2010/11/24

歴史の視点・学徒の論点 仏説を観念の遊戯にした近代教学の巨魁 金子大栄・曾我量深の邪説(前編) 

昭和5年(1930)、京都で大規模な学生ストライキが起きる。
真宗大谷派の宗門校・大谷大学での出来事である。前期の授業は中止され、教授陣23名が総辞職する前代未聞の騒ぎとなった。
近代教学派と伝統教学派の対立が発端であった。

中心人物は、金子大栄曾我量深
事件の背景から、いわゆる“近代教学”が大教団をむしばんでいった歴史を2回にわたって見てみよう。

清沢満之が東京に開校した真宗大学は、わずか10年で廃校された。
近代教学の牙城とみなされ、宗派内から異安心を根絶しようとする本山側の処置であった。
(詳細はコチラ→親鸞会.NET» » 歴史の視点・学徒の論点 「近代教学」VS「石川同行」 親鸞会.NET

在校生は明治44年(1911)、京都に新たにできた大谷大学へ移された。
近代教学もこれで終わりかと思われたが、事態は意外な展開を見せる。
京都に移った学生たちが、近代教学派の教授採用を強く要求したのである。

大正5年(1916)、学生の勢いに押される形で、大谷大学が教授に引き抜いたのが、今日、近代教学の大成者といわれる金子大栄であった。

新潟県出身で、東京の真宗大学で清沢満之の影響を受けた。
卒業後は自坊の住職をしながら、真宗学の研究を10年以上続けたのち、清沢満之の私塾・浩々洞に入り、彼らの雑誌の編集責任者を務めた。この間も著述や講演に努めていたことが評価された。

大学での金子大栄の講義は、いつも定員オーバーとなる盛況ぶりで、伝統教学の教授らは面白くない。
しかも、金子大栄は、その著書の中で、伝統派が親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を金科玉条のごとく、そのまま受け取ろうとすることを批判し、彼らの神経を逆なでするようなことを平気で書いた
「これ(お聖教のご文)はどういう風に解釈すべきであるか。『解釈というようなことは許さない、そう書いてあるからそうだ。こう書いてあるからこの通りだ』というのですが、書いてある通りという事は実は非常に困るのでありまして、書いた通りに分るのは恐らくそれを書いた人に聞かなければ本当に分らん筈である」
(『如来及び浄土の観念』)

仏教の究極の目的である「往生浄土」についても、金子大栄は、それまでだれも言わなかった曲解を公表した。

「実在の浄土は信ぜられぬ」
(『浄土の観念』)

古来、西方十万億土に実在すると説かれてきた「浄土」を、「信じられぬ」とか、「観念の世界」だとする説である。

また、清沢門下の学僧・曾我量深も大正14年(1925)、大谷大学教授に迎えられた。彼も今日、近代教学の功労者として金子と並び称されている。

もともと東京の真宗大学の教授であったが、廃校に反対して辞職、新潟県の自坊で住職をしていたが、その博識を買われたのだろう。復帰するや、彼は学生相手に驚くべき珍説を講義する。

「法蔵菩薩は阿頼耶識である」

この説は出版もされたので、広く一般大衆の知るところとなる。
金子大栄と曾我量深のこれらの言動に伝統教学派の堪忍袋の緒が切れた。

金子も曾我も「唯心の弥陀・己心の浄土」にあたる異安心であるとして僧籍を剥奪し、大学から追放したのである。

人気教授の追放に学生は猛反発する。
昭和5年、前代未聞のストライキを起こし、授業は完全にストップ。責任を執って、23名の教授が総辞職する騒ぎに発展し、新聞・雑誌に多く取り上げられた。
悲しいことだが、親鸞学徒の本道を歩まぬ者たちは、強烈に観念の理論や体験談に引かれるのである。

(つづく)

………………………………………………………..
《解説》

清沢満之が始めた「近代教学」とは

いわゆる「近代教学」を始めたとされる清沢満之の言説も、「私はああだった、こうなった」という体験ばかりを語るものだった。
「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して任運に法爾に、この現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり」
(救われた体験)
「地獄極楽の有無は無用の論題である」
「来世の幸福のことは私はまだ実験しないことであるからここに述ぶることはできぬ」
正統なる仏説と明らかに反することを説いている。

また、救われたとは言っても、阿弥陀仏や七高僧方のご恩徳を讃嘆することもなく、念仏もない。
親鸞・蓮如両聖人のお言葉を挙げて丁寧に解説することもない。


ただ「こうなった、ああなった」の自己の体験を声高に喧伝した。
教えよりも体験や実感をことさら強調するので、「清沢教学」とか「近代教学」と呼ばれる。


だが、西洋の新思想がどっと流入した明治以降、若者たちは、このような邪義に魅力を感じ、強烈に引き付けられていった。
*大谷大学……江戸時代に設立された、大谷派の中心的教育機関(当時はまだ伝統教学だった)が前身
《解説》

阿頼耶識とは
仏教の学問の一つである唯識学では、私たちの心を以下のように、八つに分けて教えられる。

●八識 (「識」とは「心」のこと)
(1)眼識
(2)耳識
(3)鼻識
(4)舌識
(5)身識
この五つを前五識という

(6)意識…前五識を統制し、記憶・判断・思考・命令する心。
(7)末那識…執着する心。
(8)阿頼耶識…三世を貫く永遠の生命。すべての業力をおさめている処だから、蔵識ともいわれる。

「法蔵菩薩は阿頼耶識である」というのは、私たちの心が阿弥陀仏である、という「唯心の弥陀」の異安心であり、非難されるのは当然である。
歴史の”なぜ?”

「法蔵菩薩は阿頼耶識である」というとんでもない邪義を曾我量深は、
なぜ、唱えたのか。かつての大谷派教学研究所所長は、こう述べている。


「明治の、(曾我)先生の青年時代には法蔵菩薩はもはや『昔噺、神話』のように思われていて賢い人たちは法蔵菩薩の法の字も言わなくなっていたと言われている。
近代的理性に合わない事柄は前時代の迷妄として否定していく啓蒙の時代の到来の中で、真宗の根幹である阿弥陀仏・法蔵菩薩の〈実在〉が瀕死の状態にあった。
阿弥陀仏が〈実在〉しないならば阿弥陀仏の本願も架空のものとなる。
理性的なこれからは、そんな架空な『昔噺、神話』は誰も信じないであろう。
とすれば真宗は中心から腐蝕していく。
これを何とかしなければという強い危機感が曾我先生の中にあったものと想像される。その危機感の極点で『大無量寿経』の法蔵菩薩が阿頼耶識であるという直観的結合をもたらしたのである」


教えを軽視し、自分の考えを入れて曲げる。清沢満之以来の典型的な大谷派の思考法といっていいだろう。

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