2012/01/25

「衆生済度は死んでから」の誤解 『歎異抄をひらく』と他の『解説書』の相違点 第23回

親鸞聖人の「いそぎ仏になりて」の一文から、「衆生済度は死んでから」と誤解した歎異抄解説本が多いようです。『歎異抄をひらく』には、「はやく弥陀の本願に救われ念仏する身となり、浄土で仏のさとりを開き、大慈悲心を持って思う存分人々を救うことをいうのである」と明記されています。仏教は生きている時が勝負なのです

続きを読む »

2010/02/14

【特集】テレビ座談会の反響(9) 親鸞会.NET

『歎異抄をひらく』に、「阿弥陀仏の本願の真骨頂」という言葉があります。
この「真骨頂」とはどういう意味か、とテレビ座談会で質問がありました。


<原文>

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、
ただ信心を要とすと知るべし。
そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を
助けんがための願にてまします。

<意訳>

弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、
一切差別はない。ただ「仏願に疑心あることなし」の信心を肝要と知らねばならぬ。
なぜ悪人でも、本願を信ずるひとつで救われるのかといえば、煩悩の激しい最も罪の
重い極悪人を助けるために建てられたのが、阿弥陀仏の本願の真骨頂だからである。

(『歎異抄をひらく』高森顕徹先生著 37ページ)

仏教の根幹は、因果の道理。
「善因善果 悪因悪果 自因自果」です。
この道理から出てくる結論は、「廃悪修善」。
従って、悪をやめ、善をする人を救うというのが十方諸仏の本願です。
ところが阿弥陀仏は、「善人よりも悪人」の本願を建てておられます。
そのことについて、山本さんの手紙には次のように書かれています。

三世十方の諸仏方が廃悪修善を勧められ、「善人になれば救う」という本願を建てて
おられる中で、阿弥陀仏だけが、諸仏に見捨てられた「悪人を助ける」という、
全く逆のお約束をしておられます。そして、そのお誓いどおりに救ってくださいます。
だから、弥陀は「本師本仏」と尊敬され、
弥陀の本願の「真骨頂」といわれるのだと教えていただきました。
人間社会でも、世間の常識を覆すことを誓い、それを実現させる人は、称賛の的に
なります。

十方の諸仏が逆立ちしてもできなかったことを
阿弥陀仏は誓われ、実現されるのですから、「諸仏の王」とか、「光明の中の極尊なり」
と口をそろえて褒めたたえられるのも、当然だと思います。まさに、「真骨頂」です。

ここで誤解してはならないのは、阿弥陀仏は決して、悪を勧めておられるのではない、
ということです。。
悪しかできない我々を、あわれみたまい、とても見捨てておけない、助けずにおれない
という大慈悲をおこされたのです。

私たちは、どんな悪を毎日造っているでしょうか。

お釈迦さまは、『大無量寿経』に、

「心常念悪  しんじょうねんあく
口常言悪  くじょうごんあく
身常行悪  しんじょうぎょうあく
曽無一善」 ぞうむいちぜん

と説かれました。
心も口も体も悪ばかり行って、いまだかつてまことの善は一つもない、
という意味です。

因果の道理を知らされ、悪を恐れて善に向かうと、悪のやまない、善のできない
自分が知らされます。

生き物を殺したり、ウソをついたり、分かっちゃいるけどやめられないのが
悲しいかな、私たちの姿です。
このように自分の罪悪を見つめることを、仏教の言葉で「罪悪観」といいます。
罪悪観で知らされる悪には、大小、浅深があります。「あの人よりは、マシだ」とか、
「私はまだまだだ」というのがそれです。
また、どれだけ自己の悪を見つめても、
“私はこれだけ反省している”
といううぬぼれがなくならないから、罪悪観は人それぞれです。

