2008 年 11 月 8 日

浄土真宗親鸞会 結成50周年~1日目~

カテゴリー: 日記, 行事の感想 — camera @ 8:19 PM

 さとし@カメラ小僧です。

 今日は、浄土真宗親鸞会結成50周年の1日目でした。

 数日前から世界からの参詣者を迎える為に、正本堂を中心に聞法ドメインでは準備がなされていました。いつもは白い大柱も、鮮やかな緑色に変身。2つのサブスローガンが掲げられ準備万端です。

結成50周年を控えた親鸞会館

 先週の水曜日には、富山では珍しく快晴で、1日中、立山連峰がクッキリと見えました。ついこの間まで室堂の紅葉がどーのこーのと言っていたような気がしますが、既に冠雪しているようです。そうですよね。だって、11月ですもん。それで、法輪閣の屋上から撮った風景がこれです。

冠雪の立山連峰と正本堂

 いやぁ、素晴らしい!結成50周年モードの正本堂と見事な立山連峰。最高です!

 さて、今日はというと、曇り空ながらも朝から大勢の参詣者で正面広場も賑わっていました。海外の親鸞学徒と久しぶりの再開を果たして喜ばれる姿もあちらこちらに見えました。

結成50周年参詣の様子

 地球の裏側のブラジルからもバス何台かで駆けつけ、アメリカ、台湾、韓国、香港などからも親鸞聖人の教えを求めて来日されたようです。2000畳の大講堂も入り切れない方もおられたと聞き驚きました。

 今回は、親鸞聖人の恩徳讃を通して、2日間お聞かせいただきます。親鸞聖人が身を粉にしても、骨を砕いても報いずにおれないという阿弥陀仏のご恩について、御臨末の御書なども通してお聞かせいただきました。確かに、この世で自分の命を助けてくれた名医がいても、命をかけてご恩に報いずにおれないということはないですよね。

 明日も続きを聴聞させていただく予定です。皆さん、ゆっくり休んで明日も真剣に聴聞させていただきましょうね!

2008 年 10 月 29 日

親鸞会ゆかりの高岡市で無料の動物園を楽しむ

カテゴリー: 日記 — auto @ 2:49 PM

高岡市と言えば、親鸞会にとっては縁の深い所。
昭和32年、親鸞会最初の会館が建てられたのも高岡市前田町ですし、現在、芳野には親鸞会高岡会館が存在し、毎日の様に法話が開催されています。

富山に来られる方に、高岡市のちょっとしたスポットも楽しんでもらおうと、少しずつ紹介したいと思いますね。

で、今日は「高岡古城公園」について少し。

高岡城は、百万石で有名な加賀藩の前田利長による築城です。ですが、利長の死で、未完成のまま廃城となったさえない城なのですが、その縄張は現在もそのまま残っています。
ちなみに利長は、豊臣秀吉の重臣・前田利家の長男。NHK大河ドラマ「利家とまつ」では、伊藤英明が演じていたのは記憶に新しいところ。

ちなみに、高岡市は来年開町400年を迎えるということで、様々なイベントが予定されています。そのマスコットキャラクターは「としなが君」。
そう、前田利長の「ゆるキャラ」です。
JR高岡駅に巨大としなが君が立っていますよ。

それはそうと、高岡古城公園は市民の憩いの場所として整備され、休日ともなると多くの人でにぎわいます。

石垣はそんなに残ってはおらず、ほとんどが土塁なんですけどね。
それでも、「日本100名城」の一つなんです。富山県内では富山城を差し置いて、唯一の名城!
……なんでだろう?

で、その城跡の中には、無料で誰でも入れる動物園があります。

まあ、所詮無料ですから、大規模なものではなく、こじんまりとしたもので、あんまり期待して行くと裏切られますけど、サルやペンギン、フラミンゴなど、それなりの動物たちを見ることができます。

うーん、結構みんな寝ているなあ……。

午前と午後に一度ずつ、ふれあいコーナーがあって、うさぎとひよこに自由にさわることができます。


ひよこ、かわいいですよねー。

あと、園内にはかつてライオンがいたそうですが、今はこの通り、剥製になっています。

……結構、迫力ありますね。

高岡城内の駐車場も無料ですので、ワンコインすら必要ない、高岡のちょっとしたお出かけ観光スポットでした。

では、50周年記念大会でお会いしましょう!

