2009/07/17
吉川英治《歎異抄に魅せられた人々》
●吉川英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)- 1962年(昭和37年))
「歎異抄 旅に持ちきて 虫の声」
これは、親鸞聖人に強烈に引かれ、名著『親鸞』を著した作家・吉川英治の句です。
1935年より連載が始まった吉川英治の『宮本武蔵』は新聞小説史上かつてない人気を博し、
大衆小説の代表的な作品となりました。
その後も『三国志』『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。
幅広い読者層を獲得し、【国民文学作家】と評され、
今日“吉川英治文学賞”は大衆小説の作家に授与される日本で最高の文学賞とも
言われています。
その吉川 英治、最初の作品は『親鸞記』でした。
後年四十代になってから、再び、小説『親鸞』を書いています。
吉川英治氏は親鸞聖人について、こう熱く語っています。
「旧教勢力の貴族色を脱して、親鸞が、飢えの群れや、
迷える凡下の中へ立ちまじって、 衆生の光明となったのも、
蓮如が、足の拇指(ぼし)に大きな草蛙(ぞうり)まめをつくって、
布教の旅につい一生涯してしまったのも、みなこれ、
渇ける”こころ”に慈雨をまつ旱天(かんてん)の痩民(そうみん)いとしさ
からであろう」
※旱天(かんてん)・・ 日照り続きで長い間雨が降らないこと。日照りの空。
親鸞聖人、蓮如上人が、大衆の中へ飛び込まれた姿に感激しているのが強く感じられます。
吉川英治氏は、人間の姿を、「渇ける”こころ”に慈雨をまつ旱天の痩民」と表現しています。
「旱天の痩民」と聞くと、日照り続きの干からびた大地で、ひたすら雨をまち、天を仰ぐ痩せこけた、あわれな人の姿が目に浮かぶでしょう。
吉川英治はそれを“人間の心の姿”というのです。
渇いた心を潤そうと、金、名誉、地位、財産や恋愛などを追い求め
ますが、それは塩水のごとく、さらなる渇きを引き起こします。
どうしようもない焦燥感を前に、誰もが、心の渇きを潤す真実の教えを待望している
のことでしょう。
《渇ける”こころ”に注ぐ慈雨》とは親鸞聖人の教えであり、
その教えを、足にまめを作られ、胸から胸へ、心から心へと伝えていかれた方が
親鸞聖人だったのです。
吉川英治は、飾り気のない言葉でこうも語っています。
「私は、何と言うことなく、親鸞が好きだ、蓮如が好きだ。
好き、嫌いで言うのは変だけれど、正直な表現で言えば、そうなる」
そんな吉川英治の座右の書「歎異抄」
白鳥省吾、倉田百三らと東北の農村を回り青年運動をおこなった吉川英治が
農村を行く道中、歎異抄を手にする情景が目に浮かんできます。
「歎異抄 旅に持ちきて 虫の声」
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