2017/09/20

シネマ学院 建設責任者に聞く「親鸞聖人の教えを学べる世界に類のない施設」

映画で親鸞聖人の教えが学べる専門施設、「シネマ学院」(10月初旬オープン)の優れた設備について、建設の責任者に語ってもらいました。
いつまでも余韻に
最近の映画館は、大概ショッピングセンターなどと併設されています。

それは商業的な理由によるもので、純粋に映画を鑑賞するという観点に立つと、残念な点が幾つもあります。

一つには、名画ほどいつまでも余韻に浸っていたいものですが、最近の映画館は、一歩外に出ると喧騒に包まれ、たちまち日常に戻されます。

その点、シネマ学院は、同朋の里という静かな環境にあり、 映画を鑑賞した後も、長く感動に浸っていられると思います。

また、一般の映画館は、できるだけ多くの人を入れるため、席と席との間隔が狭く、肘掛けが隣と兼用だったり、最前列はスクリーンが近すぎて圧迫感があるなどの欠点があります。

この点も、シネマ学院はゆったりと鑑賞でき、最前列でも見やすくなっています。

映画はDVDやブルーレイで、ご家庭や会館などでも鑑賞できますが、映画館ではDCP(フィルムに替わるデジタルデータによる映画の上映方式)が使われており、これはブルーレイの10倍以上のデータが収まっています。

そのデータを完全にひらくことは、映画館用の映像・音響機材でなければできません。

シネマ学院には、最新で最高の音響・映像機材が導入されますが、それだけでなく、ホール自体が、映画のよさを最大限、引き出せるようになっています。
シネマ学院は親鸞聖人の教えを学べる世界に類のない施設

中でも吸音性は抜群です。映画館はコンサートホールなどと違い、音を反響させない構造になっています。

反響すると、息遣いのような繊細な音が聞き取りにくくなったり、映像では野外の音が、屋内のような響き方になり違和感が生じます。

ホールの壁には普通の映画館の1・5倍の吸音材を使い、天井も音が跳ね返らぬよう、角度がつけられています。さらに空調や映像機材、トイレの音などの雑音が入らぬよう、徹底して遮音性を高めました。

また、後方の席は大きく段差がついているので、前の席の人たちの頭が視界に入りにくく、後ろでもスクリーンがすっきりと見えます。

シネマ学院は、親鸞聖人の教えを最高の映像と音響で学べる世界に類のない施設といえるでしょう。

シネマ学院はSNSからも見ることができます。

●シネマ学院YOUTUBE動画(ここをクリック)

●シネマ学院ツイッター(ここをクリック)

※こちらの記事もご覧ください。

「シネマ学院」浄土真宗親鸞会 同朋の里に10月オープン

続きを読む »

2012/08/23

「念仏者は無碍の一道なり」の「碍」とは? 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第25回

『歎異抄』の有名な一節、「念仏者は無碍の一道なり」の誤解は、後生の一大事を知らないところからおきているようです。親鸞会では、その後生の一大事を明らかにしています。無碍の碍とは、往生浄土のさわりにならない、という意味です。

続きを読む »

2012/02/23

親鸞聖人の人間観とは? 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第24回

親鸞聖人の人間観から『歎異抄』を拝読しなければ、大変な誤解を生んでしまいます。親鸞聖人の人間観は、阿弥陀仏が見られた人間のすがたです。親鸞会では、常の弥陀の本願を原点に、親鸞聖人の教えをお伝えしています。

続きを読む »

2012/01/25

「衆生済度は死んでから」の誤解 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第23回

親鸞聖人の「いそぎ仏になりて」の一文から、「衆生済度は死んでから」と誤解した歎異抄解説本が多いようです。『歎異抄をひらく』には、「はやく弥陀の本願に救われ念仏する身となり、浄土で仏のさとりを開き、大慈悲心を持って思う存分人々を救うことをいうのである」と明記されています。仏教は生きている時が勝負なのです

続きを読む »

2011/12/02

「他力をたのむ」とは? 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第22回

「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」を誤解すると、悪をしてもいい、善はするな、ととんでもない誤解をしてしまいます。親鸞会は、悪人の正しい意味を明らかにし、本当の親鸞聖人の教えをお伝えしています。

続きを読む »

2011/09/24

「悪人」は人間の代名詞 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第21回

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は、日本の思想史の中でも最も有名な一節といわれます。ところが、この親鸞聖人のお言葉の誤解が甚だしいのです。親鸞会は、その誤解をただし、本当の「悪人正機」の意味をお伝えしています。

続きを読む »

2011/09/16

本願寺門主「50年後はどうなる?」不安を吐露 親鸞会との違いはどこに?

「“ただ”の“ただ”もいらぬ“ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた“ただ”である」。ただ念仏の「ただ」がこんなに凄い「ただ」だとは誰も知りません。親鸞会の講演会で、本当の親鸞聖人に会えたと喜ぶ真宗難民の方々はあとをたちません。

続きを読む »

2011/09/12

「非業非善」の念仏の真意 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第20回 

「非業非善」の念仏とは、どういう意味でしょうか?浄土真宗で極めて大切な、「他力」「自力」の意味を明確にしっていただかなければ、本当の親鸞聖人の教えはわかりません。親鸞会は、他力、自力の意味を正しく、丁寧に、ひとりでも多くの方にお伝えしていきます。

続きを読む »

2011/05/05

「善も悪も全く知らぬ」他力信心の表明 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点《第19回》

親鸞聖人の「善も悪も全く知らぬ」というお言葉を文字どおり、「何もわからない」と解説した本が多く驚きます。これは他力信心の表明であることを知らねばなりません。歎異抄には、このように誤解しやすい言葉が多いので、親鸞聖人の主著『教行信証』をもとに解説せねばならないのです。

続きを読む »

2011/04/27

和の精神と十七条憲法 「和する」を貴ぶ親鸞会

聖徳太子は、日本に仏法を広められた方で、親鸞聖人は「和国の教主(日本のお釈迦様)と褒め称えておられます。その聖徳太子が制定して「十七条憲法」の中に「和するを以て貴し」と書かれてあります。親鸞会も「和する」ことを貴び、親鸞聖人の教えをお伝えしています。

続きを読む »

親鸞会講座

最新の情報


Go Top