2011/09/12

「非業非善」の念仏の真意 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第20回 

『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第20回

計らい尽きた「非行非善」の念仏
前回の『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点【19】《「善も悪も全く知らぬ」他力信心の表明 親鸞会.NET》に引き続き『歎異抄をひらく』と他の『歎異抄解説書』を比較してみましょう

(原文)

念仏は行者のために非行・非善なり  (『歎異抄』八章)
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(梅原猛氏著『誤解された歎異抄』の意訳)
念仏は、これを唱える行者のためには、善でもなく行でもないのであります。
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(高森顕徹先生著『歎異抄をひらく』の意訳)
称える念仏は、弥陀に救われた人には「行」でもなければ「善」でもない。非行・非善である。
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●「行者」の正しい理解

『歎異抄』一章では、念仏にまさる「善」はないと言われ、『教行信証』では弥陀より賜る念仏は「大行」だと説示されています。

大行というは、すなわち無碍光如来の名を称するなり。この行は、すなわち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。故に大行と名づく
(教行信証)

(意訳)

「大行」とは、”南無阿弥陀仏”と称えることである。南無阿弥陀仏には、あらゆる善行、功徳の本がおさまっている。しかも、信ずる一念で私と一体となり大善大功徳が身に満ち溢れる。
このような唯一絶対の善根功徳の大きな宝の海なのだ。ゆえに「大行」というのである。




ところが八章では、念仏は「行者のために」は善でもなければ、励むべき行でもないと、意外なことが言われています。
聖人の、この真意は何でしょう。それは「行者のために」の、正しい理解の中にのみ存在します。

『歎異抄をひらく』では「行者」を「弥陀に救われた人」と明快に意訳されていますが、他の解説書では不明瞭です。

例えば冒頭の引用書は「これを唱える行者」と意訳するだけで、何の説明にもなっていません。

安良岡康作氏著『歎異抄 全講読』の意訳も同様です。

念仏は、それを申す者にとっては、非行であり、非善である。

仏を「唱える行者」「申す者」といっても、その心はまちまちです。『歎異抄をひらく』では、弥陀に救われる前後で心がどう変わるか、「自力の念仏」と「他力の念仏」の違いを次のように明らかにされています。

「行者」とは、「弥陀に救い摂られた人」のことである。弥陀に救われた人の称える念仏を「他力の念仏」という。「他力の念仏」は、まったく弥陀の熱い願いによって称えさせられる念仏である。

それに対して、「行者」でない(弥陀に救われていない)人は、「念仏称えているから悪いところへは行かんじゃろう」とか「こんなに念仏称えているから助けてくださるだろう」と、称える念仏を助かるための「行」や「善」だと思っている。
これを「自力の念仏」という。


「他力の念仏」は、これら自力の計らい一切が粉砕され、称えさせる弥陀の力強い誓いの念仏である。

(『歎異抄をひらく』)

●自力の「計らい」とは

『歎異抄』八章には続けて、

わが計らいにて行ずるにあらざれば非行という、わが計らいにてつくる善にもあらざれば非善という

(意訳)

自分の思慮で称える念仏ではないから
「行」とは言えない。ゆえに非行という。また、自分の分別で称える念仏ではないから「善」とは言えない。ゆえに非善という。


と書かれています。
先述のとおり、『歎異抄をひらく』では、「自力の計らい」を細説されていますが、他書では「計らい」の説明も無きに等しいから、一向に分かりません。

例えば佐藤正英氏著『歎異抄論註』では、「計らい」を「〈知〉のはたらき」と解説するだけです。

山崎龍明氏著『初めての歎異抄』も、次のように著者の「領解(りょうげ)」に終わっています。

自力(己の力量)を至上、至高のものとするところに誤りが生じます。そのようなとらわれを「はからい」といいます。『歎異抄』第八条は、人間の「はからい」の誤りを指摘した個所だと私は領解(りょうげ)しています。

最も知りたい「行者」「計らい」の意味が明確にされていないから、どの解説を読んでも疑問は深まるばかりです。「計らい」の分からない人が、「計らい」尽きて弥陀より賜る「他力の念仏」が分かるはずがありませんから、

親鸞仏教センター著
『現代語 歎異抄』の解説は迷走しています。

単に、神とか仏という自分の外にあるものから促しがくるわけではない。しかし、煩悩から内発的に生ずるものでもない。これは難しい表現だけど、「内在でありつつ超越、超越でありつつ内在」という関係なのでしょう。
『歎異抄』愛読者は多くありますが、勝手な「計らい」に満ちた解説が氾濫し、他力の真義は知る由もありませんでした。この計らい一つが、弥陀の救いを妨げているのです。
『歎異抄をひらく』が仏教書では異例のロングセラーとなり、決定版となった衝撃は、どこまで波及するのでしょうか。

ha018 l 225x300 「非業非善」の念仏の真意 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第20回  親鸞会.NET

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