2008 年 10 月 20 日

親鸞会結成50周年大会も目前です

カテゴリー: 日記 — camera @ 2:59 PM

 さとし@カメラ小僧です。

 散居村とチューリップで有名な砺波市は、秋になると100万本のコスモスでいっぱいになるとなみ夢の平コスモスウォッチングというイベントが開催され、昨日はその最終日でした。実はカメラ小僧である私もカメラを片手に満開の頃を狙って行ってきましたっ♪

夢の平のコスモス

 この一面のコスモスは夢の平スキー場のゲレンデに咲いていて、秋の名物になっています。これを知ったのは、高森顕徹先生の著書光に向かって 心地よい果実の挿入写真です。この122ページに「コスモス(富山県砺波市・夢の平)って出ていますよね?これはスゴイ!

 イベントが終わっても、暫くコスモスがあると思われますので、まだの方は、ライブカメラで確認されて行かれても良いかもしれませんね。ちなみに、ここのコスモス荘は、富山県外の親鸞学徒もご法話参詣の際に利用されることもあるそうで……。でも、50周年大会にはシーズンが終わっちゃっているかな?う〜ん、残念!

 ……で、その親鸞会結成50周年記念の行事まで、20日を切りました!昨日は、親鸞会館にて仏教史上最大の悲劇と言われる王舎城の悲劇を通してのお話を聴聞させていただきました。徐々に海外の親鸞学徒も到着されてきて、再会を喜ぶシーンもあちこちで見られました。

同朋の里

 海外の親鸞学徒にとっては、同朋の里に新築された百味館、徳水館、D館は初体験だったそうで、快適に過ごされていました。百味館での食事もお口にあうそうで何よりでした。

 ニュースを見ていると、世界的な株価の暴落で世界恐慌になるんじゃないかと言われ、金儲けに奔走している人は、お金だけでは本当の幸せになれないと実感していることでしょう。韓国ではネット誹謗が原因と言われる芸能人の相次ぐ自殺が問題になって、政府もネット対策で規制をどうしようかと悩んでいるそうです。一見華やかなアイドルも脚光の裏で心ない誹謗中傷で苦しんでいるのだと知らされます。

 真の人生の目的を明らかにされた親鸞聖人の教えを、世界から集まった皆さんと真剣に聞かせていただきたいと思います。

 ではでは。

2008 年 10 月 8 日

しっかり食べて、聞法して、信心の沙汰!

カテゴリー: 日記, 行事の感想 — camera @ 5:04 PM

 さとし@カメラ小僧です。

 先日の日曜日は親鸞会館でのご法話でした。前回の記事「D館」「徳水館」、そして、「百味館」のオープンについて触れましたが、今回のご法話では全国から参詣した親鸞学徒が利用しました。

 百味館では、土曜日の夜も利用でき、お寿司も登場しました!

百味館のお寿司

 お寿司以外にも、うどんやそばも選べて、初の百味館でのディナーを堪能。ご法話当日の朝は、オープンからやっているバイキングです。好きなものを好きなだけ、ついつい取りすぎてしまいますね(笑)。

百味館の朝食バイキング

 百味館を囲む大きな窓からの庭の景色は最高!初の百味館バイキングの方も多かったようでした。ご法話の前にシッカリと腹ごしらえをして、さあ、真剣に聞かせていただこうと二千畳へ!

 今回のご法話は、高森先生より親鸞聖人の正信偈の、

「凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」

 について聴聞させていただきました。

 ご法話が終わったら、すぐに同朋の里へ……。

D館での信心の沙汰

 新築のD館も既に満室で入り切れず、中央の広いロビーも使っての信心の沙汰でした。従来のA館やC館も勿論ですが、どの部屋も盛り上がっていましたよ!

