2009/10/06

東条英機(1)歎異抄に魅せられた人々

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多くの人を魅了してやまない歎異抄。
『親鸞会』では、親鸞聖人の教えを正確にお届けするために
『教行信証』を通して『歎異抄』のこころを明らかにしています。
その歎異抄の魅力をこのコーナーでは紹介しています。
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200px hideki tojo 東条英機(1)歎異抄に魅せられた人々(Wikipedia)

 

東条英機(とうじょう ひでき・明治17年(1884年) - 昭和23年(1948年))

日本の陸軍軍人、政治家。
現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任。
(在任期間は昭和16年(1941年)- 昭和19年(1944年))

日本の対米英開戦時の内閣総理大臣。複数の大臣を兼任し、慣例を破って陸軍大臣と
参謀総長を兼任した。
敗戦後に連合国によって行われた東京裁判にて「A級戦犯」として起訴され、
1948年12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。享年65歳。
有名な東条英機の晩年は、浄土真宗の信仰の深い、勝子(かつこ)夫人や巣鴨拘置所の
教誨師(きょうかいし)、花山信勝(はなやましんしょう)の影響で浄土真宗に帰依し
親鸞聖人の教え・歎異抄に魅了され、こんな言葉を残しています。


「(花山)先生、いまは『正信偈』や『歎異鈔』を読ませてもらって
喜んでおる」
(巣鴨の仏間にて・東条英機)

「勝子へは、精神的打撃だろうが、仏の大慈悲をいただいて
天寿をまっとうせよ。歎異抄の第一章は胸をつく

東条英機を含め、巣鴨刑務所で死刑になった人は34人ありました。
その1人に、福原勲元大尉がいます。
彼のことについて、こう書かれています。

「(福原勲は)一分一秒を惜しんで、仏書をよみ、遺書を書き、朝は太陽の
 のぼる前に起き、夜は電灯の消されるときまで、命ぜられた掃除や
 ペンキ塗り作業を他人よりも早くこれを終って、その余暇を読書し、
 一日一度の独房前の廊下の散歩のときも、つねに手から仏書をはなさ
 なかった」


そんな福原勲は、「御父上様に申し上げる最後の言葉」としてこんな言葉を
残しています。
「親鸞聖人のさとされた中に、転悪成善とか、禍い転じて福となすお力を
 恵まれよ、と示されてあることを、よくご存じだと思います。
 『氷多きに水多し、さわり多きに徳多し』と、和讃にもお示しになり
 ました。(中略)


 このわざわい転じて、よろこびに生かして立ち上がる、その力を
 如来さまからいただいて下されば、これほど、勲として、よろこばしい
 ことはありません。(中略)


 歎異鈔のなかに
 『よきも悪しきも宿業にうちまかせて、本願をたのみまいらすればこそ、
 他力にて候え』と申されました。(中略)
 億劫にも得がたい、如来の御縁をうけることができたのは、まったく
 この不運(死刑)がきずなとなったわけです」


   (御父上様に申し上げる最後の言葉) 福原勲

大恩ある親に残した最後の言葉は、死刑への怨みではなく、死を縁として
たどりついた仏縁のよろこびと、弥陀に救われて欲しい、との願いでした。

さらに、死刑執行を言い渡された翌日の妻への手紙にはこう記されています。


「美志子、「無碍の一道」があることを忘れてはならない。
 俺が永遠に生き抜ける喜びをもつことができたのは、
 この有難い仏の呼び声をお受けしたからだ」


(死刑執行を言い渡された翌日、妻に向けて書いた手紙)

この時、福原勲30歳、妻、美志子26歳でした。

 

また、死刑囚の1人、土肥原賢二はこう述懐しています。

「自分は若い時から禅門(臨済宗、家は神道)に入り、その方面の書物も
 よみ座禅もしたが(中略)、理屈としては一応わからぬことはないのだが、
 体験の上に上ってこなかった。
 最近になって、前にも読んだことはあるが、親鸞聖人の伝記を読んだり、
 浄土三部経や正信偈などを繰り返し読み、さらに蓮如、法然などの伝記を
 むさぼり読むことによって、私のようなものには、これより他に救われる
 道のないことをつくづく、納得した


花山信勝は、土肥原賢二についてこう書いています。

「初めは臨済禅を主としてやった。
 最近は、聖道門から浄土門、易行門へ移って行った
 それは浄土三部経によってはっきりとこの道へ進むことが出来た。
 家は明治以後神道。
 それが自分の体験によって、仏教へ変わるようになったということを
 絶えず申された」

やはり最後にたどりつくのは、方便の自力聖道仏教ではなく、真実他力の浄土真宗だった
のでしょう。

また、土肥原賢二は『教行信証』を拝読した所感を次の歌であらわしています。

血涙の跡をたどりて拝めば 無明を照す光さすなり


              (『巣鴨の生と死』花山信勝・著より)

※無明の闇については、コチラをご覧ください。

仏教を聞く目的は何か(破無明闇)
http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20090525mokuteki.htm

      (浄土真宗 親鸞会 公式サイト)

つづく

親鸞会.NET» » 歎異抄に魅せられた人々

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