行ではありません。

『ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろうて、恒常に不可思議の徳海を称念す』（教行信証）

『この一念を他力より発得しぬるのちは、生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸に到りぬる条、勿論なり。この機のうへは、他力の安心よりもよほされて仏恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて行住坐臥を論ぜず、長時不退に到彼岸の謂あり』
（改邪鈔）

以上を踏まえた上で今までに挙げた根拠を読み返してみてください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「親鸞聖人の仏法を伝えようとなされた行為は、仏法上の善に入らないのですか」
とお聞きした答えが、
「あれは、仏恩報謝の行です」
でした。

仏法伝えようとするのは、諸善の一つだと言われたのはあなたでした。
「諸善が往生の助けになる」とは、誰も一度も言ってはいません。もう忘れてもらっては困ります。

お聞きしているのは、この場合の仏恩報謝の行体は何ですか。仏法上の諸善ではないのですか。それとも諸悪ですか。また、そのいずれにも入らないことですか、ということです。

「諸善を捨てよ、止めよ」
と言われた親鸞聖人の言葉を聞かせて下さい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

あなたとの議論のなかで扱ってきた「諸善」は往生行です。
報恩行ではありません。
報恩行とは救われた後の感謝報謝の行です。
「助かりたい」等の参らせごころのある往生行とは別物です。ですからここでは「そのいずれにも入らない」ということになります。

『しかれば最勝の弘誓を受行して、穢を捨て浄を欣へ。如来の教勅を奉持して、恩を報じ徳を謝せよ。ここに片州の愚禿（親鸞）、印度・西蕃の論説に帰し、華漢（中国）・日域（日本）の師釈を仰いで、真宗の教行証を敬信す。ことに知んぬ、仏恩窮尽しがたければ、あきらかに浄土文類聚を用ゐるなり』（浄土文類聚鈔）

『平生に善知識のをしへをうけて信心開発するきざみ、正定聚の位に住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、文にありて顕然なり』（口伝鈔）

『されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ』（御文章）

いずれにしても、『弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ』ですからあなたにはまだ時期尚早のことですね。

以上を踏まえた上で以前挙げた根拠を読んでください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「仏法を伝えようとするなどの報恩の行体は、善でも悪でも、そのいずれにも入らないことになります」

との返信、目パチクリです。

「行体」という言葉の意味を理解されてのことですか。
苦渋の選択だったのでしょうが、そんなことを言われてもよいのでしょうか。

くどいようですが、あなたの発言を確認しておきたいと思います。

「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らぬ」
これでよろしゅうございますか。
お尋ねします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

（コメント）

「行体」とは、あとで「行為自体」と言い換えられているように、「行いそのもの」と理解すればよいでしょう。
その、「報恩行」という「行いそのもの」の、仏法上の善悪を尋ねられているのに、４５９氏の意外な答えが……。

続く

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当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、<span style="color: #ff0000;">《「雑行を捨てよ」の真意》</span>について連載しています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
今日が第５回目です。<br />
<br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（５）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
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<br />
『その仏法上の〝諸善〟を、すべて〝雑行〟と言われる<br />
のならば、弥陀に救われた親鸞聖人が、日野左衛門や弁<br />
円などに、懸命に仏法を話し、伝えようとされたことも、<br />
〝雑行〟と言われるのでしょうか』<br />
<br />
といわれてますが、『弥陀に救われた後』ということはご存知のようですね。<br />
<span style="color: #008080;">それらは仏恩報謝の行</span>です。<br />
<span style="color: #008080;">往生のための行ではありません</span>。<br />
<br />
『ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をひろうて、恒常に不可思議の徳海を称念す』（教行信証）<br />
<br />
『この一念を他力より発得しぬるのちは、生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸に到りぬる条、勿論なり。この機のうへは、他力の安心よりもよほされて仏恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて行住坐臥を論ぜず、長時不退に到彼岸の謂あり』<br />
（改邪鈔）<br />
<br />
以上を踏まえた上で今までに挙げた根拠を読み返してみてください。<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「親鸞聖人の仏法を伝えようとなされた行為は、仏法上の善に入らないのですか」<br />
とお聞きした答えが、<br />
「あれは、仏恩報謝の行です」<br />
でした。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">仏法伝えようとするのは、諸善の一つだと言われたのはあなたでした。<br />
「諸善が往生の助けになる」とは、誰も一度も言ってはいません。</span>もう忘れてもらっては困ります。<br />
<br />
お聞きしているのは、この場合の<span style="color: #0000ff;">仏恩報謝の行体は何ですか</span>。仏法上の諸善ではないのですか。それとも諸悪ですか。また、そのいずれにも入らないことですか、ということです。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「諸善を捨てよ、止めよ」<br />
と言われた親鸞聖人の言葉を聞かせて下さい</span>。<br />
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<span style="color: #008000;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
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<br />
<span style="color: #008000;">あなたとの議論のなかで扱ってきた「諸善」は往生行です。<br />
報恩行ではありません。</span><br />
報恩行とは救われた後の感謝報謝の行です。<br />
「助かりたい」等の参らせごころのある往生行とは別物です。ですからここでは「その<span style="color: #008000;">いずれにも入らない</span>」ということになります。<br />
<br />
『しかれば最勝の弘誓を受行して、穢を捨て浄を欣へ。如来の教勅を奉持して、恩を報じ徳を謝せよ。ここに片州の愚禿（親鸞）、印度・西蕃の論説に帰し、華漢（中国）・日域（日本）の師釈を仰いで、真宗の教行証を敬信す。ことに知んぬ、仏恩窮尽しがたければ、あきらかに浄土文類聚を用ゐるなり』（浄土文類聚鈔）<br />
<br />
『平生に善知識のをしへをうけて信心開発するきざみ、正定聚の位に住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、文にありて顕然なり』（口伝鈔）<br />
<br />
『されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ』（御文章）<br />
<br />
いずれにしても、『弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ』ですからあなたにはまだ時期尚早のことですね。<br />
<br />
以上を踏まえた上で以前挙げた根拠を読んでください。<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「仏法を伝えようとするなどの報恩の行体は、善でも悪でも、そのいずれにも入らないことになります」</span><br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">との返信、目パチクリです。</span><br />
<br />
「行体」という言葉の意味を理解されてのことですか。<br />
苦渋の選択だったのでしょうが、そんなことを言われてもよいのでしょうか。<br />
<br />
くどいようですが、あなたの発言を確認しておきたいと思います。<br />
<br />
「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らぬ」<br />
これでよろしゅうございますか。<br />
お尋ねします。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
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（コメント）<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「行体」とは</span>、あとで「行為自体」と言い換えられているように、<span style="color: #800080;">「行いそのもの」と理解すればよいでしょう</span>。<br />
その、<span style="color: #800080;">「報恩行」という「行いそのもの」の、仏法上の善悪を尋ねられているのに、４５９氏の意外な答えが……。</span><br />
<br />
続く<br />
<br />
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		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 22:20:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
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新人太郎氏から４５９氏へ
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「仏法を伝えようとするなどの報恩の行体は、善でも悪でも、そのいずれにも入らないことになります」

