連日のいじめ自殺の報道に、心を痛めない人はないでしょう。マスコミもこぞって、「死んではいけない」「きっといつか、いいことがある」「必ずだれかが分かってくれる」と必死の説得を試みています。でも、本当にこれで根本的な解決になるのでしょうか。
東京都のある中学で、校長が自ら、いじめや自殺について生徒に考えさせる授業に取り組んでいるそうです。その内容がニュース番組で放映されましたが、多くの視聴者は驚いたのではないでしょうか。
「飛び降りようとしている同級生に、どんな言葉をかけるか」というテーマを生徒に与え、意見交換するという授業。
だが校長の結論は、「説得するのは、ほとんど不可能です。おれは嫌だ、絶対嫌だと感情的に止めるしかない」というものでした。
見ている教師たちは困惑の表情を浮かべ、参加したある生徒は、「自殺を止めるのは無理だと思いました」と率直な感想を述べています。
これではまるで「自殺を止める理由はない」と暴露しているようなものでしょう。
怖くてだれも触れませんが、芥川龍之介、太宰治、川端康成、江藤淳ら、日本の知性を代表する人たちもまた自殺しています。
日本だけではありません。
『老人と海』でノーベル文学賞を受賞したアメリカのヘミングウェイ、現代哲学の期待の星といわれたフランスのドゥルーズも自ら命を絶っています。
彼らの自殺を、一体だれが止められるでしょうか。
いじめ自殺は、「こんなに苦しいのに、なぜ生きねばならないの?」と、いう悲痛なメッセージ
人生は生きるに値するか
不条理の哲学で有名なアルベール・カミュは、評論集『シジフォスの神話』の冒頭にこう述べています。
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。それ以外のこと、つまりこの世界は3次元よりなるかとか、精神には9つの範疇があるのか12の範疇があるのかなどというのは、それ以後の問題だ。そんなものは遊戯であり、まずこの根本問題に答えなければならぬ」
しかり。今、大人が子供たちから突きつけられている問題は、単に教育現場や文科省に任せていいことではありません。
なぜ自殺してはならないか。これは、人類最大の難問といえるでしょう。
特集1 なぜ自殺はいけないの?混迷の社会と親鸞聖人