それに対して、阿弥陀仏がおっしゃる「悪人」は、「機の深信」です。
弥陀に救われて、ハッキリ知らされる、本当の自分の姿です。

これは、罪悪観の「悪人」とは、本質的に異なります。
罪悪観は相対的なものですから、幾ら深めても、機の深信にはなりません。

また、罪悪観は、この世7、80年の罪悪についてですが、弥陀に救われて知らされる
悪は、無始昿劫(果てしない過去)より造ってきた罪悪です。

善導大師はこれを、

「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、昿劫より已来常に没し常に流転して、
出離の縁有る事無し」

と言われています。

弥陀が十八願に、

「唯除五逆 誹謗正法」

と見抜かれた、「金輪際、助かる縁手掛かりのない者」と唯除された極悪人です。
その極悪人を、

「若不生者 不取正覚」

と、必ず助けると弥陀は誓っておられるのです。

「私の本当の姿は、極悪人でありました」
「煩悩熾盛〔ぼんのうしじょう〕(欲や怒りの煩悩が燃え盛っている)の衆生でありました」

とハッキリしたのが、無上仏(阿弥陀仏)が言われる「悪人」です。
どれだけ深く自己を見つめても、

「私は今までも、今も、これからも極悪人でありました」

とは毛頭思えないのが私たちです。
悪を悪とも思えない、しびれ切った心しかない全人類のそんな姿を「極悪人」とおっしゃったのです。

十方諸仏にはできない、無上仏ならではの救いを、親鸞聖人はご和讃でこう教え
られました。

「無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆(いっさいしょぶつさんじょうしゅ)
ともに嘆誉(たんよ)したまえり」
(浄土和讃)

阿弥陀仏だけが無明の闇を破ってくださることに感銘を受けた北川さんの
手紙を紹介しましょう。

「真骨頂」とは最大の特徴、特徴の中の特徴であり、阿弥陀仏でなければできない
こととお聞きしました。
それは、老少善悪の差別なく、すべての人の苦悩の元凶である無明の闇を破って
みせるという、とてつもないお約束です。
それは大宇宙でも本師本仏の弥陀しかできないことなので、地球上、最高の偉人
である釈迦も、こうべを垂れて合掌なされています。

先ごろ来日した米・オバマ大統領が、記念講演で話した意外な言葉が、
“Amida Buddha”(阿弥陀仏)でした。
オバマ大統領は子供のころ、母親に連れられて鎌倉を訪れたそうです。
通訳では単に「大仏」となっていましたが、英文を確認してみると、
「平和と静謐(せいひつ)の象徴である阿弥陀仏を見上げた」と確かに語っています。
ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領にも、弥陀の本願を伝えたい!胸から胸へ、
人種、民族の差別なく全人類が平等に救われる弥陀の本願をお伝えすれば、戦争を必要
としない、真の平和が訪れることでしょう。

9回にわたって、テレビ座談会の反響を紹介してきましたが、
まだまだ、ほんの一部にすぎません。

何より、直にテレビ座談会のご縁に遇えば、その素晴らしさが知らされる
ことと思います。

※お名前はプライバシーの関係で配慮しています。

続きを読む »

2010/02/04

【特集】テレビ座談会の反響(8) 親鸞会.NET

《親鸞会.NET» » 【特集】テレビ座談会の反響  親鸞会.net》

テレビ座談会で「八識(はっしき)」について学びました。

●「識」とは、「心」のこと。

⑴眼識(げんしき) 色や形を見分ける心。

⑵耳識(にしき)  音を聞き分ける心。

⑶鼻識(びしき)  匂いをかぎ分ける心。

⑷舌識(ぜっしき) 甘、辛、酸など味を分ける心。

⑸身識(しんしき) 寒・暖、痛・快などを感ずる心。

●これらを「前五識(ぜんごしき)」といわれます。

⑹意識(いしき)  前五識を統制し、記憶・判断・思考・命令する心。

⑺末那識(まなしき)執着する心。

⑻阿頼耶識(あらやしき)