との返信、目パチクリです。

「行体」という言葉の意味を理解されてのことですか。
苦渋の選択だったのでしょうが、そんなことを言われてもよいのでしょうか。

くどいようですが、あなたの発言を確認しておきたいと思います。

「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らぬ」
これでよろしゅうございますか。
お尋ねします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
？？
私がいつそのように言いましたか？
勝手に人の発言を改ざんしないでください。
私の発言はそのまま引用してください。

私は報恩行は往生行諸善ではない、と言ったのです。
仏法上の善、悪について言ったのではありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「報恩行とは救われた後の感謝報謝の行です。
『助かりたい』等の参らせごころのある往生行とは別物です。
ですからここでは『そのいずれにも入らない』ということになります」

と、４５９さんが言われたので、

「救われた人の仏法を伝えるなどの、感謝報謝の報恩の行は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らない、と理解してもよろしいのでしょうか」

とお尋ねしたのです。

それに対して、

「私がいつそのように言いましたか？勝手に人の発言を改ざんしないでください。私の発言はそのまま引用してください」

と叱ったあと、

「私は、報恩行は往生行諸善ではない、と言ったのです」

と当然なことを言い、

「仏法上の善、悪について言ったのではありません」

と逃げられる。

報恩行の仏法上の善悪を聞いているのに、答えになっていると思われますか。

もう一度お尋ねします。

「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善悪の、いずれにも入らないのでしょうか」

よろしくお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

あなたが論点をずらしているのがわかりませんか？
私は、報恩行は、あなたとの議論で扱ってきた往生行諸善とは別物だと言ったのです。
言葉のまま理解すればいいものを、それをなぜ『仏法上の善悪』という問題にすりかえるのですか？
私がここで言いたかったことは往生行と報恩行は別のものということだけです。
それは理解できたのですね？

あなたは、『くどいようですが、あなたの発言を確認しておきたいと思います。「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らぬ」
これでよろしゅうございますか。　お尋ねします』
だったのです。
『発言を確認しておきたいと思います』とあなたは言ってるのですから、私は『そのようなことは言ってない』と言ったまでです。

別の論題に進むのならばその段階を踏むべきです。
一体あなたは私と何をしたいのですか？
確認させてください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「私がここで言いたかったことは往生行と報恩行は別のものということだけです」

と明言されているように、私の尋ねているのも、そのこと一つです。
論点をずらしているとは、とんでもない。
論点はピタッと定まり、微塵の狂いもありません。

「仏法を伝えるなどの往生行」と、
「仏法を伝えるなどの報恩行」の
行体は、別のものだと、あなたは言われる。
仏法を伝える行為のどこがどう違って、別のものと言われるのでしょうか。

「一体あなたは私と何をしたいのですか？
確認させてください」
と４５９さん、お望みですからもう一度言いましょう。
仏法を伝えるという同じ行為なのに、どこがどう違って、
「あれは往生行」
「これは報恩行」
と、分けられるのですか。
わかる言葉で、分かれ目を、わかるようにお聞きしたいだけなのです。
よろしくお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『論点をずらしているとは、とんでもない。
論点はピタッと定まり、微塵の狂いもありません』
とは。
あなたは天然ですね（笑）

「仏法を伝えるなどの往生行」と、
「仏法を伝えるなどの報恩行」の違いは、
真宗では信前・信後で変わります。

以前あなたが勘違いされていた「仏法上の善悪」についてはひとこともふれないのですね。

あなたは私との議論で一体何をしたいのか、と聞いたのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

（コメント）

ここです。
「仏法を伝えるなどの往生行」と、
「仏法を伝えるなどの報恩行」は、
「信前・信後で変わります」
と、４５９氏は明言されました。

「信前」とは、信心獲得する前（阿弥陀仏に救われる前）ということであり、
「信後」とは、信心獲得した後（阿弥陀仏に救われた後）ということです。

この「信前・信後」の変わり目こそが、浄土真宗の肝要と言われる、
「信の一念」
です。

蓮如上人は、『御一代記聞書』に、

「聖人の御流は、たのむ一念のところ肝要なり」

と、これを仰っています。
すなわち、弥陀に救われる前と、救われた後とでは、何が、どう変わるのか。その変わり目の「一念」こそが、自力と他力の水際であり、地獄と極楽の分かれ目であり、弥陀の本願の至極であり、釈迦出世の本願の肝要ですから、
この「信前・信後」の変わり目を、徹底的に峻別されたのが、聖人畢生の大著『教行信証』六巻であり、90年のご生涯であったのです。

その「信前・信後」という言葉を出して、４５９氏はようやく答えました。というよりも、そう答えざるを得ないようになった、といったほうが適切かも知れません。
いずれにせよ、この、
「真宗では信前・信後で変わります」
の一言が、議論を大きく前進させ、また４５９氏にとっては命取りになるのですが、少なくともこの時点では、気がついていないようです。
続く

