さとし@カメラ小僧です。
富山と言えば、越中民謡なんですが、全国的によく知られているのは八尾の「おわら節」、五箇山の「こきりこ節」と「麦や節」ってとこでしょうか?特に五箇山は民謡の宝庫と言われているように、大変多くの民謡があります。
源平の合戦で破れた平家の落人が隠れ住んだと言われるのが五箇山ですが、彼らが鍬や鋤を手に京での栄耀栄華を想いながら歌ったと思われるような歌詞もあり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語などを思うと、何とも切ない気持ちになります。
中でも勇壮なのが、紋付袴に白たすきという凛々しい姿で、笠をクルクル回しながら踊る「麦や節」。これは、五箇山だけではなく、南砺市の城端地区でもよく踊られて、大きなイベントも行われています。
上の写真が、麦や節の笠踊りですが、これは城端で撮ったもの。城端は“越中の小京都”と言われるように、古い町並みが残る情緒あるところです。そんな町並みをバックに踊る麦や踊りは風情あります。
そんな町なので派手さはなく、実に地味なんですが、ところが、この城端には“アニメの聖地”という一面があるようです。
「true tears」という恋愛アニメ(?)が、あるそうなんですが、このアニメの舞台のモデルとなったのが城端らしいんですね。全く知りませんでしたが……。
恋愛アニメといったジャンルはオシャレな都会が舞台となるものだとばかり思っていましたが、まさか富山県がモデルになるとは……。正直ビックリですが、実際にこのアニメについて調べてみたら、どっかで見かけた町並みやショッピングモール、飲食店などが登場します。気持ち悪いくらい作品の中で再現されているんですが、複雑な心境ではあるものの富山県民としては嬉しいもんですね。
……で、このアニメのファンの間では「聖地巡礼」ということで、城端や高岡方面を訪れる人が多いようですが、如何にもローカル線といった出で立ちの城端駅の駅舎の中には、このアニメのコーナーがあって記帳用のノートが用意されたりしているそうです。南砺市のサイトには、このアニメの紹介ページがあったりして完全にアニメの聖地化しています。
城端に撮影に行った後に聞かされたことだったのですが、意外なところで賑わいを見せている城端でした。
ではでは。
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さとし@カメラ小僧です。
前回の記事が8月ですから、かなり更新サボッてしまいました。いや、何といいましょうか、あちこち行っておりまして……。
そんなことしている内に、同朋の里に“D館”と大浴場の“徳水館(とくすいかん)”が完成して、間もなく食堂の“百味館(ひゃくみかん)”が完成します。今月上旬には、見学会も行われ「早くここで信心の沙汰をしたい!」という声があちらこちらから……。
この同朋の里に広がる森林の中には“中山池”という池があり今回の工事で、遊歩道も整備されました。実は、この同朋の里から見る夕日がベリーグッドなのです!!特に、この中山池に映る空のグラデーションが何とも幻想的!では、日没直後くらいに撮った写真をご覧いただきましょう!
水面に映ったオレンジ色の空と森の木々……。ここはヨーロッパか、それとも……?
この中山池の脇には、新しくできたD館が小高い丘の上に建っているのですが、この夜景もなかなかですよ!
いかがでしょう?
さっきの写真よりもうちょっと後で撮ってみたんですが、池に映ったD館も素晴らしい!このD館では、法友同士、思う存分信心の沙汰をして、宿泊もできるようになっています。ちょっとしたリゾート地のような気分も味わえるかもしれませんね。
来月の親鸞会館でのご法話の前後には、D館、徳水館、百味館すべて揃って利用できる予定です。今から楽しみですね!
ではでは。
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射水市(旧小杉町)太閤山と言えば、親鸞会の皆さんにとっても馴染み深いものがある地名でしょう。
親鸞会館のほど近く、富山県では最大級の団地「太閤山団地」が存在します。
元々、この団地一体は丘陵地帯でした。それを昭和40年代に大規模な開発が行なわれ、今の姿となったのですが、気になるのは「太閤山」という地名。
おそらく豊臣秀吉と何かの関係があるのだろう、と思ったあなた、正解!
