2009/10/30

三國連太郎 歎異抄に魅了された人々

日本を代表する俳優、三國連太郎は、
「釣りバカ日誌」「マルサの女」「大病人」などの映画や、
テレビドラマなどで、おなじみです。

その三國氏を感動させたのが親鸞聖人の主著『教行信証』でした。
三國連太郎はこう言っています。

「私が一番感動するのは『教行信証』の冒頭の言葉です」

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2009/10/13

東条英機(3)歎異抄に魅せられた人々

歎異抄を愛読した東条英機。

法悦は、相手の仏縁を念じる心となりました。
その心は、面会に来る家族にはもちろん、アメリカ人へも及びました。
ある時、米軍将校の左手と手錠でつながった自分の右手を見ながら、
花山信勝氏に語っています。

「初めは、これ(手錠)がいやだったんですね。(中略)今では、
 これもいいと思ったんですね(中略)わたしがこうして、手を
 合わして仏を拝むと、この人(隣の米軍将校)も手を挙げて
 拝んでくれる。
 今、アメリカに仏法はないと思うが、これが因縁となって、
 この人の国にも仏法が伝わってゆくかと思うと、これもまた
 ありがたいことと思うようになった」

      (『巣鴨の生と死』より)

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2009/10/09

東条英機(2)歎異抄に魅せられた人々

それまでは、全く真宗の教えに疎かった東条も、獄中で『正信偈』をよく拝読し、
このような形で仏縁を深め、仏法についてこのようなことを語っています。

「ことに大無量寿経は偉いことですね。その中でも殊更に、(阿弥陀如来の)四十八願
を読むと、一々誠に有り難い」

「この『正信偈』の中には、信ずるということを、何べんも繰り返していわれている
ですね。初めには応信如来如実言、終りには唯可信斯高僧説、その他お話の中にも
あったように、信ということをくどくどいっておる。

有り難いですなぁ。私のような人間は愚物も愚物、罪人も罪人、ひどい罪人だ。
私の如きは、最も極重悪人ですよ。
本当の仏様の目から見れば実に極重悪人ですよ。

例えば肉を食うとか、米を食うとか、米にも生命がありますよ。
そういう食事のことからだけ考えても、それらを食わねば生きて行けない人間だ
ということは、全く極重悪人です。
それがよくわからないと、極重悪人がわからない。
ちっぽけな智慧、それが禍いしてくるのですね。だから、知識人は信仰に入れない
のですね。

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2009/10/06

東条英機(1)歎異抄に魅せられた人々

有名な東条英機の晩年は、浄土真宗の信仰の深い、勝子(かつこ)夫人や巣鴨拘置所の
教誨師(きょうかいし)、花山信勝(はなやましんしょう)の影響で浄土真宗に帰依し
親鸞聖人の教え・歎異抄に魅了され、こんな言葉を残しています。

「(花山)先生、いまは『正信偈』や『歎異鈔』を読ませてもらって
喜んでおる」(巣鴨の仏間にて・東条英機)

「勝子へは、精神的打撃だろうが、仏の大慈悲をいただいて
天寿をまっとうせよ。歎異抄の第一章は胸をつく」

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2009/09/30

花岡大学(歎異抄に魅せられた人々)

花岡大学 (はなおかだいがく1909年 - 1988年)は、
童話作家・小説家・児童文学作家であり、京都女子大学名誉教授でもありました。

児童文学作家としては宮沢賢治、小川未明(みめい)と並び称されるほど。
その花岡大学が『歎異抄』についてこう語っています。

「すくなくとも『真実に生きる道』を求めようとする人なら、
 わたしはまず何をおいても『歎異抄』を読んでもらいたいと思う」

「河出人物読本・親鸞」

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2009/09/29

丹羽文雄(3)歎異抄に魅せられた人々

三重県四日市の寺に生まれた丹羽文雄。
父は不義を働き、生母は4歳の時に家出してしまいます。
それが縁となって、100年の生涯、人間の罪、業を問い続け、人間性探求一途の
作品を追い求め、500以上の書を著しました。
そんな丹羽文雄は『歎異抄』についてこう語っています。

「親鸞の『歎異抄』の文句を、私が読んでもぴんと胸にくるものがあるという
のは、親鸞の思想が今日私達とけっして時代が違っていない、新しいという
ことができると思います。

あのような昔に、どうして人間の正体というようなものを見事につかんで
いることができたのか、これは驚きです」
                 (親鸞の眼)

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2009/09/25

丹羽文雄(2)歎異抄に魅せられた人々

多くの著名な文学者が、歎異抄に魅せられていますが、
丹羽文雄もその1人です。
親鸞聖人について語るその言葉はとても熱いものがあります。

「自分の生涯というものを考えるとき、ぼくは親鸞と自分というものを
 切り離しては考えられない」(哀しき母の流転)

「親鸞は今日のわれわれの魂をつかんでいる。
五千枚の長編小説を書きあげたあと私は高い山を見あげる思いである。
それでいて親鸞は私の心のすぐそばに、こころやすく佇(たたず)んでいてくれる。(私の『親鸞』)

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2009/09/24

丹羽文雄(1)歎異抄に魅せられた人々

文学関係で文化勲章を受賞した人は20名ほどしかいませんが、
丹羽文雄はその1人です。
その丹羽文雄は親鸞聖人に魅了され、こう語っています。
「親鸞にめぐり会えたことは、一介の文学者としても、
人間としても、生涯の喜びである」(丹羽文雄『親鸞』あとがき)

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2009/09/14

野間宏(2)《歎異抄に魅せられた人々》

「私はすでに『歎異抄』を中心にして一冊の書物を書いているが、
親鸞の信の結実とその真の姿は、『教行信証』全体に入ることが
ないならば、見とどけることはできないと強く言いたい。

そしてこれまで『歎異抄』を中心に定着されてきた親鸞の「信」を、
『教行信証』を中心にして見直し、大理論家、大実践者としての
親鸞まで行きつきたいと考えるのである。

そのようにしてとらえた親鸞の姿、それこそがまた『歎異抄』の
親鸞そのものの真の姿であると考えるのである」

                  (野間宏『親鸞』 p29)

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2009/09/13

野間宏(1)《歎異抄に魅せられた人々》

「『歎異抄』は、幾度読み直しても、その度ごとに、新しいという感じを
受ける、書物である。
それはこの書物が、私にとって非常に重要な書物であるからでもあるが、
また、この書物が実際に、いかにすぐれた言葉に埋められているかを
明らかにしてもいるといってよいだろう」

(野間宏『歎異抄』あとがき)

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