2010/07/06

多生億劫にもあり得ぬ事|親鸞会 顕正新聞

「噫、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(もうあ)いがたく、真実の浄信(じょうしん)は億劫(おっこう)にも獲がたし」(親鸞聖人)

〝ああ、なんたる不思議か、親鸞、多生にも遇い難いことに、いま遇えた。億劫にも獲難いことを今獲ることができたとは〟

阿弥陀仏に救い摂られた驚きと感動の親鸞聖人のお叫びである。

親鸞会の二千畳の存在する在所に住んでいても、どれだけこの正本堂に座られる人があろうか。同朋の里のある村の幾人が、F館で信心の沙汰をされるご縁があるだろう。

親鸞会の二千畳に群参し同朋の里・F館に溢れる人々も、地元に帰れば「国に一人、郡(こおり)に一人」の親鸞学徒であるにちがいない。

無上の妙法は聞けなくて当然、聞けたら不思議の中不思議である。どうして私が聞けたのか。小慈小悲もない私なのに「何とか伝えたい」の悩みが起きるのは、全く無上仏の起こさしめたまう悩みであり、お計らいにちがいない。

「あいつはどうして聞かんのか、謗るのか」と見下げる心も、怒りの心も霧散する。

多生にも億劫にもあり得ぬことが、どうして現にわが身に起きているのか。原因を知ることこそが、最も肝要ではなかろうか。

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2010/07/01

歴史の視点 学徒の論点 西方浄土はおとぎ話か 真宗破壊の「近代教学」 その元を作った清沢満之 親鸞会.NET

東本願寺(真宗大谷派)が4月に出版した『「歎異抄」の世界』は、いわゆる「近代教学」の焼き直しだった。
明治初頭の学僧・清沢満之に始まる近代教学は、昭和31年、東本願寺の正式な「教学」として採用され、今日に至っている。
「清沢先生の教学こそ、重大な意義をもつものである」
(宗門白書)
と、当時の宗務総長が宣言しているように、大谷派で清沢の影響は計り知れない。
大教団を、親鸞聖人のみ教えに反する邪宗におとしめた清沢満之と、近代教学の内容を見てみよう。

清沢満之の生涯は、日本の激動の時代に重なる。生まれたのは文久3年(1863)、テレビドラマで話題の坂本龍馬に遅れること30年で、世上は300年続いた徳川幕府が終焉を迎え、倒幕側が新しい国作りを模索していたころである。

それまで幕府の保護のもと、安逸をむさぼっていた東西両本願寺は、
「この世でハッキリ救われる」平生業成の教えを説かなくなり、
「ただじゃ、そのままじゃ、無条件のお助けじゃ、この機に用事はないぞ、死にさえすれば、華ふる極楽じゃ」
という大風に灰をまいたような説教が大勢を占めていた。

一方、東西本願寺とも教学の研究は盛んで、精緻な体系化が進んでいた。
だが、重箱の隅をつつくような観念の遊戯に陥り、「求道」とか、「獲信」に直結し、人々が救われる生きた教学ではなかった。

そんな時、明治新政府が誕生し、幕府にべったりだった本願寺には大きな代償を伴った。
すでに「禁門の変」(1864)の兵火で、東本願寺は阿弥陀堂や御影堂など主要な伽藍を焼失し、かつての威光を失っていた。
僧俗ともに再建を願ったが、幕府と共倒れにならぬよう、政治的な工作に莫大な経費を使ったため、本山の台所は火の車だった。
さらに、仏教界を揺るがす嵐が巻き起こった。廃仏毀釈運動である。

1868年、幕府から政権を奪った明治政府は、日本神道を国教にするため、手始めにそれまで神社内に安置されていた仏像や寺院関係の物を分離する政令を相次いで出した。
これが行き過ぎて、一部民衆が仏教施設を破壊し、僧侶は強制的に還俗させられ、寺院の極端な統廃合が行われた。
浄土真宗が盛んな地方では、被害は比較的少なかったが、それでも、東西本願寺には大きな衝撃が走る。
日本神道の国教化は、仏教界全体の反対運動で何とか食い止められたが、続いて哲学や科学、キリスト教など、様々な西洋思想が怒濤のごとく流入してきた。