実は、天正13年(1585年)8月、越中を守っていた佐々成政を攻める為に太閤秀吉がこの地に一晩だけ陣を敷いたと言われるのです。
1日だけ陣を敷いた場所なんて、秀吉にとってみれば全国各地に存在するでしょうね。
そうなると「太閤山」なる地名はもっと沢山あっていい気がします。
確か名古屋駅の近くに「太閤」という地名がありました。そこは秀吉の「生まれ故郷」という意味での地名のようで、他に私が思いつくものはありませんが、なにしろ名前のルーツは、そういうことです。
豊臣秀吉の人物については、ここで詳しく説明するまでもないでしょう。彼の有名な辞世の句は、親鸞会の法話でもよく使われる歌でもあります。
(参考:豊臣秀吉の辞世)
さて、問題は実際に陣を敷いた場所はどこなのか、とうことなのですが、これは射水市黒河にある小さな丘になります。(地図)
実は現在、パチンコ店の駐車場になっており、遺跡は残っておりません。
しかも、そのパチンコ店も閉店しているというのですから、何とも言えないありさまです。
『小杉町史』によると、駐車場化したのは昭和63年のことで、丁度、親鸞会本部会館が建立された年のことでした。それまでは、現在の駐車場より更にうず高い位置に遺跡が存在しており、発掘調査によって二重の溝が発見されています。
おそらく、陣所の簡易的な空堀と思われます。
内側の溝に囲まれた範囲は、東西13メートル、南北17メートルの方形。
実際に、内側の溝からは中世土師器1点、外側の溝からは火縄銃の鉛玉1個が発掘されています。
それが決定的要因という訳ではありませんが、それらの遺物から、おそらくここが秀吉の陣所跡だったのであろう、ということなのです。
ここで一晩、陣を構えた後、秀吉軍は呉羽山へ移動したと言われます。
現代的に言えば、一晩だけここで野営キャンプをしたということですので、出土品が少ないのも仕方が無いことでしょう。
「太閤山」の地名のルーツ、分かって頂けましたか?
そういえば、太閤山団地の中に「千成パーク」なるものがありますが、その名前も豊臣秀吉の馬印である「千成ひょうたん」から来ているのでしょう。
「太閤山温泉」も、実は秀吉が兵を温泉に入れた休ませたという伝承もあるそうです。
しかし、今は陣所の遺跡も、太閤山温泉すらも消えてしまっているのが、残念でなりません。
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親鸞会館のある射水市のおとなり、富山市中心街にあるのが「富山城」です。
今日は、この富山城についてご紹介しましょう。
築城時期は諸説ありますが、天文12年(1543)に守護代の神保氏が築いたという説がよく知られています。
その後、富山城は加賀・越中一向一揆勢と上杉謙信との争奪戦がありました。
謙信死後は、織田信長が越中に進出し、天正10年(1582)に信長の家臣・佐々成政が城主となります。
佐々成政については、平成14年のNHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」で、山口祐一郎が演じ、その妻・はるを天海祐希が演じていましたので、かなり目立っていました。
ドラマ中、現在の富山城天守閣の映像がそのまま使われ、「さらさら越え」や「成政切腹」という題の回もあるほど、主役の唐沢寿明より目立つことが多かったですね。
「成政が出過ぎ!」という声もありましたが、ご当地富山にとってはかなりうれしい演出で、この年の富山県は「佐々成政」が一つのキーワードでした。(というか、あれは完全に富山を意識していましたよね?NHKさん)
本能寺の変以降、佐々成政と豊臣秀吉は敵対するようになり、天正13年(1585)には秀吉自らが10万の大軍を率いて越中に攻め込み、成政は降伏。以降、越中は加賀前田家の支配となります。
この戦いで、秀吉軍が一晩陣を敷いた場所に射水市太閤山の丘陵地帯があり、このことから「太閤山」の地名がつけられたのは有名な話です。
親鸞会の皆さんにとって気になる、佐々成政と浄土真宗の関係ですが、秀吉と成政が敵対するようになると、越中国内であらぬ争いをしないよう、浄土真宗を優遇したようです。
親鸞会では度々話題となる高岡市の勝興寺は、実は佐々成政から寺地を寄進されたものです。
成政は越中にて善政をしいたので、富山県人には慕われる歴史人でもありますね。
さて、江戸時代の富山城は、富山藩10万石(初代:前田利次)の城となり明治まで続きました。
もともと天守閣の無かった城でしたが、昭和29年に「模擬天守」を建築し現在に至ります。
