2009/10/13

東条英機(3)歎異抄に魅せられた人々

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
多くの人を魅了してやまない歎異抄。
『親鸞会』では、親鸞聖人の教えを正確にお届けするために
『教行信証』を通して『歎異抄』のこころを明らかにしています。
その歎異抄の魅力をこのコーナーでは紹介しています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

e6ad8ee795b0e68a84e38292e381b2e38289e3818fe69c97e8aaade789881 199x300 東条英機(3)歎異抄に魅せられた人々
 

「(花山)先生、いまは『正信偈』『歎異鈔』を読ませてもらって
 喜んでおる」(巣鴨の仏間にて・東条英機)

「勝子へは、精神的打撃だろうが、仏の大慈悲をいただいて
 天寿をまっとうせよ。歎異抄の第一章は胸をつく

と、歎異抄を愛読した東条英機。


法悦は、相手の仏縁を念じる心となりました。
その心は、面会に来る家族にはもちろん、アメリカ人へも及びました。
ある時、米軍将校の左手と手錠でつながった自分の右手を見ながら、
花山信勝氏に語っています。

「初めは、これ(手錠)がいやだったんですね。(中略)今では、
 これもいいと思ったんですね(中略)わたしがこうして、手を
 合わして仏を拝むと、この人(隣の米軍将校)も手を挙げて
 拝んでくれる。
 今、アメリカに仏法はないと思うが、これが因縁となって、
 この人の国にも仏法が伝わってゆくかと思うと、これもまた
 ありがたいことと思うようになった」


      (『巣鴨の生と死』より)

昭和23年12月22日深夜。
東条英機らは、廊下で立ったまま、花山氏と最後の勤行をします。
仏前からお下げしたブドウ酒を紙コップで飲み干した東条は、
「ああ、うまかった」
と満足げに言い、刑場に入るまで、
「南無阿弥陀仏、
 南無阿弥陀仏」
と声高に称えていたといいます。
そして、喜びをつづった歌を3首残しています。



 ○さらばなり有為の奥山
    今日越えて
      弥陀のみもとに
        往くぞうれしき









 ○明日よりは
    誰にはばかるところなく
      弥陀のみもとで
         のびのびと寝む









 ○日も月も
    蛍の光さながらに
       行く手に弥陀の
      光輝く

このことについて『亡びざる生命』(花山信勝著)には、こう書かれています。

 

「この二番目の歌は、すぐそのあとで『百燭光を昼も夜もつけているので、
 よくまあ神経衰弱にならなかったものと思う、信仰のあったお陰です』
 といわれた。
 判決があってから最後の日まで、約四十日のあいだ、昼も夜も、三畳敷き
 位の独房に、百燭の大きな電灯がともっていた。そこであかるいからと
 毛布をかぶってねていると、すぐに鉄扉の錠がはずされて毛布がはがされた、
 というわけだから、無理からぬ。
 前晩、宣告の時苦情の一つに言われた。
 『われわれは日本人だから、大便や小便をしているときまで監視されたのは、
 いい感じではなかった』と。

 自殺しないようにと監視する立場からは止むを得なかったとしても、監視
 されるものにとっては耐え難かったと思う。
 そこで『明日よりは、誰にはばかるところなく……のびのびと寝む』になった
 のもうなずける。


 これだけの歌を聞くと、東条という人は、自分だけそういった心境に達したのは
 よいが、残された我々をどうしてくれんだ、息子を戦死させられたり、父親を
 亡くしたり、大事な主人を失ったりした気の毒な人たち、ことに二千六百年
 栄えてきた日本をこんなにしてしまって……と。こういうふうに考える人も、
 もちろん少なくない。

 ところが、東条大将は、右の和歌のすぐあとに、

   われ往くもまたこの土地に還りこむ
      国に報ゆることの足らねば


 の一首に残された。
 そして、

 『これは仏さまとなってから帰って来るつもりです。還相廻向ですよ』

 と付け加えられた。
 自分の命令で戦争となり、そして汚した此の国を、どうかして早く再建しな
 ければならぬ、と。」

※参考:還相廻向、御臨末の御書|浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ
http://www.shinrankai.or.jp/nenpyo/26gooujou2.htm

いろは歌(有為の奥山今日越えて)ー親鸞聖人のお話ー
http://ameblo.jp/wasedaman125/entry-10274826427.html

 

日本と世界を巻き込んだ悪夢から醒めた彼は、大罪を犯したが、多生にも億劫にも
あい難い、弥陀の本願を聞けた法悦に満ちています。
翌23日午前零時1分、絞首台に勇んで立っていったといいます。
日本を不敗の神国と信じ、世界を相手に宣戦した大立て役者が東条英機ですが、
獄中で次のように述べています。

「私は宗教としては仏教だ。(中略)
 仏教の信仰というのは、人生の根本問題に触れることであって、人生の
 根本問題が決定してから後、社会のいろいろの上っ面なことが解決されてくる
 のです。
 自分は神道は宗教とは思わない。
 私は今、『正信偈』と一緒に『三部経』を読んでいますが、(中略)今の
 政治家のごときは、これを読んで、政治の更正をはからねばならぬ、人生の
 根本が説いてあるのですからね
」(『亡びざる生命』)

最後に
 ○日も月も
   蛍の光さながらに
      行く手に弥陀の
     光輝く


の歌についても触れておきましょう。

これは、「超日月光」という阿弥陀仏のお力から出た歌と言われています。
「超日月光」とは「日月を超えた光」ということで、阿弥陀仏の光明(お力)は、
昼間いちばん明るい太陽の光も、夜最も明るい月の光も、はるかに超越している
ことを讃嘆されているお言葉です。
ですから上の歌は

「あの明るい太陽や月が、まるで、螢の光にしか感じられないように、
 行く手に阿弥陀仏の浄土が、無限の光明に輝いて自分を待っている」

という意味となるでしょう。


親鸞聖人
は、阿弥陀仏の浄土を「無量光明土」と仰有っています。

光明かぎりない、明るい世界が、浄土なのです。
弥陀に救われた人は、必ず、無限に明るい弥陀の浄土に往生しますから、臨終に
なっても、心中に後生暗い心は微塵もなく、大安心大満足、

『心は浄土に遊ぶなり』


の心境になるのです。

しかし、ただ今、弥陀に救われていない人は、いよいよ臨終になると、
「無明の闇」「三塗の黒闇(さんずのこくあん)」
といわれる、真っ暗な心に苦しみます。
ドイツの大詩人ゲーテが、死に際して「光がほしい、光がほしい」と言ったのは
有名な話ですが、誰しも、暗黒の心を持っているのです。
持ちながら気づかない。それが、臨終に出てきます。

その「無明の闇」「三塗の黒闇」は平生に弥陀の本願に救われたならば、一念
(いちねん・ひとおもい)に破られてしまうのです。

 

関連記事:硫黄島と東条英機/『硫黄島からの手紙』
http://www.hitoiki.info/C06.htm

関連記事:

    None Found


この記事に関するコメントを行う

お名前
メールアドレス
ウェブサイト
コメント:

親鸞会講座

最新の情報


Go Top