親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET

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親鸞会.NET» »  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、<span style="color: #ff0000;">《「雑行を捨てよ」の真意》</span>について連載しています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
<br />
今日が第6回目です。<a href="../2010/05/zougyo.htm" target="_blank"><br />
</a><br />
<br />
<a href="../2010/05/zougyou4.htm" target="_blank"><br />
</a><br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou3.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（３）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou4.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（４）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（５）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou6.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（６）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou7.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou8.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（８）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou9.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（９）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou10.htm" target="_blank">親鸞会.NET» »  「雑行を捨てよ」の真意（１０・最終回）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<br />
<a href="../2010/05/zougyou4.htm" target="_blank"> </a><br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「仏法を伝えようとするなどの報恩の行体は、善でも悪でも、そのいずれにも入らないことになります」</span><br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">との返信、目パチクリです。</span><br />
<br />
「行体」という言葉の意味を理解されてのことですか。<br />
苦渋の選択だったのでしょうが、そんなことを言われてもよいのでしょうか。<br />
<br />
くどいようですが、あなたの発言を確認しておきたいと思います。<br />
<br />
「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らぬ」<br />
これでよろしゅうございますか。<br />
お尋ねします。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
？？<br />
私がいつそのように言いましたか？<br />
勝手に人の発言を改ざんしないでください。<br />
私の発言はそのまま引用してください。<br />
<br />
<span style="color: #008080;">私は報恩行は往生行諸善ではない、と言った</span>のです。<br />
仏法上の善、悪について言ったのではありません。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「報恩行とは救われた後の感謝報謝の行です。<br />
『助かりたい』等の参らせごころのある往生行とは別物です。<br />
ですからここでは『そのいずれにも入らない』ということになります」</span><br />
<br />
と、４５９さんが言われたので、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「救われた人の仏法を伝えるなどの、感謝報謝の報恩の行は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らない、と理解してもよろしいのでしょうか」</span><br />
<br />
とお尋ねしたのです。<br />
<br />
それに対して、<br />
<br />
「私がいつそのように言いましたか？勝手に人の発言を改ざんしないでください。私の発言はそのまま引用してください」<br />
<br />
と叱ったあと、<br />
<br />
<span style="color: #008080;">「私は、報恩行は往生行諸善ではない、と言ったのです」</span><br />
<br />
と当然なことを言い、<br />
<span style="color: #008080;"><br />
「仏法上の善、悪について言ったのではありません」</span><br />
<br />
と逃げられる。<br />
<br />
報恩行の仏法上の善悪を聞いているのに、答えになっていると思われますか。<br />
<br />
もう一度お尋ねします。<br />
<span style="color: #0000ff;"><br />
「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善悪の、いずれにも入らないのでしょうか」</span><br />
<br />
よろしくお願いします。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
４５９氏から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
あなたが論点をずらしているのがわかりませんか？<br />
私は、<span style="color: #008080;">報恩行は、あなたとの議論で扱ってきた往生行諸善とは別物</span>だと言ったのです。<br />
言葉のまま理解すればいいものを、それをなぜ『仏法上の善悪』という問題にすりかえるのですか？<br />
私がここで言いたかったことは往生行と報恩行は別のものということだけです。<br />
それは理解できたのですね？<br />
<br />
あなたは、『くどいようですが、あなたの発言を確認しておきたいと思います。「仏法を伝えるなどの報恩の行体は、仏法上の善でもなければ、悪でもない。いずれにも入らぬ」<br />
これでよろしゅうございますか。　お尋ねします』<br />
だったのです。<br />
『発言を確認しておきたいと思います』とあなたは言ってるのですから、私は『そのようなことは言ってない』と言ったまでです。<br />
<br />
別の論題に進むのならばその段階を踏むべきです。<br />
一体あなたは私と何をしたいのですか？<br />
確認させてください。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「私がここで言いたかったことは往生行と報恩行は別のものということだけです」<br />
<br />
と明言されているように、私の尋ねているのも、そのこと一つです。<br />
論点をずらしているとは、とんでもない。<br />
論点はピタッと定まり、微塵の狂いもありません。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「仏法を伝えるなどの往生行」と、<br />
「仏法を伝えるなどの報恩行」の<br />
行体は、別のものだと、あなたは言われる。<br />
</span>仏法を伝える行為のどこがどう違って、別のものと言われるのでしょうか。<br />
<br />
「一体あなたは私と何をしたいのですか？<br />
確認させてください」<br />
と４５９さん、お望みですからもう一度言いましょう。<br />
<span style="color: #0000ff;">仏法を伝えるという同じ行為なのに、どこがどう違って、<br />
「あれは往生行」<br />
「これは報恩行」<br />
と、分けられるのですか。<br />
わかる言葉で、分かれ目を、わかるようにお聞きしたいだけなのです。</span><br />
よろしくお願いします。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
『論点をずらしているとは、とんでもない。<br />
論点はピタッと定まり、微塵の狂いもありません』<br />
とは。<br />
あなたは天然ですね（笑）<br />
<span style="color: #008080;"><br />
「仏法を伝えるなどの往生行」と、<br />
「仏法を伝えるなどの報恩行」の違いは、<br />
真宗では信前・信後で変わります。</span><br />
<br />
以前あなたが勘違いされていた「仏法上の善悪」についてはひとこともふれないのですね。<br />
<br />
あなたは私との議論で一体何をしたいのか、と聞いたのです。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
（コメント）<br />
<br />
ここです。<br />
<span style="color: #800080;">「仏法を伝えるなどの往生行」と、<br />
「仏法を伝えるなどの報恩行」は、<br />
「信前・信後で変わります」<br />
と、４５９氏は明言されました。</span><br />
<br />
「信前」とは、信心獲得する前（阿弥陀仏に救われる前）ということであり、<br />
「信後」とは、信心獲得した後（阿弥陀仏に救われた後）ということです。<br />
<br />
この「信前・信後」の変わり目こそが、浄土真宗の肝要と言われる、<br />
<span style="color: #800080;">「信の一念」<br />
</span>です。<br />
<br />
蓮如上人は、『御一代記聞書』に、<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「聖人の御流は、たのむ一念のところ肝要なり」<br />
</span><br />
と、これを仰っています。<br />
すなわち、弥陀に救われる前と、救われた後とでは、何が、どう変わるのか。その変わり目の「一念」こそが、自力と他力の水際であり、地獄と極楽の分かれ目であり、弥陀の本願の至極であり、釈迦出世の本願の肝要ですから、<br />
この<span style="color: #800080;">「信前・信後」の変わり目を、徹底的に峻別されたのが、聖人畢生の大著『教行信証』六巻であり、90年のご生涯</span>であったのです。<br />
<br />
その「信前・信後」という言葉を出して、４５９氏はようやく答えました。というよりも、そう答えざるを得ないようになった、といったほうが適切かも知れません。<br />
いずれにせよ、この、<br />
<span style="color: #800080;">「真宗では信前・信後で変わります」<br />
の一言が、議論を大きく前進させ、また４５９氏にとっては命取りになる</span>のですが、少なくともこの時点では、気がついていないようです。<br />
続く<br />
<br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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<br />
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</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou7.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou7.htm#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 22:10:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1549</guid>
		<description><![CDATA[


当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───

今日が第７回目です。

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新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「『仏法を伝えるなどの往生行』と、
『仏法を伝えるなどの報恩行』の
行体は、別のものだ」

と、あなたは言われる。

「仏法を伝える行為のどこがどう違って、別のものと言われるのでしょうか」

の問いに、

「真宗では信前・信後で変わります」

と返信頂きました。

「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、往生行ともなり、報恩行ともなる」
と、理解してよろしゅうございますか。

確認させて頂きます。

「私がいつそのようなことを言ったか」
と、またお逃げになるかな？
何しろ世話のやける天然ですから、お見放しなく、よろしくお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ですから私の言葉の通りに理解すればよいのです。
自分の都合のいいように改ざんする必要はないんです。

質問。

あなたはそれを知って（理解して）どうするのですか？
初期の議論の目的とはズレズレですよ。
目的は大事だと高森氏はくどいほど言ってるはずですが・・・。
ヒコーキとかタクシーとか・・・。

あなた一体何がしたいんですか？

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「『仏法を伝えるなどの往生行』と、
『仏法を伝えるなどの報恩行』の
行体は、別のものだ

と、あなたは言われる。

「仏法を伝える行為のどこがどう違って、別のものと言われるのでしょうか」

の問いに、

「真宗では信前・信後で変わります」

と、あなたは答えられました。

そこで私は、

「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、往生行ともなり、報恩行ともなる」
と、理解してよろしゅうございますか」

と確認したのです。

それに対して、あなたの返事はこうでした。

「私の言葉の通りに理解すればよいのです。自分の都合のいいように改ざんする必要はないんです」

案の定というべきか４５９さん、また簡単な確認作業を拒まれた。よほど自己の発言の意味を確認されることが、お困りらしい。
なぜだろう。
確認すると、たちまち自己矛盾が浮き彫りになるからでしょうか。

今はただ、
「見放さずに、じっくりいきますからね」
の４５９さんのかつての言葉が、懐かしく思い出されるだけです。

私の理解が、あなたの言葉の通りかどうかの確認は、目的への始まりです。

「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、往生行ともなり、報恩行ともなる」

と、理解してよろしゅうございますか。
再度、確認させて頂きます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

