2011/09/16
本願寺門主「50年後はどうなる?」不安を吐露 親鸞会との違いはどこに?
9月1日の全国紙に、「750回大遠忌法要」という西本願寺の全面広告が載った。参拝を呼びかけるものの、人は減る一方で、憂慮の声は内部からも聞こえてくる。
「親鸞聖人のみ教えを喜ぶ人が少なくなりつつあるのは深刻な課題」
西本願寺の学僧幹部を前にした大谷光真門主の発言(中外日報7月21日号)である。
「50年後はどうなるであろうか」とも危惧の念を語る。
一方、出版から3年半となる『歎異抄をひらく』(高森顕徹先生著)は20万部突破のロングセラーを記録中だ。
多くの人が親鸞聖人のお言葉に触れ、喜んでいることがうかがえる。
親鸞聖人のみ教えと出遇えた村野美雪さんの感動を紹介しよう。
なぜ善人より悪人なの?“謎”にひかれ『歎異抄をひらく』と出遇う
夕食の買い物を考えながら、書店のレジの列に並んだ。手には2冊の本。
財布を見ると、「お刺し身を買うと、少し足りなくなるかな?」。
仏教書コーナーに戻って、1冊を棚に戻した。
手元に残ったのが、赤い表紙の『歎異抄をひらく』だった。昨年9月。
店を出ると、夕暮れのショッピングモールは、いつものにぎわいを見せ始めていた。
村野美雪さん(47歳)は、両親の実家が真宗王国、石川県能登。
親鸞聖人には親しみがあった。
大学も西本願寺系列の武蔵野女子大(東京、現・武蔵野大)を卒業。親鸞聖人の教えはほとんど聞けなかったが、ずっと気になる言葉はあった。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄第3章)
「どうして善人より、悪人なんだろう?」。いつか誰かに聞いてみたかった。『歎異抄をひらく』の意訳を読んで、息をのんだ。
「すべての人は、『煩悩の塊』であり、助かる縁なき極悪人」(『歎異抄をひらく』P.53)とある。
「えっ!私も『極悪人』なの。大学で煩悩の話も聞いたけど、全てが煩悩だとは――?」
もう一つ、意味を知りたい言葉があった。
「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」(歎異抄第2章)
能登の祖母は、いつも念仏を称えながらお仏飯を供えていた。
「ねえ、何で称えているの?」
「昔からそういうものよ」
「念仏を称えて、何か変わるのかしら?」。子供の頃からのナゾだった。
浄土真宗の葬儀に参列すると、僧侶からは「死んだら皆、極楽に往ける」と聞かされる。ただ念仏さえ称えていれば極楽なのか、と思ったが、『歎異抄をひらく』には、こうあった。
「“ただ”の“ただ”もいらぬ“ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた“ただ”である」(『歎異抄をひらく』P.175)と。
「救いに、驚き呆れる、そんな念仏があるのか?」
大学でもらった『歎異抄』の解説書を出して読んだが、そこには「ひとすじにお念仏をよろこんで……」とあるばかりで、それ以上の解説はない。
「極悪人……ただ念仏……、どういうこと?もどかしくてモヤモヤしていましたね」
当時の心境を、村野さんは振り返る。
程なく自宅に、親鸞会の講演会案内チラシが舞い込んだ。足を運ぶと、ビデオでのご法話で、親鸞会の講師が、『歎異抄をひらく』の著者・高森顕徹先生だったことに驚いた。「三世因果の道理」「真実の自己」のご説法を重ねて聞くうち、「極悪人」の意味が知らされ、次第に後生が気になってきた。
優しい夫は、「なぜ富山まで?」と聞いてきたが、「どうしても直接お聞きしたいのです」と頭を下げた。
村野さんは夫と子供2人の家族。ともに親鸞会の二千畳で聞法したいから、帰宅すると、聞いた話をそのまま話している。
「後生の一大事を、学生の時に聞いていたら、と思います。私のような普通の主婦でも仏教はよく分かるのに、浄土真宗の学者は、親鸞聖人の教えを本当に知っているのでしょうか」
あの書店の前を通ると思い出す。
「もしあの時、『歎異抄をひらく』を書棚に戻してしまっていたら……」
阿弥陀仏のお導きを思わずにおれない。
浄土真宗の未来を変える『歎異抄をひらく』
浄土真宗の僧侶が、『歎異抄をひらく』のとおり布教すれば、教えを喜ぶ人が少ない「深刻な課題」も解消することだろう。『歎異抄をひらく』の発刊まで毎年10冊以上は出版されていた歎異抄の解説書はその後、3年半を超える「沈黙」を続けている。
大衆は見守っている。
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