知識階級は、それらの新思想に強い影響を受け、日本の伝統教団にも批判の目を向けるようになった。
仏教界は新たな対応を迫られた。
若い人材に西洋の思想を学ばせねば、時代に取り残される・との危機感から、東本願寺では、本山の学僧に西洋哲学やキリスト教の教義を学ばせた。さらに末寺や門徒の子弟から秀才を集めて英才教育を施し、東京大学へ留学させる方針を取った。

名古屋の下級武士の家に生まれた清沢満之も、14歳で得度して、このエリートコースに乗った。生来、頭脳明晰で、18歳で留学組に選抜され、東大哲学科に入学。首席で卒業し、大学院で宗教哲学を研究した。
将来は大哲学者になるだろうという周囲の期待をよそに、25歳で突然京都に戻り、本山経営の京都府立中学の校長に就任。結婚して、愛知県三河の西方寺の養子になったのもこのころである。

■真実の弥陀や浄土を否定

信仰を求める真面目さは人一倍だったといわれるが、親鸞聖人の教えとは方向が全く違っていた。
明治23年(1890)、彼が真剣に取り組んだのは、聖道仏教を思わせる「自力修行」(禁欲生活)であった。
ハイカラな洋服をやめて法服を着用し、頭を丸める。煮炊きをやめ、塩も制限した粗末な食物のみを取る。どこに行くにも車に乗らず、下駄履きの徒歩にした。母が亡くなってからは拍車がかかり、そば粉を水で溶いたものだけを食し、松ヤニをなめるようになった。
この禁欲生活で清浄な心が得られると清沢は期待したが、得られたのは、30歳での不治の病・肺結核だった。転地療養した神戸で、余命いくばくもないと恐れ、日記に家族あての遺言を書きながら、毎朝『阿含経』を読誦した。そして自分の努力が不本意な結果に終わったことを深く悟った心境を、
「ほぼ自力の迷情を翻転し得たり」
と書いている。
「自力」とは、「後生の一大事助かりたい」という心であるから、弥陀の本願によって後生の一大事が解決された時に、一切の自力は浄尽する。
「自力の迷情、共発金剛心の一念に破れて」と覚如上人が言われているように、真に自力が廃った人からは、「ほぼ翻転した」という表現は出てきようがなかろう。

聖道門の発想の枠を出ることができない清沢は、親鸞聖人時代の、聖道諸宗の開祖たちと同じ轍を踏むことになる。

「(浄土とは)我等の心になぞらえて西方といったものである」
「地獄極楽の有無は、無用の論題である」
「如来あるがゆえに信じるにあらず、信じるがゆえに如来あるなり」
「来世の幸福のことは私はまだ実験しないことであるからここで述ぶることは出来ぬ」

清沢の著書や講演録に見られるこれらの言葉は、指方立相の弥陀や浄土を否定した「唯心の弥陀」「己心の浄土」という考え方である。

「唯心の弥陀」「己心の浄土」とは、
「我々の心が阿弥陀如来であり、浄土である。我々の心以外に弥陀も浄土もない」
という考え方で、これを親鸞聖人は邪義として徹底的に排斥なされている。

仏教では、

「法蔵菩薩、今すでに成仏して、現に西方にまします。ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界を名けて安楽と曰う」
(大無量寿経)

「是より西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名けて極楽と曰う。其の土に仏有す、阿弥陀と号す。今現に在して説法したまう」
(阿弥陀経)

と、西方浄土にまします阿弥陀如来が説かれているからだ。

迷った思考からは、おとぎ話としか思えないような、西方極楽浄土や、阿弥陀如来の実在こそが、仏説であり、真実なのである。
明治30年(1897)、東本願寺本山は、京都で改革運動をしていた清沢を異安心と断罪し、除名処分とした。33歳で浪人となった彼は、意気消沈して、三河の西方寺へ帰る。
まだ住職も副住職も健在で、もともと居場所がない所に、病弱な実父と一緒に世話になったため、余計に肩身が狭かった。
地獄・極楽の厳存を当然のごとく信じていた門徒に対し、それを否定して、「スペンサーの不可知論」などとやたら難しい話ばかりするので、寺でも孤立した。法要のために訪問しても、門前払いされたり、養子縁組を解消して追い出される寸前までいった。
これには清沢も精神的に相当参ってしまい、当時の日記に『臘扇記』と命名している。「臘扇」とは、12月の扇子のことで、”必要ないもの”という意味である。自分に存在価値が感じられなかったのだ。

