2010/10/07
見落とされている大事|親鸞会.NET
剣道、茶道、華道、書道、または政治、経済、科学、医学、芸術など、これらの道には、これで究めた、求まったという完成がない。「死ぬまで求道」である。求めるのは、求まることを前提とする。百パーセント求まらぬものを求める人生は、悲劇あるのみだ。
「好きなことをやれたら満足。求まらずとも、求める過程が楽しいのだ」と言い張る人は重大なことを見落としている。
泳ぐこと自体が好きなのだという人に、「それでは太平洋の真ん中で存分に泳ぎなさい」。空と水しか見えない。存分に泳げても、泳ぎ着かぬ海原である。やがて愕然と、自分の行く末に気づくだろう。これが「死ぬまで求道」礼賛のすがたではないだろうか。
人生の目的には完成がある。それは未来のいつかではない。
「人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く」(釈尊)
不可思議な弥陀の本願力は、今、生命の大歓喜を与えてくだされるのである。
親鸞会では、趣味や生き甲斐は生きる手段であり、生きる目的を明らかにしています。
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