三世を貫く永遠の生命。全ての業力をおさめている処だから、
蔵識ともいわれる。
「アラヤ」は「蔵」の意。

※阿頼耶識についてもう少し知られたい方は、コチラ

日ごろ、人間が求めている幸せは、仏教で説かれる「八識」のうち、
「眼・耳・鼻・舌・身」の「前五識」の楽しみです。
これは、どんな幸福感でしょうか。

東さんは高森顕徹先生への手紙にこう書いています。

政治、経済、科学、医学などはすべて、「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識」を
喜ばせるためのものだと聞かせていただきました。

「見て、聞いて、嗅いで、食べて、触れて」、
肉体を楽しませる幸せは、やがてシャボン玉のように消えていきます。
きれいな人でも毎日見ていたら何も感じなくなったり、
美しい音楽もずっと聞き続けたら飽きが来るでしょう。

底の見えている楽しみを何とか継続させようと、
皆、努力しているのだと知らされました。

親鸞学徒が問題にするのは、滅びる肉体の楽しみではありません。
一瞬の人生で、「昿劫(こうごう)」「億劫(おっこう)」、何億兆年の魂の
解決をして、「人間に生まれてよかった」という生命の大歓喜を獲ることだと
分かりました。

東さんの言うように、ほとんどの人は、やがて色あせる「前五識」の楽しみを
求めているのではないでしょうか?

中には、「意識」の喜びを求めている人もあります。
金や物がなくても喜びを感ずる哲学者は、意識で楽しんでいる人の典型でしょう。
これも、仏教で教えられる幸福とは、異質の幸せです。

川西さんの手紙にはこう書かれています。

人間のすべての営みは、「前五識」の楽しみの追求であり、高尚な哲学・思想でも、せいぜい「意識」のレベルです。
また、執着を離れ、ひょうひょうとした言動で“高僧”と尊敬され、
生きざまの理想と憧憬される一休や良寛も、同じでしょう。

生命の大歓喜を得て、「恩徳讃」に生き抜かれた親鸞聖人とでは、
全く心の世界が異なることを、「意識」と「阿頼耶識」の違いから知らされました。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし  (恩徳讃)

「弥陀と師教の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。
微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、寝ても覚めても泣かされる」

江戸時代の禅僧・良寛は、子供と隠れんぼをしていて、日が暮れて子供たちが帰って
しまっても、まだ隠れていたといいます。
愚直で淡々と、一見、欲を離れたかのような生きざまに、
「こんな生き方ができたらなあ」
とあこがれる人もあるでしょう。
しかし良寛に、人界受生の本懐を果たした喜びはあったか。私たちに何を残したか。
親鸞聖人や蓮如上人とは、全く境涯が違うことを学んでいきましょう。

続きを読む »

2010/02/01

【特集】テレビ座談会の反響(7) 親鸞会.NET

【特集】テレビ座談会の反響(6) 親鸞会.NET

山田さんのお手紙も紹介いたしましょう。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

親鸞聖人と、庄松など妙好人との信後の活躍の差は歴然としていますが、
七高僧なら同じではないかという思いがありました。
それが、“救われたら智恵や学問が同じになる”という迷いだと聞かせて
いただきました。

アニメ解説でも、“救われた人はたくさんいるはずなのに、善知識はなぜ、
数百年に一度しか現れないのか”という質問に、同様のことを教えていただいたと
思い出しました。

信心同異の諍論で、「法然上人の上足(高弟)といわれたお弟子でさえ誤った問題なのだ」
との言葉が、重く感じられてなりません。

同じになるのは、無上仏から賜る信心一つです。
智恵、学問、経験などは、因果の道理に順い、一人一人の努力で千差万別異なって
くるのは、信前信後決して変わりません。

仏教の至極「本願成就文」の説かれ方も、親鸞聖人以上の方はおられなかった。
公然と肉食妻帯なされて万人の救われる道を示されたのも、念仏を三通りに分けて
教えられたのも、聖人が最初です。