 思う存分、語った後は、徳水館で汗と共に疲れも落として気分スッキリで皆さん帰路につかれました。

 素晴らしい環境で聞法させていただけるのは本当にありがたいですね!

2008 年 9 月 26 日

富山の城端が“アニメの聖地”!?

カテゴリー: 日記 — camera @ 5:10 PM

 さとし@カメラ小僧です。

 富山と言えば、越中民謡なんですが、全国的によく知られているのは八尾の「おわら節」、五箇山の「こきりこ節」と「麦や節」ってとこでしょうか?特に五箇山は民謡の宝庫と言われているように、大変多くの民謡があります。

 源平の合戦で破れた平家の落人が隠れ住んだと言われるのが五箇山ですが、彼らが鍬や鋤を手に京での栄耀栄華を想いながら歌ったと思われるような歌詞もあり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語などを思うと、何とも切ない気持ちになります。

 中でも勇壮なのが、紋付袴に白たすきという凛々しい姿で、笠をクルクル回しながら踊る「麦や節」。これは、五箇山だけではなく、南砺市の城端地区でもよく踊られて、大きなイベントも行われています。

麦屋節

 上の写真が、麦や節の笠踊りですが、これは城端で撮ったもの。城端は“越中の小京都”と言われるように、古い町並みが残る情緒あるところです。そんな町並みをバックに踊る麦や踊りは風情あります。

 そんな町なので派手さはなく、実に地味なんですが、ところが、この城端には“アニメの聖地”という一面があるようです。

 true tearsという恋愛アニメ(?)が、あるそうなんですが、このアニメの舞台のモデルとなったのが城端らしいんですね。全く知りませんでしたが……。

城端の町並み

 恋愛アニメといったジャンルはオシャレな都会が舞台となるものだとばかり思っていましたが、まさか富山県がモデルになるとは……。正直ビックリですが、実際にこのアニメについて調べてみたら、どっかで見かけた町並みやショッピングモール、飲食店などが登場します。気持ち悪いくらい作品の中で再現されているんですが、複雑な心境ではあるものの富山県民としては嬉しいもんですね。

 ……で、このアニメのファンの間では「聖地巡礼」ということで、城端や高岡方面を訪れる人が多いようですが、如何にもローカル線といった出で立ちの城端駅の駅舎の中には、このアニメのコーナーがあって記帳用のノートが用意されたりしているそうです。南砺市のサイトには、このアニメの紹介ページがあったりして完全にアニメの聖地化しています。

 城端に撮影に行った後に聞かされたことだったのですが、意外なところで賑わいを見せている城端でした。

 ではでは。

2008 年 9 月 12 日

「太閤山」の地名のルーツは、やはり豊臣秀吉にあった

カテゴリー: 日記 — auto @ 9:41 AM

射水市(旧小杉町)太閤山と言えば、親鸞会の皆さんにとっても馴染み深いものがある地名でしょう。
親鸞会館のほど近く、富山県では最大級の団地「太閤山団地」が存在します。

元々、この団地一体は丘陵地帯でした。それを昭和40年代に大規模な開発が行なわれ、今の姿となったのですが、気になるのは「太閤山」という地名。
おそらく豊臣秀吉と何かの関係があるのだろう、と思ったあなた、正解!

実は、天正13年(1585年)8月、越中を守っていた佐々成政を攻める為に太閤秀吉がこの地に一晩だけ陣を敷いたと言われるのです。

1日だけ陣を敷いた場所なんて、秀吉にとってみれば全国各地に存在するでしょうね。
そうなると「太閤山」なる地名はもっと沢山あっていい気がします。
確か名古屋駅の近くに「太閤」という地名がありました。そこは秀吉の「生まれ故郷」という意味での地名のようで、他に私が思いつくものはありませんが、なにしろ名前のルーツは、そういうことです。