どんな自己矛盾ですか？
教えてください。

私も同じく「親鸞会の教義がひとつでも親鸞聖人の教えと異なれば親鸞会を辞める」と言っていた頃のあなたが懐かしいです。
今は目的を見失い、ただ意地で書き込みつづけるあなたがかわいそうです。

あなたが本当に親鸞聖人の教えが知りたい人ならば、ＳＡ氏やその他の人の問いかけを無視するはずがありません。

私が書き込まなくなればあなたは法論に勝って安心ですか？
一体あなたは何がしたいのですか？

どんな目的？
「始まり」ということは以前の目的は果たされたので、次の目的を新たに設定したんですか？

『「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、
往生行ともなり、報恩行ともなる」
と、理解してよろしゅうございますか』

と言われますが、別物だと言ってます。

往生行諸善雑行の法施と、報恩行の法施とは全く別物です。
別物ですから「行体は同じ」ではありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、
往生行ともなり、報恩行ともなる」
と、理解してよろしゅうございますか』

の重ねてのお尋ねに、漸く重い腰を上げられた４５９さん、

「仏法を伝えるなどの往生行諸善雑行と、報恩行とは、全く別物で、行体は同じではありません」

とお答え下さった。

それではお尋ねいたします。

「仏法を伝える」という行為そのものは、全く変わらないのに、４５９さんは、別物だと言われる。
仏法を伝えるという行為自体、信前・信後で、どう違うのか。どこが変わるのか。
「あれは、往生行」
「これは、報恩行」
と、何をもって分別するのか。

わかる言葉で分かれ目を、天然にもわかるように、答えて下さい。

「一体あなたは何がしたいのですか？」
の再度のお尋ねには、あなたがまだ気付いてはいられない自己矛盾を知って頂くため、とでもお答えしておきましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『「あれは、往生行」
「これは、報恩行」
と、何をもって分別するのか。
わかる言葉で分かれ目を、天然にもわかるように、答え
て下さい』

に答えます。

信前、信後で分別します。

他力信心を獲たか、獲ないかをもって分別します。

『あなたがまだ気付いてはいられない自己矛盾を知って頂
くため』

といわれているが、
そうですか・・・。
私が私の自己矛盾を知るのが、あなたの議論の目的ですか・・・。
わかりました。
それがあなたの目的ならば私はこれでサヨナラです。

条件から逸脱しますからね。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「仏法を伝えるという行為自体、信前・信後で、どう違うのか。どこが変わるのか。
『あれは、往生行諸善雑行』
『これは、報恩行』
と、何をもって分別するのか」

という親鸞聖人の教えにとって、最も大事な問題を前にして、なんということでしょう。
「あなたの目的が、条件から逸脱しますから、私はこれでサヨナラです」
早々と４５９さん、敵前逃亡ならぬ、悲しいサヨナラ宣言をなされた。

信前・信後で、われわれの行為のどこが、どう変わるのか。
他力の信心を獲る前と獲た後と、仏法を伝えるなどの行為自体、変わるのか、変わらぬのか。
こんな肝要が、親鸞聖人の教えにありましょうか。
そんな肝心の信前・信後、自力・他力の違いに答えられない口実が、「条件逸脱」では、仏法を論ずる者として、あまりにも低次元過ぎるとは思われませんか。

信前・信後の水際さえ分かっていれば、誰でもキチンと答えられることです。
信前・信後の意味を知らずに言葉を使う悲劇をさけるため、サヨナラ宣言せざるをえなかった、と疑われても仕方ないでしょう。

昔、男女同権を、男女同県人の意味で使っていた老婆の話を思い出し、笑ってしまいます。
たとえ相手がどうであれ、自分に危険が迫っていても、決して真実開顕から逃げられなかった親鸞聖人を、仰がずにおれないのです。

以前の元気な４５９さんに、立ち返って、
「善を勧めない真宗」の教えを明らかにしてください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

４５９さん、お元気ですか。

同じ仏法を伝えるなどの行為なのに、
「あれは雑行だ」
「これは報恩行だ」
と、何をもって分別するのですか。

それに４５９さんは、

「信前・信後で、分別します」

と答えられました。

それでは信前・信後の違い目は何ですか。他力の信心を獲る前と、獲た後とで、どこが、どう変わるのですか。
変わらないのですか。
この信前・信後、自力・他力の水際こそが親鸞聖人の教えの至極ではありませんか。
その真宗の至極が、今、４５９さんに問われているのに、
「条件から逸脱するから、サヨナラします」では、
外野の声援も空しく果てるのかと、ガッカリするむきもあるのではないですか。
仏法者本来の姿に立ち返って、奮起して下さい。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

４５９さん、新人太郎です。
お変わりありませんか。

仏法を伝えるなどの同じ行為でも、
「あれは雑行だ」
「これは報恩行だ」
と、何をもって分別するのかのお尋ねに、
「信前・信後で分別する」
と４５９さんは、お答えなさった。

では、その信前・信後の違い目は何でしょうか。どこが変わるのでしょうか。
この信前・信後の分かれ目こそが、「もろもろの雑行」が捨たるところでしょう。

以前に私が、

「諸善を捨てよ、やめよ」と言われた、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を聞いた折、
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」などの、蓮如上人や親鸞聖人のお言葉を14箇所もあなたは、ずらーっと出されたことは忘れません。

しかし、「雑行を捨てよ」の言葉をいくら並べても分かりませんが、実地に雑行の捨たった体験をすれば、雑行が捨たるとは、どんなことか、何が、どう捨たるのか、ハッキリするのではありませんか。

そこが、信前・信後の水際でしょう。
むろん、雑行が捨たった体験がなければ、逆立ちしても分からないし、言えないところでしょう。

親鸞聖人の教えの最要の、信前・信後の違い目が分からねば、雑行の行体も分からねば「捨てよ」の真意も分からない。
それでは「雑行を捨てよ」の多くの提示もナンセンスになりましょう。

「雑行を捨てよ」
とは、４５９さんの言うような、
「諸善を捨てよ、やめよ」
ということではなく、
「諸善を往生の役に立たせようとする心を捨てよ」
ということではありませんか。

それを、
「諸善をやめよ、するな」
と、聞き誤っている、真宗の道俗のいかに多いことか。
答えに窮される４５９さんも、そのお一人にすぎないと言えましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

（コメント）

今から、親鸞聖人が、

「雑行を捨てよ」

と言われているのは、

「諸善を捨てよ、やめよ」

ということではなく、

「諸善を往生の役に立たせようとする心を捨てよ」

ということであることが、示されていきます。
ここが、みんな誤解しているところですから、ねんごろに、重ねて、
「雑行を捨てよ」の真意が、明らかにされていきます。

続く

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET

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親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（９）　親鸞会.NET