そんな彼が感動したのは、ローマ帝国時代の奴隷が書いた『エピクテタスの語録』という哲学書であった。この世の中には意のままになることと、ならぬことがある。だが、自分の心の持ちようは自分で変えることができるから、自分の心を変え、現実を受け入れ、煩悶しないようにすれば、心の平安は保たれる。
清沢は尋常ならざる意志の力で心の持ちようを徹底的に変える努力をし、だんだんと世事や私事に惑わされない強固な「信念」を築くことができたという。これ以後、その境地を語るようになり、世の評論家には、これを清沢の「獲信」と呼ぶ者もある。しかし、もちろん自分の経験や学問で作り上げた文字どおり「自力の信心」である。

親鸞聖人が『正信偈』に、
「帰命無量寿如来
南無不可思議光」
と、本師本仏の弥陀のお名前を何度も叫ばれ、弥陀のことばかり教えておられるのとは対照的に、清沢は、阿弥陀仏の御名をほとんど語らない。「絶対無限者」に救われたと言っているので、弟子の中にさえ、「清沢の信じていたのは阿弥陀如来ではなく、西洋哲学のゴッドであった」と言う者がある。

もっともらしいことを言っても、親鸞聖人の出られた無碍の一道とは、全く異質なものであったのだ。

■「清沢教学」とその弟子たち

翌明治31年(1898)、本山の政治的な判断で除名が解かれ、東京にできた真宗大学(現・大谷大学)の初代学長に遇されるが、学生運動の責任を執って1年で辞任する。
「(清沢)先生の御生涯は悲惨の極みでした」
後に弟子が清沢の一生をこう語っているように、妻や長男の早死になど、不幸が次々とやってくる。しかし、「信念の確立」への思いはますます強くなり、たびたび喀血しながら、その時々の心境を熱心に語り、書き残していった。
この時期の活動の中心になったのが、明治33年(1900)に東京で開いた私塾「浩々洞」である。後年、近代教学を大成したといわれる金子大栄や曽我量深、暁烏敏も、ここを巣立っている。
学生時代から実験(清沢の好きな言葉で「体験」のこと)を重んじ、自らが経験したことしか信じない清沢の影響で、『御文章』など都合の悪いお聖教を軽視する姿勢は、これらの学者に一貫している。

彼らは後年、親鸞聖人や蓮如上人のお聖教ではなく、「私はああだった、こうなった」しか書かれていない清沢の絶筆「我が信念」を持って布教に回ったのである。

「予の三部経は、『歎異抄』と『阿含経』と『エピクテタスの語録』である」
と清沢は語った。『教行信証』の理解もなく、カミソリ聖教といわれる『歎異抄』を自己流に解釈し、聖道仏教と哲学をこね合わせてできたのが、「清沢教学」である。
哲学の衣をまとっていたために、浄土真宗が新生したかのように一般には映り、特に思想界に親鸞聖人のお名前を知らしめることにはなった。
内に対しては、江戸時代以来の重箱の隅をつつくような教学研究に明け暮れた宗門に風穴を開け、「求道」とか「獲信」が浄土真宗にある、と認識させたので、「今親鸞」とまで呼ばれた。
しかし、実際のところは、これまで述べてきたように、親鸞学徒の本道を大きく外れ、真実の弥陀や浄土を知らず、迷いの観念が生み出した「唯心の弥陀・己心の浄土」という邪義を天下に広めた大悪知識となったのである。

清沢満之の『我が信念』には、一高の哲学青年・藤村操と同様に「人生不可解」という意味のこ
とを書いており、この共通点について論じる学者もいる。

「私が如来を信ずるのは、私の智慧の究極であるのである。人生の事に真面目で
なかりし間は、措いて云わず、少しく真面目になり来りてからは、どうも人生の
意義に就いて研究せずには居られないことになり、其の研究が遂に人生の意義は
不可解であると云う所に到達して、茲に如来を信ずると云うことを惹起したので
あります」(『我が信念』)