豊臣秀吉の人物については、ここで詳しく説明するまでもないでしょう。彼の有名な辞世の句は、親鸞会の法話でもよく使われる歌でもあります。

(参考:豊臣秀吉の辞世

さて、問題は実際に陣を敷いた場所はどこなのか、とうことなのですが、これは射水市黒河にある小さな丘になります。(地図

実は現在、パチンコ店の駐車場になっており、遺跡は残っておりません。
しかも、そのパチンコ店も閉店しているというのですから、何とも言えないありさまです。

『小杉町史』によると、駐車場化したのは昭和63年のことで、丁度、親鸞会本部会館が建立された年のことでした。それまでは、現在の駐車場より更にうず高い位置に遺跡が存在しており、発掘調査によって二重の溝が発見されています。
おそらく、陣所の簡易的な空堀と思われます。
内側の溝に囲まれた範囲は、東西13メートル、南北17メートルの方形。

実際に、内側の溝からは中世土師器1点、外側の溝からは火縄銃の鉛玉1個が発掘されています。
それが決定的要因という訳ではありませんが、それらの遺物から、おそらくここが秀吉の陣所跡だったのであろう、ということなのです。

ここで一晩、陣を構えた後、秀吉軍は呉羽山へ移動したと言われます。
現代的に言えば、一晩だけここで野営キャンプをしたということですので、出土品が少ないのも仕方が無いことでしょう。

「太閤山」の地名のルーツ、分かって頂けましたか?

そういえば、太閤山団地の中に「千成パーク」なるものがありますが、その名前も豊臣秀吉の馬印である「千成ひょうたん」から来ているのでしょう。
「太閤山温泉」も、実は秀吉が兵を温泉に入れた休ませたという伝承もあるそうです。

しかし、今は陣所の遺跡も、太閤山温泉すらも消えてしまっているのが、残念でなりません。

2008 年 9 月 3 日

佐々成政の居城「富山城」と浄土真宗

カテゴリー: 日記 — auto @ 7:44 AM

親鸞会館のある射水市のおとなり、富山市中心街にあるのが「富山城」です。
今日は、この富山城についてご紹介しましょう。

築城時期は諸説ありますが、天文12年(1543)に守護代の神保氏が築いたという説がよく知られています。
その後、富山城は加賀・越中一向一揆勢と上杉謙信との争奪戦がありました。

謙信死後は、織田信長が越中に進出し、天正10年(1582)に信長の家臣・佐々成政が城主となります。

佐々成政については、平成14年のNHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」で、山口祐一郎が演じ、その妻・はるを天海祐希が演じていましたので、かなり目立っていました。
ドラマ中、現在の富山城天守閣の映像がそのまま使われ、「さらさら越え」や「成政切腹」という題の回もあるほど、主役の唐沢寿明より目立つことが多かったですね。

「成政が出過ぎ!」という声もありましたが、ご当地富山にとってはかなりうれしい演出で、この年の富山県は「佐々成政」が一つのキーワードでした。(というか、あれは完全に富山を意識していましたよね?NHKさん)
本能寺の変以降、佐々成政と豊臣秀吉は敵対するようになり、天正13年(1585)には秀吉自らが10万の大軍を率いて越中に攻め込み、成政は降伏。以降、越中は加賀前田家の支配となります。
この戦いで、秀吉軍が一晩陣を敷いた場所に射水市太閤山の丘陵地帯があり、このことから「太閤山」の地名がつけられたのは有名な話です。

親鸞会の皆さんにとって気になる、佐々成政と浄土真宗の関係ですが、秀吉と成政が敵対するようになると、越中国内であらぬ争いをしないよう、浄土真宗を優遇したようです。
親鸞会では度々話題となる高岡市の勝興寺は、実は佐々成政から寺地を寄進されたものです。

成政は越中にて善政をしいたので、富山県人には慕われる歴史人でもありますね。
さて、江戸時代の富山城は、富山藩10万石(初代:前田利次)の城となり明治まで続きました。

