しばしば「宗教はマインドコントロールを使う」という言葉を耳にします。
その風潮を利用してか、「親鸞会はマインドコントロールだ」と言う人を知っています。
さて、あなたは「マインドコントロール」と聞いて、よいイメージを持たれるでしょうか?
恐らくほとんどの方が悪いイメージを持たれると思います。
つまり
マインドコントロール=洗脳
洗脳=人に考える意思を失わせて、思いどおりに考えを操ること
そんなことする団体はカルトだ!危険だ!
という考えがあるからでしょう。
イメージって大事ですね(笑)
同時に、イメージにとらわれる怖さも知っておかねばならないでしょう。
まず冷静に、学術的に、マインドコントロールについて勉強してみましょう☆
◆ 1から分かる、マインドコントロール(基礎知識編) ◆
そもそも、マインドコントロールとは、一体どういうものでしょうか。
基本的な解説を、『マインド・コントロールとは何か』(西田公昭 著)をもと
に説明しましょう。
この本にはこう書かれています。
「マインド・コントロール」という言葉には、なにか神秘的で不可解な
イメージが一般に定着しています。
破壊的なカルト宗教団体が、信者獲得のために使っている、あやしげな
心理操作と思われています。
しかし、「マインド・コントロール」そのものは、ごくありふれた
社会的影響力や、人間の自然な心理的反応の結果起こるものです。
ええ!
「マインド・コントロール」そのものは、ごくありふれたもの?
人間の自然な心理的反応?
どういうことでしょう??
この本の「第4章・一時的マインド・コントロールの原理と実際」には
人間の情報処理・5つの特徴が書かれています。
その5つとは
1.返報性 (これだけしてもらったらお礼しないといけないな)
2.コミットメントと一貫性 (小さな要求から大きな要求へ)
3.好意性 (好きだからOK)
4.希少性 (珍しいから欲しい)
5.権威性 (あの人が言うことだから正しいだろう)
です。
1つずつ見ていきましょう。
1.返報性
他人から何かを頂けば、何かお返しをしなければならないというのは、
人間として、ごく普通の感情ですよね。
「お互いさま」とか「ギブ、アンド、テイク」というように。
そのように「何かしてもらった」ことによって、
私の心が「何かしてあげなきゃ」と動く。
私のマインド(心)が相手の行動によって影響を受けたので、
これもマインドコントロールの一つになるのです。
2.コミットメントと一貫性
小さな要求に応じると、大きな要求であっても小さな要求の時と同じ流れで
あればYESという傾向にある。
人から物を頼まれる時は、概してそういうものではないでしょうかね。
誰だって、初めから大きな要求はしないものですから。
小さな要求にYESと言ったため、もし最初から大きな要求だったらNOと
言ったはずの私がYESと言った。
これも私の心(マインド)が話の順番によって影響を受けたのだから、
マインドコントロールになるということです。
3.好意性
「個人は好意を示してくれる相手に対して好意的な行動を示してしまう」
「お世辞であろうと、好きだと言ってくれている相手に対して、
好意を抱いてしまう傾向にある」
当たり前のことですね。人間に限らず、ペットでも、自分に好意をもって近づいて
くるものは好意を感じますが、自分にかみついてくるようなペットなら、好きには
なれないでしょう。
でも、もし嫌いな人から同じことを頼まれたらNOと言ったことが、
好きな人から言われることによって私の心(マインド)が変化したから
これもマインドコントロールの一つ。
4.希少性
「限定販売」「先着何名まで」といったように、数を限ったりすると、
人は購買動機が高まるといわれます。
毎日テレビやラジオでの商品の紹介で、これに当てはまらないものを探すほうが
難しいですね。
もし期間が限定されなかったら即決しなかったのに、期限が限定されたことに
よって、私の心(マインド)が変わったから、これもマインドコントロールの
一つ。
5.権威性
人は権威ある人、有名な人から言われると好意的に受け止めやすくなる。
コマーシャルでよく見られますね。
イチローとかが出てくると、もともと商品にはあまり関心がなかった
はずなのに、興味を持つようになったとか。
見知らぬ人から言われてもNOと言ったのに、権威ある人から勧められて
YESと言った。
私の心(マインド)が変わったから、これもマインドコントロール。
上記5点、いずれも日常にごくありふれた行為であることがお分かりでしょう。
マスコミや、セールス、学校、企業の宣伝、国家と、人間の集まっているところ
ならどこでも行われていることですね。
ですから、「マインド・コントロール=悪」というのは、極めて単純な誤解
とは言えないでしょうか?
人間の意思決定は、いつだって外からの作用に影響されるものなのです。
そのうえで、自己責任で物事を決定していくのです。
つまり「マインドコントロールを危ない」という言葉は、正しくは
「マインドコントロールの【悪用は】危ない」なのです。
ちなみに、
私も実際「親鸞会はマインドコントロールだから危ないぞ」と言っている人と
話したことがあります。
上記のようなことを話したら、相手はどう答えたと思いますか?
「そんなことは知っている。だから、ただ事実を言ったまでだ。何が悪い」
って言ったんですよ。
マインドコントロールの意味を知ったうえで話してるんですね。
ではなぜ
「親鸞会はマインドコントロール
だから
危ないぞ」
となるのでしょう?
つまりこういうことです。
「マインドコントロール=悪」でないことは知っている。
でも「マインドコントロールという言葉は非常に悪いイメージを持っている」
ことも知っている。
だから、「親鸞会はマインドコントロールだ」と言って、親鸞会に悪いイメージを
与えてやろう、ということでしょう。
これこそマインドコントロールの悪用ですね(笑)
ちなみに、その人が親鸞会を悪く言うようになったきっかけの一つが
「俺を主任にしなかった」
という恨みからでした。
これを仏教では愚痴といいますね。
ではまた(^-^)/
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