2009/07/30
倉田百三《歎異抄に魅せられた人々》
倉田百三は『歎異抄』を熟読し、こう称賛しています。
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい」
「実に名文だ。国宝と云っていい」
「歎異鈔より本質的に、内面的な書物を世界に求めてもありはしない。
これは敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、又燈下に親しむべき心の友である」
(倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔 法然と親鸞の信仰』)
2009/07/30
倉田百三は『歎異抄』を熟読し、こう称賛しています。
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい」
「実に名文だ。国宝と云っていい」
「歎異鈔より本質的に、内面的な書物を世界に求めてもありはしない。
これは敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、又燈下に親しむべき心の友である」
(倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔 法然と親鸞の信仰』)
2009/07/29
日本語で思想がのべられたものとしては、
十三世紀の『歎異抄』が最初のもので、しかも傑作というべき名文です。
(出典)司馬遼太郎『司馬遼太郎が考えたこと』15、新潮社、2002年
「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、筆者不明の『歎異鈔』と
室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)と宮本武蔵
(五輪之書)のほかにはみられない」
(出典)司馬遼太郎『真説宮本武蔵』講談社文庫、1983年
2009/07/27
この(歎異抄の)言葉そのものに出会うことが
できなかったとしたら、おそらく、日本人にとっては
非常に大きな損失であったでしょうし、このことが
あるおかげで、親鸞と出会うという感覚を私たちは持つことができるわけです。
親鸞は、本当の意味での教育者だと思います。
2009/07/26
東野恵美さんの永年の悩みの種は、姑との人間関係でした。
「なぜこんな家に嫁いだのか」
真剣に離婚を考えたこともあり、救いを求めてイロイロな宗教に迷ってきました。
そんな中、友人の紹介で浄土真宗親鸞会のことを知り、地元の講演会に参詣するや、
「やっと真実の宗教に巡り遇えました!」
と大変喜び、親鸞会会員になられたのです。
間もなく、お仏壇に正御本尊を迎え、毎月の親鸞会館、地元の講演会、勉強会と
感謝の心いっぱいで聞法を重ねられるようになりました。
そして恵美さんは「自分がこの教えに遇えたのは姑さんのおかげ」と知らされたのです。
「義母さんも難度海(※なんどかい・苦悩の人生)で
辛い思いをしているのだから何とか聞いてもらいたい。
今のままでは本当にかわいそうだ」
と思い、それまで離れの隠居部屋に一人いた姑さんに
「義母さん、一緒にお勤めしましょ」
と毎日声をかけるようになりました。
それからというもの、一緒に正御本尊の前で正信偈を拝読し、二人で仏法讃嘆をするの
が楽しい日課となったのです。
そして、姑さんも恵美さんと一緒に親鸞会館へ参詣されるまでになりました。
初めは硬い表情でしたが、だんだんと打ち解け、
「私は若いころから病気の主人の看病、9人の小姑の世話と苦しみの連続で、
本気で入水自殺をしようとしたこともあった」
と語られました。
それから、姑さんは、このように言われたのです。
「私は、息子夫婦の仲のよさがねたましく、
意地悪なことばかり言ってきた」
姑さんは泣いていました。
「それなのに私を恨んでいるはずの嫁さんから、
寺などでは絶対に聞けない本当の親鸞聖人のみ教えを
聞かせてもらうことができました。
うちの嫁さんは善知識です。
私は幸せ者です。
ありがたいです」
と心から喜び、
「嫁さんについていくので私もお仲間に入れてください」
と言われたのです。
「憎しみ合っていたのに、本当に夢のようです。
すべて阿弥陀さま、高森先生のおかげです」
とお二人の目からは涙があふれていました。
「今度は主人(息子)にも伝えたいね」
二人とも輝く瞳で笑っていました。
王舎城の悲劇(※)を彷彿とさせる如来のドラマを目の当たりにし、思わず
私ももらい涙でした。
(お名前はプライバシーの関係で配慮しております)
※難度海についてはコチラをご覧ください。
※王舎城の悲劇についてはコチラをご覧ください。
2009/07/21
「鎌倉(時代)というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」
(司馬遼太郎「この国のかたち(1)」)
非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。
人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、