もともと天守閣の無かった城でしたが、昭和29年に「模擬天守」を建築し現在に至ります。
そう、写真の天守閣は実は本丸の門跡に建てられた架空のものなのです。

戦後の天守復興は、全国ではこの富山城が最初だったそうで、以降の天守復興ブームの火付け役だった訳です。

以上、簡単ですが、富山城とその歴史についてでした。

2008 年 8 月 28 日

のこぎり坂の別れ 〜細呂木の親鸞聖人歌碑〜

カテゴリー: 日記 — auto @ 9:50 AM

福井県は吉崎、と言えば蓮如上人のご旧跡、吉崎御坊で有名な場所です。親鸞会の皆さんには、あええてここで詳しく説明する必要もないでしょう。

吉崎を訪ねれば「蓮如の里」という大きな看板が迎えてくれます。東西本願寺の別院が存在してはいますが、完全に観光名所としての役割を果たしている、という感じです。
400年の時が流れたとはいえ、蓮如上人の功績が残され、上人を慕って吉崎を訪れる人が多いのも驚くべきことですね。
さて、この吉崎の近くに、以外にも親鸞聖人のご旧跡があるのはあまり知られていません。
「なぜまた福井に親鸞聖人の足跡が?」
と思いがちですが、親鸞聖人35歳の時の越後流刑の際、北陸を通られながら、各地で布教もされていました。その伝承は、福井、石川、富山の北陸三県の随所に残されています。

ということで、やって来たのは福井県の細呂木地区。JR北陸線に「細呂木駅」があるので、名前を聞いたことがある人も多いでしょう。実際の細呂木はJR駅からもっと日本海側、北潟湖の近くにあります。近くには、これまた有名な「嫁威し谷」もあります。

細呂木地区の旧北陸街道
細呂木地区の旧北陸街道

この辺りは加賀と越前の境界付近になり、江戸時代には福井藩の「細呂木関所」が置かれた所でもありました。
旧北陸街道が通り、かつては相当にぎわった場所なのでしょう。流刑にあわれた親鸞聖人も、この道を通られたに違いありません。

その細呂木地区に「のこぎり坂」という坂があります。地元の人でもあまり知られていないようですが、ここに親鸞聖人の御歌が刻まれた石碑が遺っています。(地図

のこぎり坂

これは道路から外れた、斜面の中程に建っているので、非常に見落としやすいです。だからこそ、あまり知られていないのかもしれません。

歌碑には

『音にきく のこぎり坂にひきわかれ
身の行くすえは こころ細呂木』

と、親鸞聖人の御歌が刻まれています。

おそらく、越後に向かって越前国内を旅される途中、多くの方に教えを伝えられたのでしょう。「もっとお聞きしたい」という同行方が、親鸞聖人の後をついていったと推測されます。
しかし、さすがに越境はできません。こののこぎり坂で、上人と越前の人との辛い別れがありました。

せっかく仏縁に恵まれ、真実の教えを聞かれるよになったのに、ここでお別れせねばならないとは、のこぎりで切り裂かれるように辛いことだ、というお気持ちからでしょう。
この山上で、おそらく最後の説法をされたのではないでしょうか。

ところで、歌碑の側面には「文政十二己丑仲秋再建之 魚津町同行中」とあります。

つまり、江戸時代末期の文政12年(1829)秋に再建されたものということです。

「魚津町同行」とはおそらく、富山県魚津市の真宗門徒と考えられます。
なぜにまた、富山県の人たちが細呂木に石碑を建てたのでしょう?

推測するに、富山県から京都の本願寺へ聞法にはせ参じる人たちが多かったということでしょう。もちろん、歩いての往復。魚津の人たちがさびれた石碑を見て、志を集めて再建したものと考えられます。
さすが、親鸞聖人の教えを聞き求めようと旅する人が、聖人の歌を心の支えとしたのでしょう。

北陸が、親鸞聖人、蓮如上人と深い縁がある土徳の地であることに、深い感銘を受ける話でありました。

2008 年 8 月 11 日

地獄(?)を撮ってきました

カテゴリー: 日記 — camera @ 10:55 AM

 さとし@カメラ小僧です。

 テレビを見ればどこもかしこも北京オリンピック一色!なにかと問題のあった今回の開催ですが、日本の選手団の皆さんには是非とも全力を尽くして頑張ってもらいたいものです。