まさしく親鸞聖人こそ世界の光であることがよく知らされました。
そのうえで私は、“高森先生ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない”
と思わずにおれません。親鸞聖人の『教行信証』が残されていても、先生に教えて
いただかなければ、その真意は到底知りえませんでした。

稀有の知識との万劫にもない瞬間を生きる身の幸をかみしめ、光に向かって進みたいと
思います。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
※本願成就文についてはコチラをお読み下さい。
浄土真宗 親鸞会|現代に生きる仏説・仏教の至極(最も大切な御文)

「親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない」

この【ほど】の二文字に、これだけの内容が収まっているのですね。
座談会で教えていただかねば、もう分からないことでした。

続きを読む »

2010/02/01

【特集】テレビ座談会の反響(6) 親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 【特集】テレビ座談会の反響(4) 親鸞会.net

親鸞会.NET» » 【特集】テレビ座談会の反響(5) 親鸞会.NET

椎名さんのお手紙にもこう書かれています。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「救われたら皆、親鸞聖人のようになる。なれないのはいまだ救われないからだ」
と思う心は、信心決定したら、何が同じになり、何がそうならないかハッキリ
しないからです。

その根っこは、真仮の水際の立たぬ自力の心にあると知らされました。

それにしましても、
「親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない」
の断言は、聖人の教えを知り尽くさなければできない称讃だと思います。

「凄いことを凄いと分かる人は凄い」とお聞きします。
親鸞聖人の凄さを本当に知る人は、皆無でありましょう。真宗学者でさえ、
聖人のお徳に生かされながら、祖師の偉大さの片鱗も感じているとは思えぬ者
ばかりです。
まして、門外漢の小説家などの賛辞は、その人の程度でしょう。
そんな中、何と深くて重い言葉をお聞きしているか、計り知れません。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

信心決定したら、何が同じになり、何がそうならないかハッキリ
しないから間違ってしまうのですね。

三大諍論のもう一つ「信行両座の諍論」についても教えていただきました。

親鸞聖人は、弥陀の本願は信心一つで救うお約束か、念仏称えて助けるという
お約束かで、法然門下380人余りと激突なされたのです。

その時、信心一つの救いであると、決然と「信の座」へ入ったのは、聖人以外に、
信空、聖覚法印、熊谷蓮生房の3名でした。

これらの人たちが、真心徹到していたとしても、その後の影響力は、親鸞聖人とは
雲泥の差があります。
蓮生房は、源氏の一方の旗頭であった豪傑でしたが、信後、一体何をしていたのでしょうか。
信空も、全く記録がありません。親鸞聖人を法然上人のもとへ導いた聖覚法印には、
『唯信鈔』という著書がありますが、その後世への影響は、聖人とは比ぶべくもありません。

阿弥陀如来から賜った信心は同じでも、「智慧」「学問」「経験」は、全く人それぞれですから、布教にも大きな違いがあるのです。

では、山本さんのお手紙に戻りましょう。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「昿劫多生のあいだにも
出離の強縁しらざりき
本師源空いまさずは
このたびむなしくすぎなまし」

聖人は、「源空(法然)上人によって救われたのだ」と、
善知識だのみの異安心とも言われかねない表現で、
恩師への思いをつづっておられます。
私たち親鸞学徒は、どんなおしかりを頂こうと、
「親鸞聖人ましませばこそ、この身にならせていただいた」
と言わずにおれません。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

※このお言葉について、詳しくはコチラをどうぞ☆
浄土真宗親鸞会★朋ちゃんHappy diary♪ 昿劫多生のあいだにも・・・

もう一つ、山田さんのお手紙も紹介いたしましょう。

つづく

続きを読む »