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]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<div class="entry">
<br />
当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、<span style="color: #ff0000;">《「雑行を捨てよ」の真意》</span>について連載しています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
<br />
今日が第７回目です。<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou3.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（３）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou4.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（４）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou-2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（５）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou6.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（６）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou7.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou8.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（８）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou9.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（９）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou10.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１０・最終回）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<br />
<a href="../2010/05/zougyou4.htm" target="_blank"><br />
</a><br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━</div>
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;"><br />
「『仏法を伝えるなどの往生行』と、<br />
『仏法を伝えるなどの報恩行』の<br />
行体は、別のものだ」</span><br />
<br />
と、あなたは言われる。<br />
<span style="color: #0000ff;"><br />
「仏法を伝える行為のどこがどう違って、別のものと言われるのでしょうか」</span><br />
<br />
の問いに、<br />
<span style="color: #008080;"><br />
「真宗では信前・信後で変わります」</span><br />
<br />
と返信頂きました。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、往生行ともなり、報恩行ともなる」<br />
と、理解してよろしゅうございますか。</span><br />
<br />
確認させて頂きます。<br />
<br />
「私がいつそのようなことを言ったか」<br />
と、またお逃げになるかな？<br />
何しろ世話のやける天然ですから、お見放しなく、よろしくお願いします。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
ですから<span style="color: #008080;">私の言葉の通りに理解すればよい</span>のです。<br />
自分の都合のいいように改ざんする必要はないんです。<br />
<br />
質問。<br />
<br />
あなたはそれを知って（理解して）どうするのですか？<br />
初期の議論の目的とはズレズレですよ。<br />
目的は大事だと高森氏はくどいほど言ってるはずですが・・・。<br />
ヒコーキとかタクシーとか・・・。<br />
<br />
あなた一体何がしたいんですか？<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「『仏法を伝えるなどの往生行』と、<br />
『仏法を伝えるなどの報恩行』の<br />
行体は、別のものだ<br />
<br />
と、あなたは言われる。<br />
<br />
「仏法を伝える行為のどこがどう違って、別のものと言われるのでしょうか」<br />
<br />
の問いに、<br />
<br />
「真宗では信前・信後で変わります」<br />
<br />
と、あなたは答えられました。<br />
<br />
そこで私は、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、往生行ともなり、報恩行ともなる」<br />
と、理解してよろしゅうございますか」</span><br />
<br />
と確認したのです。<br />
<br />
それに対して、あなたの返事はこうでした。<br />
<br />
「<span style="color: #008080;">私の言葉の通りに理解すればよいのです</span>。自分の都合のいいように改ざんする必要はないんです」<br />
<br />
案の定というべきか４５９さん、また簡単な確認作業を拒まれた。よほど自己の発言の意味を確認されることが、お困りらしい。<br />
なぜだろう。<br />
確認すると、たちまち自己矛盾が浮き彫りになるからでしょうか。<br />
<br />
今はただ、<br />
「見放さずに、じっくりいきますからね」<br />
の４５９さんのかつての言葉が、懐かしく思い出されるだけです。<br />
<br />
私の理解が、あなたの言葉の通りかどうかの確認は、目的への始まりです。<br />
<br />
「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、往生行ともなり、報恩行ともなる」<br />
<br />
と、理解してよろしゅうございますか。<br />
再度、確認させて頂きます。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
どんな自己矛盾ですか？<br />
教えてください。<br />
<br />
私も同じく「<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>の教義がひとつでも親鸞聖人の教えと異なれば<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>を辞める」と言っていた頃のあなたが懐かしいです。<br />
今は目的を見失い、ただ意地で書き込みつづけるあなたがかわいそうです。<br />
<br />
あなたが本当に親鸞聖人の教えが知りたい人ならば、ＳＡ氏やその他の人の問いかけを無視するはずがありません。<br />
<br />
私が書き込まなくなればあなたは法論に勝って安心ですか？<br />
一体あなたは何がしたいのですか？<br />
<br />
どんな目的？<br />
「始まり」ということは以前の目的は果たされたので、次の目的を新たに設定したんですか？<br />
<br />
<span style="color: #008080;">『「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、<br />
往生行ともなり、報恩行ともなる」<br />
と、理解してよろしゅうございますか』</span><br />
<br />
と言われますが、別物だと言ってます。<br />
<br />
往生行諸善雑行の法施と、報恩行の法施とは全く別物です。<br />
別物ですから「行体は同じ」ではありません。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
『「仏法を伝えるなどの行体は同じだが、信前・信後で、<br />
往生行ともなり、報恩行ともなる」<br />
と、理解してよろしゅうございますか』<br />
<br />
の重ねてのお尋ねに、漸く重い腰を上げられた４５９さん、<br />
<span style="color: #008080;"><br />
「仏法を伝えるなどの往生行諸善雑行と、報恩行とは、全く別物で、行体は同じではありません」</span><br />
<br />
とお答え下さった。<br />
<br />
それではお尋ねいたします。<br />
<br />
「仏法を伝える」という行為そのものは、全く変わらないのに、４５９さんは、別物だと言われる。<br />
<span style="color: #0000ff;">仏法を伝えるという行為自体、信前・信後で、どう違うのか。どこが変わるのか。<br />
「あれは、往生行」<br />
「これは、報恩行」<br />
と、何をもって分別するのか。</span><br />
<br />
わかる言葉で分かれ目を、天然にもわかるように、答えて下さい。<br />
<br />
「一体あなたは何がしたいのですか？」<br />
の再度のお尋ねには、あなたがまだ気付いてはいられない自己矛盾を知って頂くため、とでもお答えしておきましょう。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
『「あれは、往生行」<br />
「これは、報恩行」<br />
と、何をもって分別するのか。<br />
わかる言葉で分かれ目を、天然にもわかるように、答え<br />
て下さい』<br />
<br />
に答えます。<br />
<span style="color: #008080;"><br />
信前、信後で分別します。</span><br />
<br />
他力信心を獲たか、獲ないかをもって分別します。<br />
<br />
『あなたがまだ気付いてはいられない自己矛盾を知って頂<br />
くため』<br />
<br />
といわれているが、<br />
そうですか・・・。<br />
私が私の自己矛盾を知るのが、あなたの議論の目的ですか・・・。<br />
わかりました。<br />
それがあなたの目的ならば私はこれでサヨナラです。<br />
<br />
条件から逸脱しますからね。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
「仏法を伝えるという行為自体、信前・信後で、どう違うのか。どこが変わるのか。<br />
『あれは、往生行諸善雑行』<br />
『これは、報恩行』<br />
と、何をもって分別するのか」<br />
<br />
という親鸞聖人の教えにとって、最も大事な問題を前にして、なんということでしょう。<br />
「あなたの目的が、条件から逸脱しますから、私はこれでサヨナラです」<br />
早々と４５９さん、敵前逃亡ならぬ、悲しいサヨナラ宣言をなされた。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">信前・信後で、われわれの行為のどこが、どう変わるのか。<br />
他力の信心を獲る前と獲た後と、仏法を伝えるなどの行為自体、変わるのか、変わらぬのか。<br />
こんな肝要が、親鸞聖人の教えにありましょうか。<br />
そんな肝心の信前・信後、自力・他力の違いに答えられない口実が、「条件逸脱」では、仏法を論ずる者として、あまりにも低次元過ぎるとは思われませんか。</span><br />
<br />
信前・信後の水際さえ分かっていれば、誰でもキチンと答えられることです。<br />
<span style="color: #0000ff;">信前・信後の意味を知らずに言葉を使う悲劇をさけるため、サヨナラ宣言せざるをえなかった、と疑われても仕方ない</span>でしょう。<br />
<br />
昔、男女同権を、男女同県人の意味で使っていた老婆の話を思い出し、笑ってしまいます。<br />
たとえ相手がどうであれ、自分に危険が迫っていても、決して真実開顕から逃げられなかった親鸞聖人を、仰がずにおれないのです。<br />
<br />
以前の元気な４５９さんに、立ち返って、<br />
「善を勧めない真宗」の教えを明らかにしてください。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
４５９さん、お元気ですか。<br />
<br />
同じ仏法を伝えるなどの行為なのに、<br />
「あれは雑行だ」<br />
「これは報恩行だ」<br />
と、何をもって分別するのですか。<br />
<br />
それに４５９さんは、<br />
<br />
「信前・信後で、分別します」<br />
<br />
と答えられました。<br />
<br />
それでは<span style="color: #0000ff;">信前・信後の違い目は何ですか。他力の信心を獲る前と、獲た後とで、どこが、どう変わるのですか。<br />
変わらないのですか。<br />
この信前・信後、自力・他力の水際こそが親鸞聖人の教えの至極ではありませんか。<br />
その真宗の至極が、今、４５９さんに問われているのに、<br />
「条件から逸脱するから、サヨナラします」では、<br />
外野の声援も空しく果てるのかと、ガッカリするむきもあるのではないですか。</span><br />
仏法者本来の姿に立ち返って、奮起して下さい。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
４５９さん、新人太郎です。<br />
お変わりありませんか。<br />
<br />
仏法を伝えるなどの同じ行為でも、<br />
「あれは雑行だ」<br />
「これは報恩行だ」<br />
と、何をもって分別するのかのお尋ねに、<br />
「信前・信後で分別する」<br />
と４５９さんは、お答えなさった。<br />
<br />
では、その<span style="color: #0000ff;">信前・信後の違い目は何でしょうか。どこが変わるのでしょうか。<br />
この信前・信後の分かれ目こそが、「もろもろの雑行」が捨たるところでしょう。</span><br />
<br />
以前に私が、<br />
<br />
「諸善を捨てよ、やめよ」と言われた、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を聞いた折、<br />
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」などの、蓮如上人や親鸞聖人のお言葉を14箇所もあなたは、ずらーっと出されたことは忘れません。<br />
<br />
しかし、<span style="color: #0000ff;">「雑行を捨てよ」の言葉をいくら並べても分かりませんが、実地に雑行の捨たった体験をすれば、雑行が捨たるとは、どんなことか、何が、どう捨たるのか、ハッキリするのではありませんか。</span><br />
<br />
そこが、信前・信後の水際でしょう。<br />
むろん、雑行が捨たった体験がなければ、逆立ちしても分からないし、言えないところでしょう。<br />
<br />
親鸞聖人の教えの最要の、信前・信後の違い目が分からねば、雑行の行体も分からねば「捨てよ」の真意も分からない。<br />
それでは「雑行を捨てよ」の多くの提示もナンセンスになりましょう。<br />
<span style="color: #0000ff;"><br />
「雑行を捨てよ」<br />
とは、４５９さんの言うような、<br />
「諸善を捨てよ、やめよ」<br />
ということではなく、<br />
「諸善を往生の役に立たせようとする心を捨てよ」<br />
ということではありませんか。</span><br />
<br />
それを、<br />
「諸善をやめよ、するな」<br />
と、聞き誤っている、真宗の道俗のいかに多いことか。<br />
答えに窮される４５９さんも、そのお一人にすぎないと言えましょう。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
（コメント）<br />
<br />
今から、<span style="color: #800080;">親鸞聖人が、</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">「雑行を捨てよ」</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">と言われているのは、</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">「諸善を捨てよ、やめよ」</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">ということではなく、</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">「諸善を往生の役に立たせようとする心を捨てよ」</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">ということであることが、示されていきます。<br />
ここが、みんな誤解しているところ</span>ですから、ねんごろに、重ねて、<br />
「雑行を捨てよ」の真意が、明らかにされていきます。<br />
<br />
続く<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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<br />
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<br />
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	</item>
		<item>
		<title>「雑行を捨てよ」の真意（８）　親鸞会.NET</title>
		<link>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou8.htm</link>
		<comments>http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou8.htm#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 22:00:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kenmin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[親鸞会　雑行を捨てよの真意]]></category>