そう、写真の天守閣は実は本丸の門跡に建てられた架空のものなのです。
戦後の天守復興は、全国ではこの富山城が最初だったそうで、以降の天守復興ブームの火付け役だった訳です。
以上、簡単ですが、富山城とその歴史についてでした。
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「ほかではもう味わえない」と法輪閣の欧風料理が好評を博しています。
年始から務める料理長は、法輪閣ロビーの会食でイタリアンのコース料理やフレンチなど、ホテルのレストランで40年間磨いた腕を振るっています。
中でも今、人気上昇中なのはディナーのパスタセット。
メニューは数日ごとに替わり、魚介のパスタやカルボナーラ、ぺペロンチーノなど、いろいろなパスタを楽しめます。
写真は、「魚介のクリームパスタ」。
サーモンやホタテの魚介類、しめじや舞茸のキノコに加え、ベーコン、たまねぎ、インゲン豆など多様な食材を、チーズたっぷり、まろやかなトマト風味のクリームソースでまとめられたもの。
そう聞くだけで私のお腹が喜びます。
そして仕上げに入れたバジルの風味に、「ハーブの利いた料理は、一度食べると忘れられない」という声も聞こえてきます。
また、無農薬・有機栽培の旬のトマトやキュウリ・ナスの夏野菜はサラダに、ハーブはパスタや肉料理に惜しみなく使われています。
料理長は、「皆さんが楽しんで食事をしながら、縁を結び、信仰を深める。いつでも、そういう場所にしたいですね」と笑顔で語っていました。
バイキングもいかがですか?
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福井県は吉崎、と言えば蓮如上人のご旧跡、吉崎御坊で有名な場所です。親鸞会の皆さんには、あええてここで詳しく説明する必要もないでしょう。
吉崎を訪ねれば「蓮如の里」という大きな看板が迎えてくれます。東西本願寺の別院が存在してはいますが、完全に観光名所としての役割を果たしている、という感じです。
400年の時が流れたとはいえ、蓮如上人の功績が残され、上人を慕って吉崎を訪れる人が多いのも驚くべきことですね。
さて、この吉崎の近くに、以外にも親鸞聖人のご旧跡があるのはあまり知られていません。
「なぜまた福井に親鸞聖人の足跡が?」
と思いがちですが、親鸞聖人35歳の時の越後流刑の際、北陸を通られながら、各地で布教もされていました。その伝承は、福井、石川、富山の北陸三県の随所に残されています。
ということで、やって来たのは福井県の細呂木地区。JR北陸線に「細呂木駅」があるので、名前を聞いたことがある人も多いでしょう。実際の細呂木はJR駅からもっと日本海側、北潟湖の近くにあります。近くには、これまた有名な「嫁威し谷」もあります。
細呂木地区の旧北陸街道
この辺りは加賀と越前の境界付近になり、江戸時代には福井藩の「細呂木関所」が置かれた所でもありました。
旧北陸街道が通り、かつては相当にぎわった場所なのでしょう。流刑にあわれた親鸞聖人も、この道を通られたに違いありません。
その細呂木地区に「のこぎり坂」という坂があります。地元の人でもあまり知られていないようですが、ここに親鸞聖人の御歌が刻まれた石碑が遺っています。(地図)
のこぎり坂
これは道路から外れた、斜面の中程に建っているので、非常に見落としやすいです。だからこそ、あまり知られていないのかもしれません。
歌碑には
『音にきく のこぎり坂にひきわかれ
身の行くすえは こころ細呂木』
と、親鸞聖人の御歌が刻まれています。
おそらく、越後に向かって越前国内を旅される途中、多くの方に教えを伝えられたのでしょう。「もっとお聞きしたい」という同行方が、親鸞聖人の後をついていったと推測されます。
しかし、さすがに越境はできません。こののこぎり坂で、上人と越前の人との辛い別れがありました。
せっかく仏縁に恵まれ、真実の教えを聞かれるよになったのに、ここでお別れせねばならないとは、のこぎりで切り裂かれるように辛いことだ、というお気持ちからでしょう。
この山上で、おそらく最後の説法をされたのではないでしょうか。
ところで、歌碑の側面には「文政十二己丑仲秋再建之 魚津町同行中」とあります。
つまり、江戸時代末期の文政12年(1829)秋に再建されたものということです。
「魚津町同行」とはおそらく、富山県魚津市の真宗門徒と考えられます。
なぜにまた、富山県の人たちが細呂木に石碑を建てたのでしょう?