多くの問題を残したまま、清沢満之は、39歳で夭逝した。
藤村操が、華厳の滝に身を投じた1カ月後だった。

体験談 ほかに売り物 さらになし

こうなった 仏法使って 自慢する

◆清沢満之の時代と本願寺

1864 禁門の変の兵火で、東本願寺は、阿弥陀堂、御影堂など諸堂を焼失
1868 江戸城明け渡し 東京遷都 神仏分離令 廃仏毀釈運動起こる
1873 政府、キリスト教を公認
1878 清沢満之の得度
1889 明治憲法発布
1890 清沢、『歎異抄』に親しむ
1894 日清戦争始まる
1897 本願寺が清沢を除名
1901 本願寺が清沢を真宗大学の学長に任命
1903 清沢、没する
■「唯心の弥陀」・「己心の浄土」という考え方をしている者達を歴史的にあげて、徹底的に破られた親鸞聖人のお言葉

○それおもんみれば、信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり。然るに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し。
(教行信証)

■親鸞聖人の教えに反する清沢満之の「近代教学」

・「唯心の弥陀」「己心の浄土」
(指方立相の弥陀や浄土の否定)
・後生を認めない
・自分の経験をもとに教えを解釈する

*宗務総長……本願寺の宗政上の最高責任者
*「禁門の変」……長州軍(尊王攘夷派)と会津・薩摩軍(公武合体派)の軍事衝突。「蛤御門の変」とも

■関連記事

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2010/06/30

家族に伝えたい|親鸞会 顕正新聞

四国の妙好人(みょうこうにん)・庄松(しょうま)同行が、深夜、寺の門を叩き、「大変だ!大変だ!」と叫んだ。

「どうした庄松」

起こされた住職が尋ねると、

「オラ、疑いが起きてきたんだ。地獄は本当にあるのか?」

「今更、お前、何を言う」

「本当に地獄があるのなら、まず妻子に伝えにゃならんだろう。他人に勧めるばかりで家族に伝えていないじゃないか。無いものをあるように教えているからでないかと、疑いが起きてきたのじゃ」

と、辛辣に切り込んでいる。

袖触れ合うも多生の縁といわれる。ましてや家族となれば、よほど深い因縁があってのことだ。久遠劫より流転を重ね、今生、巡り遇わせていただいた阿弥陀仏の本願、往生極楽の道を、自分だけ喜び、家族を放っておけるものでなかろう。
「わが妻子ほど不便なることなし、それを勧化せぬは浅ましき事なり」

蓮如上人の大喝である。

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2010/06/14

教えと体験  親鸞会.NET

教えと体験

「論より証拠」という言葉に、人間は弱い。目の前で、説明のつかない不可解な現象を見せつけられると、ありもしない力の存在でも簡単に信じ込んでしまう。

難病で、どの医者からも見放された人が、苦しい時の神だのみ、藁にもすがる必死さで新興宗教を信じた途端に治ったら、本人はもちろん家族も、「論より証拠だ。この神様のお力に間違いない」となるのも無理はない。
千人のうち一人でもそんな例があれば、新興宗教などは大々的に宣伝するから、「病気が治った」「奇跡が起きた」といった体験談で、それらの発行する機関紙の紙面は埋め尽くされている。

普段は理論派で聞こえた人でも、案外ころりと引っかかってしまう。だが、これらのゴリヤクは実は神の力などでは毛頭なく、人間の暗示や催眠現象で、いくらでも説明がつくのである。

だから怪しい証拠は、「証拠より論」で真相を見極めなければならないのだ。

浄土真宗にも、体験を売り物にする者たちがいる。
「泣いた」「笑った」「心が明るくなった」「念仏が噴き上がった」「風呂の中で躍った」などの体験談が信心決定の証拠として紙面を堂々と飾り、周りの者たちも「よかったよかった」「私たち一味やね」と喜ぶから、いよいよその気になって、これでもう大丈夫、と腰を落ち着ける。
その体験が、親鸞聖人の本当のみ教えと合致しているかどうかは、彼らにはどうでもいいのである。「救われたのが証拠」と頭から思い込み、自分の体験をつかんで離さない。教えを聞いても、自分の体験に合わせて聞いているから、真実の教えを受け付けなくなってしまうのだ。

しかも大概はその後、聞法する気がなくなり、仏縁を遠ざける。ましてや御恩報謝の活動など、さらさら見られない。そもそも布教しようにも、親鸞聖人のみ教えをまともに聞かされていないから、布教できないのである。
だから彼らが話しできるのは、自分の体験談ばかりだ。自分が苦労して求めて、その結果「ああなった」「こうなった」という自慢話になる。

