2009/07/04

「人命は地球より重い」といえる根拠(親鸞会法話の感想)

「人身受け難し、今已に受く。
 仏法聞き難し、今已に聞く。
 この身今生に向って度せずんば、
 さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」
という、有名なお釈迦さまのお言葉について、6月上旬に、高森顕徹先生から親鸞会館でお聞かせいただきました。

人身とは、私たち人間のことです。
お釈迦さまは、人間に生まれることは大変に難しいことだと教えておられます。

日本一の金持ちになることや、総選挙で選ばれること、また、ノーベル賞を取ることが難しいと言われれば、そうだ、そうだ、と分かりますが、
「人間に生まれることが難しいと言われて、そうだと思えますか」
との問いかけに素直にうなずくことができませんでした。どうしても実感がわかないのです。

お釈迦さまは、そんな私たちに、人間に生まれることが、どれほど難しいことであるかを盲亀浮木の譬えで教えておられ、今回のご説法でも聞かせていただきました。

お釈迦さまとお弟子との間に、以下のようなやり取りがあったそうです。

ある時、お釈迦さまが阿難というお弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねられました。
「大変喜んでおります」
と阿難尊者が答えると、お釈迦さまは次のような話をされています。

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、100年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には1本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。100年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」
と答えると、
「絶対にないと言い切れるか」。

お釈迦さまが念を押されると、
「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
と阿難が答えると、
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と教えられた、というお話です。

これまでも聞かせていただいた話ですが、改めてとてつもない内容だと感じました。

では、なぜ「有り難い中を人間に生まれてきた」と思えないのかということについて、それは仏法を聞くことが難しいからだと教えていただきました。

「人命は地球より重い」といえる根拠は、仏法に教えられているのですが、まず、そのことを知ることが難しく、正しく理解すること、そして本当に聞けてよかったと喜ぶことは、なお難しいからだと知りました。

人命の尊さを知らずに生きていたら、どんな味気ない一生で終わったことでしょう。
仏法に遇えたことを心から感謝せずにおれません。

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