 それにしても、今年は原油価格の高騰などから飛行機の運賃が高くなったりして夏休みの海外旅行は例年より少なめだそうですね。お盆の帰省すら控える人がいらっしゃるのだとか……。家族旅行も海外旅行から国内旅行に切り替える人も多いそうで、富山県の誇る観光名所立山黒部アルペンルートは実に賑やかでした。

 私も早朝から出掛けてきたのですが、今回のお目当ては、室堂にある「地獄谷」。雪の多い季節には遊歩道が隠れてしまうという事で、立ち入り禁止になっている区域です。夏なら全く問題なし。

 室堂のターミナルから暫く行ったところに、地獄谷に続く坂道があるので、そこをひたすら下ります。

みくりが池から地獄谷への道

 谷底までは、かなり距離があるのですが、下り始める時には、谷底から何やら「シューシュー」と音がする。さらに下って行くと段々と硫黄臭くなってくる。その正体がコレ。

鍛冶屋地獄の硫黄の塔

 坂道を下り切ってT字路があるのですが、そこにある硫黄の塔。この辺は「鍛冶屋地獄」と言い、この塔からもの凄い勢いで噴気が出ています。ちょっと前に自殺で問題になった硫化水素なんかも出ているそうですので、いくら観光でも「すみやかに通り抜けてください」という看板が立っているほど。

 ここから「百姓地獄」という所に向かって歩いて行くと、こんな光景だ。

地獄谷の風景

 いやいや、実に荒々しい光景です。噴気は、鍛冶屋地獄の硫黄の塔だけではなく、地獄谷のあちこちから上がっている。綺麗なせせらぎのように見えるところも泡がボコボコと吹き出している。決してのどかな光景とは言い難い。

何やら噴出しています

 いや、まさに死の世界ですね。ちなみに遊歩道の何カ所からも小さな泡がポコポコと出ていたりして、とにかく地獄谷を歩く時は臭かったです。昔の人はこの光景を見て地獄を連想したらしく「立山に地獄あり」と言い伝えられてきたのだそうです。まあ、歩いていても臭い以外に全く苦しくない「かわいらしい地獄」でしたけどね。観光名所な地獄なんてあるかっ!と思わず突っ込んでしまいました。

 こういう記事を見ていると、立山って恐ろしいところかと思われるかもしれませんが、地獄谷以外なら非常に美しい光景を見る事ができます。室堂ターミナルから近くの「みくりが池」なんかは、火山湖なんですが、天気が良いと、大汝山や雄山が映り込んだりして実に眺めが良いのです。

みくりが池と大汝山

 冬は雪に閉ざされてしまう立山ですが、春夏秋は、それぞれに春スキーと雪山、高山植物、紅葉と変化に富んだ景色を見せてくれますので、是非足を運んでみてくださいね!

 ではでは。

2008 年 8 月 8 日

同朋の里の工事も順調でした♪

カテゴリー: 日記 — camera @ 2:23 PM

 さとし@カメラ小僧です。

 聞法ドメインの同朋の里で進められている、D館、食堂、大浴場の新築工事も大詰めです。それぞれの足場も撤去され、駐車場からも外観がハッキリとわかるようになりました。特にD館は濃い緑の屋根と木目の美しい外壁がオシャレです。既に駐車場からD館へと伸びる道路のインターロッキングの施工も着々と進んでいるようです。

D館の外観

 また、大浴場や食堂も姿を現しました。

食堂と大浴場

 この夏休みにも県外から、家族連れや学生さんなども多く訪れ、のどかな自然の中で親鸞聖人の教えを聞き、そして、語り合って、同朋の里や法輪閣は実に賑やかでした。ただ、やはり現在の建物だけではパンク状態ですので、D館、食堂、大浴場の完成が待ち遠しいですね!

 工事現場を歩くと、連日の猛暑で汗だくでしたが、木々に囲まれると涼しい風が吹き、暑さを忘れることができます。工事関係の皆さん、体調管理には気をつけて頑張ってくださいね!

 ではでは。