2009/07/06

なぜ多くの人は喜びがないのでしょうか(親鸞会法話の感想)

gf017 l 150x150 なぜ多くの人は喜びがないのでしょうか(親鸞会法話の感想)先日の親鸞会館での講演会の感想です☆

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人間に生まれたことは喜んで当然なのに、なぜ多くの人は喜びがないのでしょうか。
それは、仏法に説かれている生命の大歓喜を聞かせていただくことが大変に難しいからだ、と聞かせていただきました。

このことを、お釈迦さまの有名なお言葉、

「人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く」


を通して詳しく教えていただきました。

「人身受け難し、今已に受く」とは、人身とは私たち人間のことですから、「生まれ難い人間に生まれることができてよかった」という喜びの言葉です。

「仏法聞き難し、今已に聞く」とは、聞きがたい仏法を聞かせていただくことができてよかった、という歓喜の言葉です。

その喜びの身に救われるには、仏法は聴聞に極まるのだよ、と教えていただきました。

生まれたということは、ちょうど空と水しか見えない大海にほうり出されたようなもの。

そのままではおぼれてしまうから、必死に泳がねばならないのですが、どの方向に泳げばよいのか、皆目、見当もつかない状態です。

あてどもなく漂う間にも、次から次と波は押し寄せ、周辺に浮かぶ丸太や板切れを求めて懸命に泳ぐ姿は、人生の苦しみから逃れようと、金や財産、地位や名誉、健康や家族を求めて生きる、すべての人の生きざまを象徴しているかのようです。

しかし、やがて死によって裏切られ、海の藻屑とならねばならない人類に向かってお釈迦さまは、「一向専念無量寿仏」(阿弥陀仏に向かい、信じなさい)と、進むべき方角を明らかに教えられ、親鸞聖人は、苦しみ悩みの人生の海を、明るく楽しく渡す阿弥陀仏の願いによって建てられた大船の存在を教えてくださいました。

人間に生まれてよかった、という生命の大歓喜を獲るまで、続けて親鸞聖人の教えを聞かせていただきたいと思います。

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