こうなった 自慢ばなしに 花が咲く

苦労した 体験談が 自慢種

まるで独りよがりな、聞くに堪えない話のオンパレードでも、本人さんたちは「ご示談」と称してやっている。だが、どんな体験も、親鸞聖人の教えと合わなければ、そらごとたわごとなのだ。「あの人は救われた」と聞いて、すぐ飛びつくような心が、迷いの根本であると知らねばならぬ。

体験の真偽は、正しい教えの定規で決するのである。

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擬似体験のコツ(体験記を読ませ、体験談を聞かすこと)親鸞会.net
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2010/06/10

自戒すべきこと      親鸞会.net

「まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ」
(歎異抄・序)

〝決して勝手な判断によって、他力の真義を乱すことがあってはならない〟
親鸞聖人の教えを説かず、「オレはああなった」「こうなった」の体験談で人集めする邪義を、『歎異抄』は厳しく教誡する。
蓮師もまた五百年前、「珍しき法」に群がる体験乞食グループを『御文章』に重ねて指摘され、廻心懺悔を促された。だがいつの時代も、各別の体験談を自慢し、売り物にする輩が後を絶たない。原因は、何か。
〝オレがオレが〟と目立ちたい自己顕示欲、財施を得たい利益欲であろう。
聖人でさえ「名利の大山」と警戒されるのだから、自制できぬ者があるのもうなずける。
だが根本は、「真実信心が無い」からに違いない。まこと信心獲得した人に、
唯一救いたもうた弥陀の本願を、己の名利でネジ曲げることなど、あり得ぬだろう。
常に正しい聖人の教えを聞法し、自戒せねばなるまい。

みえみえの 自己宣伝の 体験談

体験談 自己宣伝の ほかはなし

 

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2010/06/10

生きる目的がハッキリすれば すべての行為が意味を持つ2

どうせ死ぬのに
だが、ほとんどの人はそんな凄い弥陀の救いを知らず、築くあとから崩れ去る、もろくもはかない幸せを人生の目的と信じている。

ある哲学者はその危うさを次のように書いている。
いかに懸命に生きても、いずれ死んでしまう。他人のために尽くしても、その人も死んでしまう。日本のため、世界のため、地球のために尽力しても、やがて人類も地球もなくなるのに、なぜ「いま」生きなければならないのか。
私が死ぬと周りの人々が悲しむから?でも、それも相対的なものである。そういう人々もまたじきに死んでゆくのだ。そして、この理屈は、誰も私の死を悲しまないとき、私は死んでもかまわないという結論を導く。
(中略)
まもなく地上には人間は誰ひとりいなくなる。それからしばらく経つと、地球は巨大な太陽に呑み込まれ、太陽系も崩壊し、銀河系も飛び散り、一雫も人類の記憶は残らなくなる。これが、われわれを待ち構えている未来の姿である。
(中略)
世の中のことはすべて、私にとって究極的にはどうでもいいのだ。(中略)みんな、どうせ消滅してしまうのだから。成熟するとは「どうせ死んでしまうのに、なぜ生きるのか」という問いを忘れることであるのに。
(『狂人三歩手前』中島義道)

親鸞会 発行 顕正新聞 平成22年5月1日号)

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2010/06/10

生きる目的がハッキリすれば すべての行為が意味を持つ1

阿弥陀仏に救い摂られた喜びを親鸞聖人はこう叫ばれる。
「噫、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(もうあ)いがたく、真実の浄信(じょうしん)は億劫(おっこう)にも獲がたし。遇(たまたま)行信(ぎょうしん)を獲ば遠く宿縁を慶べ」(教行信証)

「噫!」という感嘆は、かつて体験したことのない驚きと喜びの、言葉にならぬ言葉である。「弘誓の強縁」とは、
〝何としても苦しみの根元を断ち切り、人生の目的を果たさせたい〟
という強烈な弥陀の誓願をいい、その誓いどおり、苦しみの根元が断ち切られ、人生の目的成就した歓喜の生命を、「真実の浄信」と言われている。

それはもう、100年や200年求めて得られる、ちっぽけな幸せではなかった、と知らされるから、「多生にもあえないことにあえた、億劫にも獲がたいことを獲た」と言われるのである。多生億劫の間求めても、得られぬものが得られたから、「噫!」と驚嘆されるのも当然であろう。