		<category><![CDATA[親鸞会　雑行]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.shinrankai.net/?p=1567</guid>
		<description><![CDATA[
当サイト（親鸞会.NET）にて、《「雑行を捨てよ」の真意》について連載しています。

「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───

今日が第8回目です。

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET

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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

こんにちは、４５９さん。お加減いかがでしょうか。

「あらおかし　世はさかさまに　なりにけり
乗った人より　馬が丸顔」

で、叱っていた人が、いつの間にやら諭されているような、おかしなことになってしまいましたが、猛火が迫っているのですから、目を覚ました者から眠っている人を起こさねばならないでしょう。

「『雑行』とは、仏法上のすべての『諸善』のことであり、『雑行を捨てよ』とは、『一切の諸善を捨てよ、やめよ』ということである」
「諸善を勧める親鸞会は、いかにインチキかに気付いてもらうのが私の仕事」
とまで、４５９さんは言いなさっています。

「雑行を捨てよ」

ということを、

「諸善を捨てよ、やめよ」

と誤解しているのは、４５９さんだけではないことは、先にも述べたことですが、因果の道理を否定する輩ならともかく、因果の道理を深信する仏法者なら、

「諸善を捨てよ、やめよ」

と言えるはずがありません。
もしあれば、その人は、「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよと言われる真意を知らないだけでしょう。

ではなぜ、
「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよ、と言われるのか。
「諸善」を行う心がけが悪いからです。

その悪い心とは、

「往生の役に立てようとする心」

です。

「雑行」とは、その悪い心で行う諸善のことでしょう。

「諸善」が悪いはずはなく、それをやる心がけが悪いから、雑行とけなされ捨てよ、と言われるのであって、諸善そのものを捨てよ、やめよ、ということではないのです。

「往生の役に立てようとする自力の心を捨てよ」
と言われているのを、４５９さんはじめ多くの真宗の人は、
「諸善を捨てよ、やめよ」
と聞き誤っているのです。

往生の役に立てようとする心で行う「諸善」はすべて雑行といわれ、「念仏」ならば雑修と言われるのではありませんか。

重ねて言いましょう。

「雑行を捨てよ」
の教誨は、断じて、
「諸善を捨てよ、やめよ」
ということではなく、
「諸善を往生の役に立てようとする自力の心を捨てよ」
ということであることを。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

４５９さん、その後いかがお過ごしですか。

４５９さんは、９月28日のカキコで、
「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」は同じことだと、まだ分かりませんか、と叱っておられます。