何かうそだなと思うことがあります。
『歎異抄』にはそれがありませんでした。
(出典)司馬遼太郎『司馬遼太郎全講演』1
「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」
2009/07/17
「私は、何と言うことなく、親鸞が好きだ、蓮如が好きだ。
好き、嫌いで言うのは変だけれど、正直な表現で言えば、そうなる」
そんな吉川英治の座右の書「歎異抄」
白鳥省吾、倉田百三らと東北の農村を回り青年運動をおこなった吉川英治が
農村を行く道中、歎異抄を手にする情景が目に浮かんできます。
「歎異抄 旅に持ちきて 虫の声」
続きを読む »2009/07/17
『歎異抄』は、作家、哲学者、右翼の活動家から左翼の思想家まで、
最も広範な読者を持つ仏教書の筆頭と称されています。
5400冊を越える岩波文庫でも歴代8位の117万部という
ロングセラーかつベストセラーとなっていますが、
『歎異抄』は世界の光といわれる親鸞聖人の肉声が、
国宝と評される名文でつづられており、
多くの人々を魅了し続けているのです。
“一流”といわれる人たちが、歎異抄をどう語っているのか、
これから「歎異抄に魅せられた人々」と題して、シリーズでお届けしたいと思います。
2009/07/15
皆さん、お元気でしたか? 親鸞会ネット案内役の法子です。今は大講堂のいちばん後ろからでも、黒板の文字をハッキリ見ることができる『大映像』について話をしています。
さて、LEDが導入されるいきさつを、お話ししましょうね。
2009/07/08
親鸞会館で「人身受け難しの」の御法話を聞かせていただいて。
人命の尊重は、人間に生まれた喜びから出てくるものであり、自分の命の尊さを感じない人が他人の命を尊重できないのは当然であると思いました。
メディアが発達し、毎日のように耳に入って来る痛ましいニュースに、胸がふさがりそうになります。
駅前で無差別に通行人を殺傷した男は、「蚊を殺すのと人を殺すのと何が違うのか」とうそぶきました。
御法話の翌日の6月8日は、昨年、秋葉原での殺傷事件が起き、八年前は池田小学校の殺害事件があった日だとラジオで言っていました。
人間に生まれながら、生まれた喜びを語る人はほとんどありません。水平線しか見えぬ大海原に放り込まれ、どこに向かって良いのか、泳ぐ方角もわからないまま必死に泳いでいる生き様は悲劇としか言いようがないでしょう。
政治、経済、科学、医学など、世の中の営みは、泳ぎ方を教えるのみで、泳ぐ方角を示すものがありません。
大海に救助の大船があることを知らぬ人たちは、目の前に浮かんでいる板切れや丸太に、とりあえずすがる以外になく、不安の堪えない人生を送っています。
まさに親鸞聖人の「火宅無常の世界は、よろずのこと皆もって空ごと、たわごと、まことあることなし」の実証ではないでしょうか。
人として生まれ、尊く有難い仏縁に恵まれたことに感謝して、光に向かって生きていこうと思います。
続きを読む »2009/07/06
先日の親鸞会館での講演会の感想です☆
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人間に生まれたことは喜んで当然なのに、なぜ多くの人は喜びがないのでしょうか。
それは、仏法に説かれている生命の大歓喜を聞かせていただくことが大変に難しいからだ、と聞かせていただきました。
このことを、お釈迦さまの有名なお言葉、
「人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く」
を通して詳しく教えていただきました。
「人身受け難し、今已に受く」とは、人身とは私たち人間のことですから、「生まれ難い人間に生まれることができてよかった」という喜びの言葉です。
「仏法聞き難し、今已に聞く」とは、聞きがたい仏法を聞かせていただくことができてよかった、という歓喜の言葉です。
その喜びの身に救われるには、仏法は聴聞に極まるのだよ、と教えていただきました。
生まれたということは、ちょうど空と水しか見えない大海にほうり出されたようなもの。
そのままではおぼれてしまうから、必死に泳がねばならないのですが、どの方向に泳げばよいのか、皆目、見当もつかない状態です。
あてどもなく漂う間にも、次から次と波は押し寄せ、周辺に浮かぶ丸太や板切れを求めて懸命に泳ぐ姿は、人生の苦しみから逃れようと、金や財産、地位や名誉、健康や家族を求めて生きる、すべての人の生きざまを象徴しているかのようです。
しかし、やがて死によって裏切られ、海の藻屑とならねばならない人類に向かってお釈迦さまは、「一向専念無量寿仏」(阿弥陀仏に向かい、信じなさい)と、進むべき方角を明らかに教えられ、親鸞聖人は、苦しみ悩みの人生の海を、明るく楽しく渡す阿弥陀仏の願いによって建てられた大船の存在を教えてくださいました。
人間に生まれてよかった、という生命の大歓喜を獲るまで、続けて親鸞聖人の教えを聞かせていただきたいと思います。
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