2009/10/01
《至宝》(最高の宝物)とは、何だろう?
今、親鸞聖人750回大遠忌記念 本願寺展 -世界遺産の歴史と至宝-
といわれるものが開かれています。
ここで気になる《至宝(しほう)》すなわち《至上(最高)の宝》とは何か?
ということです。
今回、展示されているものは、タイトルにも出ているように、
いわゆる《遺産》的なものが多いようです。
それらも大切なものではありましょうが、
仏法者ならば、まず何を《至宝(しほう)》とすべきでしょうか?
親鸞聖人が和国の教主(日本のお釈迦さま)と褒めたたえる聖徳太子は
かの17条憲法の第2条に
「篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり、
すなわち四生の終帰・万国の極宗なり。
いずれの世・いずれの人かこの法を貴ばざる。
それ三宝に帰せずしては、何を以てかまがれるを直らせん」
とうたっています。
三つの宝があるから大切にしなさい、
三つの宝とは、
仏宝・・・・・仏さまが宝ですよ
法宝・・・・・仏の教えが宝ですよ
僧宝・・・・・仏の教えを伝えてくださる方が宝ですよ
ということです。
なぜ宝なのかというと、
仏教は『四生の終帰・万国の極宗』だからだよ、
と言われています。
「四生」とは、
生きとし生けるものすべて。
すべての人と理解したらよいでしょう。
「終帰」とは、
最後、行き着くべきところ。
最後、本当に救われる教え。
ですから、「四生の終帰」とは
「すべての人が本当に救われる教え」
ということです。
「万国の極宗」とは、どれだけたくさんの国があり、人種が異なり、
文化が違っていても、すべての国の人を幸せに導く、究極の教え、
ということです。
聖徳太子は
「仏教こそが、すべての人が救われる教えであり、
どんな国の人でも幸せになれる究極の教え」
だとおっしゃったのです。
人は皆、幸せを求めて生きています。
あれが食べたい、これが食べたい
マイホームが欲しい、金持ちになりたい、、
彼氏が欲しい、彼女が欲しい、結婚したい、
出世したい、人気者になりたい、
とにかく寝たい、休みたい、
と、いろいろなものを手にしようとしていますが、これらは皆、
幸福を求めている姿です。
ところが、やっとの思いで手にした喜びや満足も、
いつまでも続くものではありません。
悲しいことですが、
やがて色あせ、失われていくものばかりではないでしょうか?
結婚の喜びや、マイホームの満足は、どれだけ続くでしょう。
最愛の人との離別や死別など、世に愁嘆の声は満ちています。
今日あって明日なき幸福は、薄氷を踏む不安が付きまといます。
これらの宝は残念ながら「無常の宝」。
だからこそ、心の底をたたけば、人は皆、
「どこかに本当の安心・満足はないだろうか」
と、まことの幸せ、まことの宝を探しているようです。
哲学者プラトンは、「永遠の幸福は万人共通の人生の目的」と教えました。
もし 「人生の宝地図」 があるとすれば、その地図には、
『永遠の幸福』
『万人共通の人生の目的』
の在りかが記されていることでしょう。
では、その宝は、どこにあるのか?
天才科学者といわれるアインシュタインは
「人生の意義に答えるのが宗教である」と自著『私の世界観』の冒頭に書き、
そのあと「正しい宗教は、仏教」であることを論じています。
大哲学者、ハイデガーは老後の日記に
「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。
弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり──とは、
何んと透徹した態度だろう。
もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、
自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。
遅かった」
と書いています。
さらに
「自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が30名近くも留学して
弟子になった。
ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、
日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、
立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがある
という匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、
フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの
聖者のみ教えをわがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
21世紀文明の基礎が置かれる」
と述べています。
(出典)松野尾潮音「生活の中の信仰」4(『中外日報』昭和38年8月6日)
ハイデガーは、“立派な建物”よりも“美術品”よりも、《宝》とすべきは
《親鸞聖人の教え》だと言っているのです。
ハイデガーを驚嘆させた『歎異抄』ですが、文豪、倉田百三も『歎異抄』について
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい」
「国宝と云っていい」
「日本にこういう文書の存在することは世界に誇るべき事」
と語っています。
今年の親鸞会の報恩講では、この『歎異抄』の《第七章》についての
講演となっています。
《至宝》は《親鸞聖人の教え》
この日本に、素晴らしい宝があるのです。
「誠に宝の山に入りて、手をむなしくして帰らんに異ならんものか」
(蓮如上人『御文章』)
至宝を至宝と知り《至上の宝》をわがものとさせていただきましょう。
※親鸞会の報恩講について詳しく知られたい方はコチラ。
E-mail:info@shinrankai.or.jp
〒939-0395
富山県射水市上野1191
TEL 0766-56-0150
FAX 0766-56-0151
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浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ
http://www.shinrankai.or.jp/
ハイデガーの渇望した無碍の一道・親鸞会会員の声|浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ
http://www.shinrankai.or.jp/s/kaiinkoe/tanisyou/080706kansou.htm
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