2010/02/01

テレビ座談会 ニューヨークの熱い夜 親鸞会・海外ニュース

○親鸞会顕正新聞22年2月1日号より

海外親鸞会・テレビ座談会 ニューヨークの熱い夜

感動の同時布教
親鸞会会員Uさん

今回、ニューヨークの自宅で初めて親鸞会・テレビ座談会を開かせていただきました。
高森顕徹先生が日本でお話しなされているのをリアルタイムで聞かせていただき、夢のようです。音声も画像も、とてもきれいでした。休み時間には『親鸞会顕正新聞』を読み、信心の沙汰をしました。
終了は深夜2時。皆、最後までご縁があり、雪の中、タクシーで帰っていきました。

続きを読む »

2010/01/31

【特集】テレビ座談会の反響(5) 親鸞会.NET

親鸞会.NET» » 【特集】テレビ座談会の反響(4) 親鸞会.net

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

その後、「弥陀に救われた人は、皆同じになる」という迷信を徹底して
破っていただき、深く納得いたしました。
七高僧や親鸞聖人が、同じ他力信心の方であっても、最も分かりやすく
弥陀の本願を伝えられた方となると、「親鸞聖人ほど」のお言葉以外に
選択肢がないと、よく分かりました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ここで、「信心同異の諍論(しんじんどういのじょうろん)」について
学んでおく必要がありますね。

34歳の御時、親鸞聖人は、同じ法然門下の高弟であった勢観房・聖信房・念仏房と、
「信心同異の諍論」をなされています。
弥陀の本願に救い摂られたら、何が同じになり、何が同じにならないのか。
それは、法然上人のご裁断に、

「信心のかわると申すは自力の信にとりての事なり、
すなわち智慧各別なるが故に信また各別なり。
他力の信心は善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまわる信心なれば、
源空が信心も善信房の信心もさらにかわるべからず、ただ一なり」

とあるので分かります。

※詳しくはコチラをお読みください。
浄土真宗講座|親鸞聖人の信心同異の諍論とは、どんなことか|親鸞会公式サイト

阿弥陀仏から頂いた「他力の信心」は、救われた人は皆同じになりますが、
「智慧」「学問」「経験」などは、他力信心とは関係ないのです。

法然上人と親鸞聖人の「智慧」「学問」「経験」が同じになったのではありません。
当然、「伝え方」「書き方」「話し方」も、同じにはならないのです。

法然上人の高弟たちも間違えたことですから、注意しなければなりません。
(1月1日『顕正新聞』16面にも出てますよ☆)

椎名さんのお手紙にもこう書かれています。

つづく

続きを読む »

2010/01/31

【特集】テレビ座談会の反響(4) 親鸞会.net

●親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない

「なぜ生きる」(高森顕徹先生監修)には

「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
人類は今も、この深い闇の中にある。
どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、
“よくぞこの世に生まれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。
(『なぜ生きる』2・3ページ)

と書かれています、

親鸞聖人は常に、

「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
(御文章1帖目1通)

とおっしゃり、釈迦の説かれた仏教以外に教えたことはない、と明言されました。。
また、釈迦の教法はあっても、インド・中国・日本の高僧方がましまさねば、
真実の仏法を知ることはできなかったと、『正信偈』に七高僧を著しています。
ならば、お釈迦さまや七高僧も、親鸞聖人と同じように、人生の目的を明示され、
その達成を勧められた方であろうに、

なぜ、

「親鸞聖人ほど」

と書かれているのでしょうか。

この質問に1日、懇ろにお答えいただきました。
高森顕徹先生へのお礼状を通して座談会の内容を振り返ってみたいと
思います。

山本さんのお礼状には、最初にこう書かれています。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

第一声、「この質問は、深い迷信から出ています」とお聞きした時、
申し訳ないことに、お答えの意味がよく分からず、
頭の回線が右往左往しました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

え!