そして、しみじみ、どんな遠い過去からの弥陀のご配慮があったのやらと、「遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」と感泣されている。

親鸞会 発行 顕正新聞 平成22年5月1日号)

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2010/05/14

後生の一大事について(3) 親鸞会.NET仏教講座

親鸞会.NET仏教講座「後生の一大事について(3)」

●真実の自己とは●

どん な人でも、ものを食べないで生きてゆくことは出来ません。
ところが、私たちの食べものは、かつては生命の通っていたものばかりです。
我々 が死にたくないように、生ある者は、どんなものでも死を嫌う本能をもっています。
されば、どんな生物でも死は苦しみであることは、我々人間と異な るはずがありません。
船の上に揚げられた魚がピチピチ跳ねるのも、首を絞められる鶏がバタバタするのも、みんな苦しいからでしょう。そんな苦しむ ものの生命をとらなければ、我々は生きてはゆけないのです。しかも、そのような生きものの屍を、私たちは、「うまい」
といって貪り食べているので す。
それどころか、そうした生きものの生命を少しでも多く貪ることを、私たちは「良い暮し」
といって喜びとしています。即ち、私たちは、 罪悪を犯しながらそれを、少しも罪悪とは思わず、むしろ、善いことのように考えているのです。

しかも、仏法で難化の三 機、難治の三病といわれる最も怖ろしい、五逆、謗法、闡提の大罪を、私たちは日夜造り続けているのです。
手にこそかけて殺さなくとも、心の中で親を邪魔者扱いにして、毎日毎時殺している五逆罪。
今日の説法は判らなかった、難しかっ た、長かった、短かったと善知識の頭上に登って批判している謗法罪。
これらは『末灯鈔』に、

「親をそし る者をば五逆の者と申すなり」
「善知識をおろかに思い、師をそしる者をば謗法の者と申すなり」

親鸞聖人が厳しく誡めてい られる重罪です。
それだけではありません。
地獄と聞いても驚かず、極楽と聞いても喜ばず、あの人が死んだかと驚いて一時は同情の涙が 出ても、自分は当分は死にはせぬと平気でいる心が闡提で、ドタ牛のように動かない。頭は承知しても肚が承知しない。道理は判っても納得出来ない。なんの不 足もないのに満足が出来ない。分かって分らず、知って知らず、急いで急がず、泣いて泣かず、なんともかんとも言いようのない奴が闡提で す。
これを親鸞聖人は、「逆謗の屍」とも言われています。

●親鸞聖人の一大事の警鐘●

照らし出されたこの人間の実相を、親鸞聖人は、次のように記されています。

「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至、今日今 時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心なし」(教行信証信巻)

「無始よりこのかた、一切群生海、無明海に流 転し、諸有輪に沈没し、衆苦輪に繋縛せられて、清浄の信楽なく、法爾として真実の信楽なし」(教行信証信巻)

「然るに、微塵界の有情、煩 悩海に流転し、生死海に漂没して真実の廻向心なく、清浄の廻向心なし」(教行信証信巻)

繰り返し繰り返し、地獄必定の一大 事を警鐘乱打されたものです。
これが単なる合点ではなく、自身の実相として照らし出された時、何人も一切の助かる望みが絶え果てて、必 ず火達磨になって必定地獄を実感させられるのです。
同時に、弥陀の呼び声を聞き破闇満願させて頂くのですが、悲しいかな、この厳然たる必定地獄 の実地の体験がないから、この一大事が分らないのです。

「後生の一大事」が分からなければ、これを「必ず救う」と誓われている 「弥陀の本願」も分からないし、その弥陀の本願一つを説かれた「仏教」も「浄土真宗」も、何にも分からないのも当然なのです。
ですから、もし「親鸞会は『後生の一大事』を説いて地獄の恐怖を植え付ける」という非難をする人があれば、その人は、実は、親鸞会を非難しているのではなく、お釈迦様を非難している人なのです。
知らないこととはいいながら、何と恐ろしいことでしょう。

「善知識にあうことも
教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ
信ずること もなお難し」

(浄土和讃)

親鸞聖人のご述懐が、つくづく知らされるではありませんか。

親鸞会.NET» » 後生の一大事について(1)
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2010/05/14

