2009 年 8 月 11 日

Photoshop起動! フラン制作日記(その2)

カテゴリー: 制作の現場から — sukeroku @ 10:08 PM

「フラン制作日記」を書いている途中で、ガダルカナルの話題を出して一気に重くなった当ブログですが、先週からNHKがやたらと戦争番組を放映しているので、かなり気になっています。
 特に、深夜に放送している証言番組を見ると、背筋の凍る思いがします。
 玉砕の戦闘でも、何人かの兵士は生き残って、その壮絶なる様子を証言している。・・・歴史は実に重いものがあります。
 
 
 さて、前回、鉛筆による作画を終えた「フラン」ですが、線画をスキャナで取り込んで、彩色する段階にきています。
 最近のスキャナは、安価でも性能がいいものが出ていますから、こういった作業は家庭でも簡単にできるようになりました。10年前では考えられなかったことです。
 私も、使っているスキャナは1万円程度のA4カラリオですが、きちんと1200dpiの2階調でスキャンしてくれますからね。
 グレースケールだと、やたらと紙面のゴミを拾いますから、白黒の2階調で「しきい値」を適当に設定してやれば、かなりの紙面ゴミを飛ばすことができます。
 それでも残るゴミは、後でせっせと取らなければなりませんが、それはまた後の話。
 
 スキャンしたデータを、Adobe Photoshopで開いて色塗りをしていきます。

photoshop起動

photoshopバージョン7

photoshop elements
 最近は、Photoshopに代わるグラフィックソフトも安くて高機能のものが沢山でていますから、無理して高いソフトを使う必要がなくなってきましたね。
 「フラン」の場合は印刷に使うことを考慮して、最初から「CMYKモード」で彩色しますので、やっぱりPhotoshopが必要なのですが、Web用にRGBモードの絵でよければ、Photoshopでなくても構いません。安いので十分。
 そう、レイヤー機能があれば、十分なんですよ。この程度の色塗りは。
 
 あと、やっぱりタブレットがあった方が便利ですよね。
 マウスで色塗り・・・可能ですし以前はやっていましたが、一度タブレットを体験すると後戻りできませんね。

作業風景
 
 過去を思い出せば、NECのPC8801を使っていた時、マウスでお絵描きしていたことがありました。
 サランラップにまず下書きをして、それをモニタに貼付けて、マウスでなぞって行くんですよ。昔はそんな苦労をしていましたが、それでも楽しかったものです。
 それから数年。Photoshopはバージョン4の時から使っていますが、動作が激重で頻繁にフリーズしてイライラの絶頂にあっても、仕上がった絵に感動して「すごいことができるようになったなあ」と感動したものでしたが。
 
 今の便利さを、当時に持っていくことができれば、目ん玉飛び出るでしょう。
 しかし、現状はとても幸せで満足できるかというと、そうでもありません。
 もっといいモニタやタブレットがあったら、Photoshopのバージョンを最新にできたら・・・と、欲望に限りない。人間の悲しい性なんでしょう。
 
 おっと、話がそれている間に、色塗りは相当進んでいました。

2009 年 8 月 2 日

ガダルカナル・兵士たちの証言「死は鴻毛よりも軽くない」

カテゴリー: 日記 — sukeroku @ 10:58 PM

話題になったテレビ番組をたまたま見ていましたので、少しここに書いておきます。

先週金曜日(7月31日)夜、NHK総合で『語れなかった記憶 ガダルカナル・兵士たちの証言』という番組がありました。
これは東海北陸版の番組でしたので、全国放送ではありませんでした。

題名の通り、太平洋戦争中のガダルカナル戦から帰還し、現在も生きておられる元兵士の証言を集めた番組。
名古屋歩兵228連隊が派兵されたので、生存者も名古屋近郊におられ、NHK名古屋放送局が作成したものです。

228連隊で現在生き残っておられる方は十数名。
その中で数名の方が番組に登場していましたが、22歳で中隊長として出征し、ガダルカナルで多くの部下を失った方の証言では、陸軍士官学校で徹底的に教えられたことが
「義は山岳よりも高く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽し」
つまり「国のために命を捨てよ」ということでした。

しかし、ガダルカナルでは、圧倒的兵力で攻撃してくるアメリカ軍に対し、日本軍は日露戦争以来使っている三八式歩兵銃で立ち向かうので、その優劣は明らか。

元衛生兵の証言では、「弾薬どころか、医薬品も全くなかった」とのこと。
「包帯も何もない。傷口にウジがわいても、そこらへんの水で洗うしかなかったし、『がんばれ』と声をかけるしかなかった」という最悪の状態。

更に、第3次ソロモン海戦により、3万人分の食料を摘んだ補給船が壊滅的打撃を受け、ガダルカナル島は一気に「餓島」と呼ばれる事態に。
名古屋歩兵228連隊が上陸してから1ヶ月あまり経つと、1日に50人の餓死者を出していたという。

そして、元兵士の証言です。

うごけないから、兵士のまわりにハエがたかる。そのハエをたたいて、食ったのだから。
……ああいうのを餓鬼って言うんじゃないか」

そして、飢餓と死に対する恐怖から、兵士は理性を失っていき……

「狙いを定めて、ボーンと撃ってね、敵さんが倒れるとね、死体を引きずってきて、みんなで処置して、焼いて食べちゃったね。……今考えると、なんであんなことができたんかね」

正に、餓島は極限状態にありました。

番組は、この後撤退の話になるのですが、そこは省略しますが、先に登場した元中隊長は、戦場であることを知らされます。
「死は鴻毛よりも軽くない」
そして、撤退行軍中、歩くこともままならない兵士に「命よりも大切な銃」を捨てよと命令したそうです。

想像を絶する状況だった訳ですが、今から六十年前、日本人が実際に体験したことであったことには違いありません。