「諸善」と「雑行」の違いが分からず、
「雑行を捨てよ」は、イコール
「諸善を捨てよ、止めよ」の教えだという誤解は、真宗にとって極めて重大です。

「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、
「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」
と言われます。

その自力の心が、他力の心に切り替えられて、広大な仏恩に感泣し動かされる諸善は、報恩行となるのでしょう。

同じ諸善が、自力の信心でやるか、他力の信心かで、雑行ともなり報恩行ともなるのではありませんか。

たとえば、同じ菓子箱が試験の前に持参すればワイロと悪くいわれますが、見事合格した後に持って行けば、誰にはばかることのないお礼の菓子箱になるようなもの。菓子箱そのものは少しも変わりませんが、持っていく心は大違いです。

救われていない信前は、雑行と嫌われ捨てよといわれていた諸善も、救われた信後は報謝の行となる。同じ「諸善」が、信前・信後で雑行ともなり、報恩行ともなるのでしょう。

「雑行」と「諸善」の違いは、行体にあるのではなく、それを行う心の違いではありませんか。
だから「雑行を捨てよ」は「諸善を捨てよ」ではなく、自力の心を捨てよということなのです。

諸善をすべて雑行だとすれば、「雑行を棄てて、本願に帰す」といわれてからの親鸞聖人の報恩行の活動は、一体なんだったのか。

諸善ではなかったのか。
「雑行」と「諸善」の分別がハッキリしていないと混乱し行き詰まってしまうのです。
「真宗では、諸善を勧めない」などと大衆に、悪人製造の教えのような誤解を与える罪は、決して軽いものではないでしょう。

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４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

あなたの「問い」はあなたがどうしても知りたいことですか？
どのぐらい知りたい気持ちがありますか？

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新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「あなたの問いは、あなたが、どうしても知りたいことですか」

久しく、ご無沙汰の４５９さんの返信は、何をいまさらと思わせる、大変心外なものでした。
「親鸞聖人の教え」と「親鸞会の主張」の、どこがどう違うのか、どうしても知りたくて、問い続けてきたのではありませんか。
今までも今からも、このこと一つの為ですから、初期の目的を踏み外さずにお願いします。
なにしろ世話のやける天然ですから。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
４５９氏から新人太郎氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

親鸞会と真宗の違いはすでに示しました。
それは「浄土真宗は諸善を勧めるか否か」という点です。
どうしてもあなたが知りたいというのならばＳＡ氏が懇切丁寧に教えてくれてます。
そちらへどうぞ・・・。

私はあなたとこれ以上議論するつもりはありません。
あなたが本当に親鸞聖人の教えと親鸞会の主張のどこがどうちがうのか知りたいという気持ちがあるならばＳＡ氏の問いかけに無視する理由はありません。
あなたは私以外の人の問いかけに徹底的に無視ダンマリを決め込んでいますが、それが求道者の姿勢とは思えません。

真摯な気持ちをお持ちならＳＡ氏の問いかけに答えるべきです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新人太郎氏から４５９氏へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「新人太郎さん　こちらで・・・・」
と、他人を招きながら、
「私はあなたとこれ以上議論するつもりはありません」
とは、おかしすぎます。
至極さん以上の方があるとは思いませんが、初期の目的を果たすためなら、どなたの指導を受けられても結構です。
己の発言には、己が責任を持って答えるのが当然でしょう。
「他人に聞いてくれ」では、
「これ以上議論するつもりはありません」
が、
「これ以上議論できなくなりました」
と、勘ぐられても仕方ないでしょう。

獅子は伴侶を求めず。
もっと、自信を持って懇切丁寧に対応されるのが、真摯な気持ちをお持ちの方と思われますがいかがでしょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

（コメント）

「４５９」というハンドル名は、「至極」という仏教の言葉からつけたのでしょう。

「至極」とは、仏教で最も重い言葉です。
これ以上大事なことはない、ことのみに用いられます。
そんな「至極」という最重要の言葉を、自分の名前に付けるくらいですから、よほど自信があったのでしょう。

「では仏教の素人（？）にもわかってもらえるようにカキコするつもりでいきます」
などと、最初に大見得を切ってしまったものですから、取り返しのつかないことになったのです。

ただ、
「雑行を棄てよ」
の真意が鮮明にされる、絶好の勝縁を与えてくれたのですから、そういう意味では感謝すべきかも知れません。

では、浄土真宗の至極とは何か。

これがまさに、「信前・信後の水際」の一念である、と親鸞聖人も蓮如上人も、
「聖人の御流は、たのむ一念のところ肝要なり」（御一代記聞書）
と明らかにされています。
その「真宗の至極」が、４５９氏に問われているのです。

続く

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET

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親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（７）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（８）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（９）　親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１０・最終回）　親鸞会.NET


 


