2009 年 11 月 17 日

民主党・小沢一郎氏の「キリスト教は排他的」と「死ねばみんな仏様」発言

カテゴリー: 日記 — sukeroku @ 1:58 PM

民主党の小沢一郎氏が、キリスト教について「排他的で独善的な宗教だ」と発言したことが波紋を呼んでいます。

キリスト教の認識については、確かに鋭く突いているとは思います。

が、政治家としての発言とは思えません。
ネット上でも「民主党大丈夫か?」という声が溢れ、中には「創価学会に媚を売っているのではないか」という意見も・・・。

産経抄」では、「キリスト教の場合、唯一絶対の神を信仰している。だからその傾向は強かったともいえる。」と書きながらも、「しかしここ数十年、他宗教との対話や融和を積極的に打ち出しているのもキリスト教だ。」と最近の傾向から、小沢氏の発言に疑問を投げかけています。

ただ、教団の対外的方針と、教義とは別に考えなければなりません。

これに反発したキリスト教側も動きました。

日本キリスト教連合会が小沢氏に撤回要求の抗議文を送りつけた模様。
その内容には「小沢氏の発言は一面的で、それこそ『排他的』で『独善的』だ。責任政党幹事長の言葉として、その見識を深く疑う」としている。

「独善的」発言でキリスト教連合会が小沢氏に撤回要求の抗議文(産経)

産経の記事では、小沢氏の発言の全貌がつかめませんが、以下の記事でよく分かります。

小沢氏「君は何教だ」 キリスト教発言への質問に逆ギレ(報知)

小沢氏は「煩悩を生きながらにして超越できる人が生き仏。お釈迦様が最初の人だ」と力説した上で「死にゃあ煩悩がなくなるから仏様。君んとこも仏様あるだろ? ほかの宗教で、みんな神様になれるとこあるか」と問いかけた。

発言の撤回をしないのはよしとしても、逆ギレはいけませんねえ。

小沢氏の仏教観は、煩悩が無くなった、もしくは煩悩を超越できる人のことが「仏」という認識で、「死ねば誰でも仏」という考えのようです。

「死ねば誰でも仏になれる」・・・それが大きな間違いであることは、親鸞聖人の教えを学ぶ皆さんは十分すぎるほど分かっていることでしょう。
問題は、「死ねば必ず仏になれる身」になっているか、どうかです。

どうも、キリスト教に対する認識以上に、仏教とはどういう教えなのか、小沢氏はもっと勉強すべきですね。

ともあれ、この騒ぎ、今後の動きに注目です。

(参考)
>>マンガ「念仏して急ぎ仏になりて」の本当の意味
>>死んだらどうなるか 自殺を止められた釈尊の譬え話