「なぜ、“親鸞聖人ほど”と書かれているのでしょうか」

という質問は、深い迷信からきている?
これは一体どういうことなのでしょうか。

続きを見てみましょう。

》【特集】テレビ座談会の反響(5) 親鸞会.net

続きを読む »

2010/01/27

【特集】テレビ座談会の反響(3) 親鸞会.NET

【特集】テレビ座談会の反響(1) 親鸞会.NET

【特集】テレビ座談会の反響(2) 親鸞会.NET


●生命観は確実に変わる 【塚田さん】

医師が、「命は何ものにも勝って尊い」と感じている点は、まともかもしれません。
人間の体を知るほど、あまりに精巧なシステムに驚くばかりで、
いまだ解明できない脳や免疫のメカニズムに、生命の尊さを感じるからだと思います。
そんな医学でも、地球46億年くらいではない、昿劫多生の命までは想像も及びません。
一瞬の泡のような一生に、未来永劫の成すべき尊い使命があると知れば、
生命観は確実に変わります。
その一瞬の肉体を生かす医学は、永遠の救いにつながります。
現状では、多くの医師はまず、患者の年齢で、“助けねばならぬ人か、どうか”を
判断しています。
極端に言えば、「若年者は助けねばならないが、高齢者はもう十分生きたのだから
助けなくてもいい」という考えです。
若者より、高齢者の命を軽く思っているのです。
何億兆年の生命からすれば、100年生きたといっても一瞬であり、どの命も等しく
重いことに変わりはありません。
老若問わず、命の尊さに軽重をつけてはならぬと知らされれば、医療界は大きく
変わっていくでしょう。


●戦争や殺人の問題も解決 【前田さん】

人類の歴史は、戦争の歴史といわれます。
ちっぽけな土地や権力では満足できず、もっと欲望を満たしたいと思い、侵略戦争を
繰り返してきました。
ヒトラーによるヨーロッパ侵略、日本の始めた戦争もそうでした。
命の重さが分からずに犯した殺戮行為は、どれほど恐ろしい結果を後生に招くでしょう。
それはまた、現今の残酷な殺人事件にもつながっていると思います。
記憶に新しいのは、島根県で女子大生を殺害し、バラバラ遺体を山中に捨てた事件です。
「だれでもよかった」
と無差別に通行人を刺し殺した秋葉原の事件では、犯人が、
「早く死刑にしてくれ」
と言い放っています。
そんな殺伐たる世に、親鸞聖人は、人間に生まれなければ果たせない大事な目的があることを
教えられています。
これがすべての人に届いたら、戦争や殺人の問題も解決するでしょう。
ハイデガーの、
「世界平和の問題に対する見通しがつき、21世紀文明の基礎がおかれる」
という言葉が現実になり、世界が変わると思うと、感動に震えました。

●“ともに励まし、ともに進まん”の人類愛が動き出す【原さん】

親鸞聖人の教えが広まったら、世界は一体どうなるのだろうか、数人の法友と語り合いました。
現在、地球上にはおよそ200の国家に、数千~1万の民族が分布しているそうです。
さらに、それらのコミュニティに、多様な身分の人が存在しています。
そして、「ボーダーレス」「グローバル」という言葉に象徴されるように、
人、物、金、技術、情報、組織などが、国家の境界を越えて統合していく段階と
見受けられます。
同時にしかし、依然として人種や民族による差別、出自や家柄に基づく偏見もなく
なっていません。人々の持つ優越意識や嫉妬、怒り、憎しみなどが、
差別や偏見となって現れているのだと思います。
人間の醜い心は変えられません。しかし、世界中の人々が、それぞれに親鸞聖人の教えを
わがものにした時初めて、お互いが「人生の目的」をともに果たすための同朋であり、
同行なのだという自覚が生まれるでしょう。
皮膚の色など身体的特徴や文化の相違、貧富の差などを乗り越えて認め合い、
“ともに励まし、ともに進まん”という人類愛の動きが出てくるのではないでしょうか。
親鸞聖人の教えによって、地球人類のボーダーレス化、グローバル化の鍵となる最後の
1ピースが埋められ、テレビ座談会の最後の「恩徳讃」のように、世界中が同時に笑顔に
なれたら、どんなに素敵でしょう。
一緒に話したある学徒が、
「そんな世界を次世代に残したい」
と言われたのが、とても心に残りました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