]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
当サイト（<strong><a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>.NET</strong>）にて、<span style="color: #ff0000;">《「雑行を捨てよ」の真意》</span>について連載しています。<br />
<br />
<span style="color: #800080;">「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるか、ないか」<br />
───浄土真宗で、「雑行を捨てよ」と教えられる真意───</span><br />
<br />
今日が第8回目です。<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou2.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（２）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou3.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（３）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou4.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（４）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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</a><br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyou6.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（６）　親鸞会.NET<br />
</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
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</a><br />
<br />
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<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
こんにちは、４５９さん。お加減いかがでしょうか。<br />
<br />
「あらおかし　世はさかさまに　なりにけり<br />
乗った人より　馬が丸顔」<br />
<br />
で、叱っていた人が、いつの間にやら諭されているような、おかしなことになってしまいましたが、猛火が迫っているのですから、目を覚ました者から眠っている人を起こさねばならないでしょう。<br />
<br />
「『雑行』とは、仏法上のすべての『諸善』のことであり、『雑行を捨てよ』とは、『一切の諸善を捨てよ、やめよ』ということである」<br />
「諸善を勧める<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>は、いかにインチキかに気付いてもらうのが私の仕事」<br />
とまで、４５９さんは言いなさっています。<br />
<span style="color: #0000ff;"><br />
「雑行を捨てよ」</span><br />
<br />
ということを、<br />
<br />
「諸善を捨てよ、やめよ」<br />
<br />
と誤解しているのは、４５９さんだけではないことは、先にも述べたことですが、因果の道理を否定する輩ならともかく、因果の道理を深信する仏法者なら、<br />
<br />
「諸善を捨てよ、やめよ」<br />
<br />
と言えるはずがありません。<br />
もしあれば、その人は、「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよと言われる真意を知らないだけでしょう。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">ではなぜ、<br />
「諸善」を「雑行」と嫌われ捨てよ、と言われるのか。<br />
「諸善」を行う心がけが悪いからです。</span><br />
<br />
その悪い心とは、<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「往生の役に立てようとする心」</span><br />
<br />
です。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「雑行」とは、その悪い心で行う諸善のことでしょう。</span><br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「諸善」が悪いはずはなく、それをやる心がけが悪いから、雑行とけなされ捨てよ、と言われるのであって、諸善そのものを捨てよ、やめよ、ということではないのです。<br />
</span><br />
「往生の役に立てようとする自力の心を捨てよ」<br />
と言われているのを、４５９さんはじめ多くの真宗の人は、<br />
「諸善を捨てよ、やめよ」<br />
と聞き誤っているのです。<br />
<br />
往生の役に立てようとする心で行う「諸善」はすべて雑行といわれ、<span style="color: #0000ff;">「念仏」ならば雑修</span>と言われるのではありませんか。<br />
<br />
重ねて言いましょう。<br />
<br />
「雑行を捨てよ」<br />
の教誨は、断じて、<br />
「諸善を捨てよ、やめよ」<br />
ということではなく、<br />
「諸善を往生の役に立てようとする自力の心を捨てよ」<br />
ということであることを。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
４５９さん、その後いかがお過ごしですか。<br />
<br />
４５９さんは、９月28日のカキコで、<br />
「諸善を捨てよ、止めよ」と「雑行を捨てよ、止めよ」は同じことだと、まだ分かりませんか、と叱っておられます。<br />
<br />
「諸善」と「雑行」の違いが分からず、<br />
「雑行を捨てよ」は、イコール<br />
「諸善を捨てよ、止めよ」の教えだという誤解は、真宗にとって極めて重大です。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「雑行」も「諸善」も、その行体は変わりませんが、<br />
「往生の役に立てようとする自力の心でやる諸善」は「雑行」と嫌われ「捨てよ」<br />
と言われます。</span><br />
<br />
その自力の心が、他力の心に切り替えられて、広大な仏恩に感泣し動かされる諸善は、報恩行となるのでしょう。<br />
<span style="color: #0000ff;"><br />
同じ諸善が、自力の信心でやるか、他力の信心かで、雑行ともなり報恩行ともなる</span>のではありませんか。<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">たとえば</span>、同じ菓子箱が試験の前に持参すればワイロと悪くいわれますが、見事合格した後に持って行けば、誰にはばかることのないお礼の菓子箱になるようなもの。菓子箱そのものは少しも変わりませんが、持っていく心は大違いです。<br />
<br />
救われていない信前は、雑行と嫌われ捨てよといわれていた諸善も、救われた信後は報謝の行となる。同じ「諸善」が、信前・信後で雑行ともなり、報恩行ともなるのでしょう。<br />
<br />
「雑行」と「諸善」の違いは、行体にあるのではなく、それを行う心の違いではありませんか。<br />
だから<span style="color: #0000ff;">「雑行を捨てよ」は「諸善を捨てよ」ではなく、自力の心を捨てよということなのです。<br />
</span><br />
<span style="color: #0000ff;">諸善をすべて雑行だとすれば、「雑行を棄てて、本願に帰す」といわれてからの親鸞聖人の報恩行の活動は、一体なんだったのか</span>。<br />
<br />
諸善ではなかったのか。<br />
「雑行」と「諸善」の分別がハッキリしていないと混乱し行き詰まってしまうのです。<br />
「真宗では、諸善を勧めない」などと大衆に、悪人製造の教えのような誤解を与える罪は、決して軽いものではないでしょう。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
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<br />
あなたの「問い」はあなたがどうしても知りたいことですか？<br />
どのぐらい知りたい気持ちがありますか？<br />
<br />
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<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
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「あなたの問いは、あなたが、どうしても知りたいことですか」<br />
<br />
久しく、ご無沙汰の４５９さんの返信は、何をいまさらと思わせる、大変心外なものでした。<br />
「親鸞聖人の教え」と「<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>の主張」の、どこがどう違うのか、どうしても知りたくて、問い続けてきたのではありませんか。<br />
今までも今からも、このこと一つの為ですから、初期の目的を踏み外さずにお願いします。<br />
なにしろ世話のやける天然ですから。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #008080;">４５９氏</span>から新人太郎氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
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<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>と真宗の違いはすでに示しました。<br />
それは「浄土真宗は諸善を勧めるか否か」という点です。<br />
どうしてもあなたが知りたいというのならばＳＡ氏が懇切丁寧に教えてくれてます。<br />
そちらへどうぞ・・・。<br />
<br />
私はあなたとこれ以上議論するつもりはありません。<br />
あなたが本当に親鸞聖人の教えと<a href="http://www.shinrankai.net/">親鸞会</a>の主張のどこがどうちがうのか知りたいという気持ちがあるならばＳＡ氏の問いかけに無視する理由はありません。<br />
あなたは私以外の人の問いかけに徹底的に無視ダンマリを決め込んでいますが、それが求道者の姿勢とは思えません。<br />
<br />
真摯な気持ちをお持ちならＳＡ氏の問いかけに答えるべきです。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<span style="color: #0000ff;">新人太郎氏</span>から４５９氏へ<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
<br />
<span style="color: #0000ff;">「新人太郎さん　こちらで・・・・」<br />
と、他人を招きながら、<br />
「私はあなたとこれ以上議論するつもりはありません」<br />
とは、おかしすぎます。</span><br />
至極さん以上の方があるとは思いませんが、初期の目的を果たすためなら、どなたの指導を受けられても結構です。<br />
己の発言には、己が責任を持って答えるのが当然でしょう。<br />
「他人に聞いてくれ」では、<br />
「これ以上議論するつもりはありません」<br />
が、<br />
「これ以上議論できなくなりました」<br />
と、勘ぐられても仕方ないでしょう。<br />
<br />
獅子は伴侶を求めず。<br />
もっと、自信を持って懇切丁寧に対応されるのが、真摯な気持ちをお持ちの方と思われますがいかがでしょう。<br />
<br />
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<br />
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（コメント）<br />
<br />
「４５９」というハンドル名は、「至極」という仏教の言葉からつけたのでしょう。<br />
<br />
「至極」とは、仏教で最も重い言葉です。<br />
これ以上大事なことはない、ことのみに用いられます。<br />
そんな<span style="color: #800080;">「至極」という最重要の言葉を、自分の名前に付けるくらいですから、よほど自信があったのでしょう。</span><br />
<br />
「で<span style="color: #800080;">は仏教の素人（？）にもわかってもらえるようにカキコするつもりでいきます」</span><br />
などと、最初に大見得を切ってしまったものですから、取り返しのつかないことになったのです。<br />
<br />
ただ、<br />
「雑行を棄てよ」<br />
の真意が鮮明にされる、絶好の勝縁を与えてくれたのですから、そういう意味では感謝すべきかも知れません。<br />
<br />
では、<span style="color: #800080;">浄土真宗の至極とは何か。</span><br />
<br />
<span style="color: #800080;">これがまさに、「信前・信後の水際」の一念である、と親鸞聖人も蓮如上人も、<br />
「聖人の御流は、たのむ一念のところ肝要なり」（御一代記聞書）</span><br />
と明らかにされています。<br />
<span style="color: #800080;">その「真宗の至極」が、４５９氏に問われているのです。</span><br />
<br />
続く<br />
<br />
<a href="http://www.shinrankai.net/2010/07/zougyo.htm" target="_blank">親鸞会.NET» » 「雑行を捨てよ」の真意（１）親鸞会.NET<br />
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</a><br />
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</a><br />
<br />
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<br />
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