後生の一大事について(2) 親鸞会.NET仏教講座

親鸞会.NET仏教講座「後生の一大事について(2)」

●一向専念無量寿仏 ●
この一大事の解決は、大宇宙に無数の諸仏ましませども、本師本仏の阿弥陀仏以外には絶対にできないから、お釈迦さまは 仏教の結論として、

「一向専念 無量寿仏」(大無量寿経)
(無量寿仏に一向専念せよ)

と仰いまし た。「無量寿仏」とは、阿弥陀仏のことですから、
「阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏だけを一心に信じなさい。必ず救われる」
と説かれたお言 葉です。
この釈迦の「一向専念」の教えに順われて、建仁元年(聖人29歳の御時)、「後生の一大事」の解決を果たされた親鸞聖人は、全ての人の 救われる、たった一本の道、「一向専念無量寿仏」を、釈迦の至上命令として、90歳でお亡くなりになるまで、叫び続けていかれたのです。

※一向専念無量寿仏について、もっと詳しく読まれたい方は、コチラをどうぞ
↓ ↓ ↓

一向専念無量寿仏とはどんなことか
…………………………………………………………………………………………………

 

 仏教はこの地獄必定の一大事に驚き、この一大事の解決で終るもの
と教えられています。

ですから、この一大事が分からなければ、仏教を正しく理解する
ことはできないのです。

「後生の一大事」が抜けてしまうと、それは仏教とはいえなく
なってしまうのです。
●仏教の出発点と終点●

 

ではどうして

「曠劫を逕歴せ ん」(親鸞聖人)
とか、
「無間地獄に堕在すべきものなり」(蓮如上人)
といわれる一大事 がおきるのか。
その理由を仏教はどのように教えているのか。今から明らかにしましょう。

 

 

●仏教の根本教理は因果の理法●

仏 教というのは釈尊の説かれた教えを言います。
釈尊は約2600年前、インドの一共和国の王子として誕生されましたが、人の世の無常に驚き29才の 2月8日出城入山せられて勤苦6年、35才の12月8日一見明星して大悟徹底、仏陀となられました。
これより80才の2月15日、御入滅になるま での四十五年間の教えを仏教とも仏法ともいわれます。

「仏教は因縁を宗とす。仏の聖教は浅より深に至る。一切法を説くに因縁の二 字を出でざるを以てなり」(維摩経)

と説かれているように、釈迦一代の教えを貫いている根本教理は因果の道理で あることは何人も疑う余地がありません。
いわゆる、
「蒔かぬタネは生えぬ」
で、原因なしの結果は絶対に認めないし、
「蒔 いたタネは必ず生える」
と教えます。
しかも因と果の関係は常に善因善果、悪因悪果、自因自果であることが厳然と説き切 られています。

このように、仏教の根幹である因果の道理を否定しては、もはや
仏教ではなくなってしまうのです。

※因果の道理については、こんな記事もありますよ

     ↓ ↓ ↓

  因果の道理を信じる心が人生を変える

このように善因善果、悪因悪果、自因自果の 因果の理法を離れて仏教はあり得ませんが、それは単に現在一世にとどまらず過去、現在、未来の三世を貫いて説かれているところに仏教の因果律の精粋がある のです。
これを三世因果といい、仏教の旗印となっています。故に仏教を深信するということは三世因果を深信するということで す。
では過去、現在、未来の三世はどのような因果関係によって成立しているのか。
『因果経』には、

「過去の因 を知らんと欲すれば現在の果をみよ。未来の果を知らんと欲せば現在の因をみよ」

と至って鮮明に説かれています。
過去の因は現在の果に現われており、未来の果は現在の因によって発現するのだから、現在の自己の上に無限の過去と永遠の未来を知見できることを教えている のが三世因果の理法であります。

※三世因果についてもっと詳しく知られたい方はコチラをお読みください。

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仏教講座|仏教の根幹、三世因果とはどんな教えなのか|浄土真宗 親鸞会公式ホームページ

故に仏教は、現在の自己を徹見すれば自己の後生は分かると教えます。
現在の自己は、如何なる 後生を生み出す因を造っているでしょうか。
法鏡に映し出された真実の自己を知らされたとき、誰しも脚下に渦巻く必定地獄の一大事に驚かずにおれ ないでしょう。

