2009/10/13
歎異抄を愛読した東条英機。
法悦は、相手の仏縁を念じる心となりました。
その心は、面会に来る家族にはもちろん、アメリカ人へも及びました。
ある時、米軍将校の左手と手錠でつながった自分の右手を見ながら、
花山信勝氏に語っています。
「初めは、これ(手錠)がいやだったんですね。(中略)今では、
これもいいと思ったんですね(中略)わたしがこうして、手を
合わして仏を拝むと、この人(隣の米軍将校)も手を挙げて
拝んでくれる。
今、アメリカに仏法はないと思うが、これが因縁となって、
この人の国にも仏法が伝わってゆくかと思うと、これもまた
ありがたいことと思うようになった」
(『巣鴨の生と死』より)
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2009/09/14
「私はすでに『歎異抄』を中心にして一冊の書物を書いているが、
親鸞の信の結実とその真の姿は、『教行信証』全体に入ることが
ないならば、見とどけることはできないと強く言いたい。
そしてこれまで『歎異抄』を中心に定着されてきた親鸞の「信」を、
『教行信証』を中心にして見直し、大理論家、大実践者としての
親鸞まで行きつきたいと考えるのである。
そのようにしてとらえた親鸞の姿、それこそがまた『歎異抄』の
親鸞そのものの真の姿であると考えるのである」
(野間宏『親鸞』 p29)
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2009/08/03
親鸞という人物は、やはり『教行信証』の方で見るべきで、
『歎異抄』というのは、親鸞の或る一面を、鋭く鮮明に伝えてはくれるが、
しかし、何か、まだ不充分なところがあるように思われる。
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2009/07/27
この(歎異抄の)言葉そのものに出会うことが
できなかったとしたら、おそらく、日本人にとっては
非常に大きな損失であったでしょうし、このことが
あるおかげで、親鸞と出会うという感覚を私たちは持つことができるわけです。
親鸞は、本当の意味での教育者だと思います。
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2009/07/21
「鎌倉(時代)というのは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」
(司馬遼太郎「この国のかたち(1)」)
非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。
人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、
何かうそだなと思うことがあります。
『歎異抄』にはそれがありませんでした。
(出典)司馬遼太郎『司馬遼太郎全講演』1
「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」
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2009/07/17
「私は、何と言うことなく、親鸞が好きだ、蓮如が好きだ。
好き、嫌いで言うのは変だけれど、正直な表現で言えば、そうなる」
そんな吉川英治の座右の書「歎異抄」
白鳥省吾、倉田百三らと東北の農村を回り青年運動をおこなった吉川英治が
農村を行く道中、歎異抄を手にする情景が目に浮かんできます。
「歎異抄 旅に持ちきて 虫の声」
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2009/07/17
『歎異抄』は、作家、哲学者、右翼の活動家から左翼の思想家まで、
最も広範な読者を持つ仏教書の筆頭と称されています。
5400冊を越える岩波文庫でも歴代8位の117万部という
ロングセラーかつベストセラーとなっていますが、
『歎異抄』は世界の光といわれる親鸞聖人の肉声が、
国宝と評される名文でつづられており、
多くの人々を魅了し続けているのです。
“一流”といわれる人たちが、歎異抄をどう語っているのか、
これから「歎異抄に魅せられた人々」と題して、シリーズでお届けしたいと思います。
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