“『歎異抄をひらく』によって、思想の根底・歎異抄の誤解が正される”

それは“文章が書き改められる”程度の話ではありません。
政治や経済、科学、医学、法律、文学、芸術、道徳など、人間のすべての営みを生み出す根本である
「思想」が変わる、大変なことだと知らされます。

★テレビ座談会の感想はこちらにコメントできます★

    親鸞会ブログポータル

続きを読む »

2010/01/27

【特集】テレビ座談会の反響(2) 親鸞会.net

【特集】テレビ座談会の反響(1)親鸞会.net

 

●万国の極宗だと周知される時代の到来に、胸躍る【木田さん】

なぜ、世界の哲学者、文学者たちが、『歎異抄』に惹かれるのか。
テレビ座談会では、『歎異抄』の根底を流れる「二種深信」にその理由があるとお聞きし、驚きました。
正しい教えを聞いたことはなくても、一流の有識者といわれる人たちなら、
『歎異抄』の名文に何か深いものを感じるのでしょう。
この真実信心(二種深信)の教えが世界中に広まればどうなるでしょうか。
全人類が人生の目的をハッキリ知り、森羅万象も、すべての人間の営みも、
これ一つのためにあることが明らかになると教えていただきました。
平均寿命80年といっても、昿劫已来の生命のうちの一瞬にもならないことが知らされ、
人々の人生観はガラリと変わります。
その生命の真の救いを説く親鸞聖人のみ教えこそ、人類が幸福になる唯一の道であり、
まさに聖徳太子が言われるとおり万国の極宗であると周知される時代の到来に、胸が躍ります。

●「危うい歴史」に終止符【吉田さん】

仏教の根幹である因果の道理は、聞くほどに、その底知れぬ深遠さに吸い込まれます。
比類ない論理性、その普遍性に感動いたします。
因果の道理を知らずして、人類はこれまで何を規範に存続できたのかと思うと、
まことに危うい歴史と言わざるをえません。
これから政治、経済がどれだけ改革されても、因果の道理の徹底なくして、
世界の平和はないと確信いたしました。

●命の尊さが分かり、人種差別も戦争も吹き飛ぶ 【西村さん】

真実の信心が世界に広まると、命の尊さが分かるようになる。
政治、経済、科学、医学、すべての目的がハッキリし、人種差別も戦争も吹き飛んでしまう、
と教えていただきました。
親鸞聖人の教えにより、この私だけでなく、みんなが救われるのだと知らされ、
深く静かな感動が心にしみわたりました。
飢饉で苦しむ人々を助けるより、布教に行かれた聖人の御心が、理解できたように思います。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

親鸞聖人の教えの一枚看板は、「平生業成(へいぜいごうじょう)」。
平生に人生の目的が完成できるから、早く完成せよ、とお勧めです。
その教えが広まれば、一人一人の生きる意味と、この世の一切の存在意義がハッキリします。
政治、経済、科学、医学などは、私たちが安心して、より豊かに生きるために存在しますが、
人生の目的が明確になってこそ、それらは、その目的を果たすための手段として、真に生かされます。
法友の声を紹介しましょう。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 つづく 《●生命観は確実に変わる 【塚田さん】》

 

★テレビ座談会の感想はこちらにコメントできます★

    親鸞会ブログポータル

◆関連記事◆

【マンガ】歎異抄はいかに誤解されやすいか(1/2)|浄土真宗親鸞会
※個人名はプライバシーの関係で配慮しております。

 

続きを読む »

親鸞会講座

最新の情報


Go Top