「いずれの行も及び難き身なればとても地獄は一定すみかぞかし」

は、その時の親鸞聖人 の悲痛な叫びであったのです。

つづく

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2010/05/14

後生の一大事について(1)  親鸞会.NET仏教講座

親鸞会.NET仏教講座「後生の一大事について(1)」

●仏教の唯一の目的●

仏教は後生の一大事を知るところからはじまり、後生の一大事の解決で終わります。ですから、「後生の一大事」とはどんなことかを知らなければ、仏法は何十年聞いてもわかるものではありません。
蓮如上人はこれを至るところに、

「誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて……」(白骨の御文章)
「われらが今度の一大事の後生、御助け候えとたのみもうして候」(領解文)
「この阿弥陀如来をば、如何して信じまいらせて、後生の一大事をば助かるべきぞなれば……」(御文章三帖目四通)
「一心に阿弥陀如来、後生たすけたまえと……」(御文章五帖目十八通)

と教えられています。

●「後生の一大事」とはどんなこと●

では、「後生の一大事」とはどんなことか。これも蓮如上人にお聞きしましょう。

「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」 (帖外御文)

「死後、ながく地獄に堕ちる」ことを「後生の一大事」といわれていることが明白です。
そして、この「後生の一大事」を助けてくださるのが「弥陀の本願」であることも、分かります。(そうでなければ、ここで「弥陀の本願をたのめ」と言われていることが無意味になります)。
その「弥陀の本願」によって、「後生の一大事を救われた(解決された)こと」を「他力の信心を決定する」と言われていることも、分かります。
まとめると、

(1)「死後、ながく地獄に堕ちること」を「後生の一大事」という。
(2)その「後生の一大事」を助けてくださるのが、「弥陀の本願」である。
(3)「弥陀の本願」によって「後生の一大事を助けられたこと」を、「他力の信心を決定する」といわれる。

ということです。
次も蓮如上人の『御文章』です。

「この一流のうちに於て、確々とその信心のすがたをも得たる人これなし。かくの如くの輩はいかでか報土の往生をば容易く遂ぐべきや。一大事というはこれなり」

意味は極めて明確です。
「信心を得ていない人は、報土(極楽)に往生できない」ことを「一大事」という。
これ以外に、「一大事」の解釈のしようがありません。例えば、
「後生の一大事」は「死後、極楽に往くこと」である、
という意味は、上記2つの御文からは、絶対に出てこない、ということです。
(「いかでか~や」は反語で、強い否定です。こんな基本が分からないために、昔ある本願寺の学者さんが、「後生の一大事は、死後、極楽に往生することである」という根拠に、この御文を提示されたので、びっくりさせられました)

では、「信心を得ていない」と、どうなるのか。さらに蓮如上人にお聞きしましょう。

「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」

これも明らかな『御文章』のお言葉です。
「信心を得なければ、極楽には往生できずに、無間地獄に堕ちる」
と言われています。
これを、先の『帖外御文』には、

「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」 (帖外御文)

と、急いでこの「後生の一大事」の解決をせよ、弥陀の本願によって助けてもらえ、他力の信心決定せよ、と訴えておられたのではありませんか。
同じことをまた、

「命のうちに不審もとくとく晴れられ候わでは定めて後悔のみにて候わんずるぞ、御心得あるべく候」(御文章)

と言われています。「不審」とは、「他力の信心を決定していない」ことであり、それでは「報土に往生できない」一大事だから、「定めて後悔する」と言われているのです。

この「後生の一大事」は、全ての人がかかえている一大事ですから、先にも挙げた有名な『白骨の御文章』にも、

「誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて」

と言われ、ご遺言にも、

「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり、まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし」

と、手に汗握って「皆々」=私たち一人一人に、訴えておられるのです。
以上、蓮如上人のお言葉を挙げて、親鸞聖人がどのように「後生の一大事」を教えておられるか、話をしてきました。
親鸞聖人は常に、

「更に親鸞、珍しき法をも弘めず、如来の教法を我も信じ、
人にも教え聞かしむるばかりなり」

と仰せの通り、釈迦の説かれた仏教以外に、教えられたことはありませんでした。
ですから、上記の「後生の一大事」は、そのまま、釈迦・七高僧を貫く、「仏説である」ということです。
つづく

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