2008 年 9 月 3 日

佐々成政の居城「富山城」と浄土真宗

カテゴリー: 日記 — auto @ 7:44 AM

親鸞会館のある射水市のおとなり、富山市中心街にあるのが「富山城」です。
今日は、この富山城についてご紹介しましょう。

築城時期は諸説ありますが、天文12年(1543)に守護代の神保氏が築いたという説がよく知られています。
その後、富山城は加賀・越中一向一揆勢と上杉謙信との争奪戦がありました。

謙信死後は、織田信長が越中に進出し、天正10年(1582)に信長の家臣・佐々成政が城主となります。

佐々成政については、平成14年のNHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」で、山口祐一郎が演じ、その妻・はるを天海祐希が演じていましたので、かなり目立っていました。
ドラマ中、現在の富山城天守閣の映像がそのまま使われ、「さらさら越え」や「成政切腹」という題の回もあるほど、主役の唐沢寿明より目立つことが多かったですね。

「成政が出過ぎ!」という声もありましたが、ご当地富山にとってはかなりうれしい演出で、この年の富山県は「佐々成政」が一つのキーワードでした。(というか、あれは完全に富山を意識していましたよね?NHKさん)
本能寺の変以降、佐々成政と豊臣秀吉は敵対するようになり、天正13年(1585)には秀吉自らが10万の大軍を率いて越中に攻め込み、成政は降伏。以降、越中は加賀前田家の支配となります。
この戦いで、秀吉軍が一晩陣を敷いた場所に射水市太閤山の丘陵地帯があり、このことから「太閤山」の地名がつけられたのは有名な話です。

親鸞会の皆さんにとって気になる、佐々成政と浄土真宗の関係ですが、秀吉と成政が敵対するようになると、越中国内であらぬ争いをしないよう、浄土真宗を優遇したようです。
親鸞会では度々話題となる高岡市の勝興寺は、実は佐々成政から寺地を寄進されたものです。

成政は越中にて善政をしいたので、富山県人には慕われる歴史人でもありますね。
さて、江戸時代の富山城は、富山藩10万石(初代:前田利次)の城となり明治まで続きました。

もともと天守閣の無かった城でしたが、昭和29年に「模擬天守」を建築し現在に至ります。
そう、写真の天守閣は実は本丸の門跡に建てられた架空のものなのです。

戦後の天守復興は、全国ではこの富山城が最初だったそうで、以降の天守復興ブームの火付け役だった訳です。

以上、簡単ですが、富山城とその歴史についてでした。

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