推測するに、富山県から京都の本願寺へ聞法にはせ参じる人たちが多かったということでしょう。もちろん、歩いての往復。魚津の人たちがさびれた石碑を見て、志を集めて再建したものと考えられます。
さすが、親鸞聖人の教えを聞き求めようと旅する人が、聖人の歌を心の支えとしたのでしょう。
北陸が、親鸞聖人、蓮如上人と深い縁がある土徳の地であることに、深い感銘を受ける話でありました。
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さとし@カメラ小僧です。
テレビを見ればどこもかしこも北京オリンピック一色!なにかと問題のあった今回の開催ですが、日本の選手団の皆さんには是非とも全力を尽くして頑張ってもらいたいものです。
それにしても、今年は原油価格の高騰などから飛行機の運賃が高くなったりして夏休みの海外旅行は例年より少なめだそうですね。お盆の帰省すら控える人がいらっしゃるのだとか……。家族旅行も海外旅行から国内旅行に切り替える人も多いそうで、富山県の誇る観光名所「立山黒部アルペンルート」は実に賑やかでした。
私も早朝から出掛けてきたのですが、今回のお目当ては、室堂にある「地獄谷」。雪の多い季節には遊歩道が隠れてしまうという事で、立ち入り禁止になっている区域です。夏なら全く問題なし。
室堂のターミナルから暫く行ったところに、地獄谷に続く坂道があるので、そこをひたすら下ります。
谷底までは、かなり距離があるのですが、下り始める時には、谷底から何やら「シューシュー」と音がする。さらに下って行くと段々と硫黄臭くなってくる。その正体がコレ。
坂道を下り切ってT字路があるのですが、そこにある硫黄の塔。この辺は「鍛冶屋地獄」と言い、この塔からもの凄い勢いで噴気が出ています。ちょっと前に自殺で問題になった硫化水素なんかも出ているそうですので、いくら観光でも「すみやかに通り抜けてください」という看板が立っているほど。
ここから「百姓地獄」という所に向かって歩いて行くと、こんな光景だ。
いやいや、実に荒々しい光景です。噴気は、鍛冶屋地獄の硫黄の塔だけではなく、地獄谷のあちこちから上がっている。綺麗なせせらぎのように見えるところも泡がボコボコと吹き出している。決してのどかな光景とは言い難い。
いや、まさに死の世界ですね。ちなみに遊歩道の何カ所からも小さな泡がポコポコと出ていたりして、とにかく地獄谷を歩く時は臭かったです。昔の人はこの光景を見て地獄を連想したらしく「立山に地獄あり」と言い伝えられてきたのだそうです。まあ、歩いていても臭い以外に全く苦しくない「かわいらしい地獄」でしたけどね。観光名所な地獄なんてあるかっ!と思わず突っ込んでしまいました。
こういう記事を見ていると、立山って恐ろしいところかと思われるかもしれませんが、地獄谷以外なら非常に美しい光景を見る事ができます。室堂ターミナルから近くの「みくりが池」なんかは、火山湖なんですが、天気が良いと、大汝山や雄山が映り込んだりして実に眺めが良いのです。
冬は雪に閉ざされてしまう立山ですが、春夏秋は、それぞれに春スキーと雪山、高山植物、紅葉と変化に富んだ景色を見せてくれますので、是非足を運んでみてくださいね!
ではでは。
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富山県射水市にある親鸞会館には、毎日のように拝観者が訪れています。
というのも、北陸自動車道の小杉インター付近の上下線に、「浄土真宗親鸞会館」の大きな看板が立てられているのも、その一つの理由でしょうか。
目立ちますよねー、これ。
実際に、この看板を見て「おお、これって何だ? 小杉インターから近いならちょっと行ってみるか」と、ふらりと訪問される方も多いとか。
拝観を縁に、その後の正本堂2000畳の大講堂のご法話に参詣される方の数も急増中。
案内する係のお姉さんに聞いたところ、団体での拝観もよくあるのだとか。
以前は、地元小杉町(現射水市)の方が100人規模で訪問してこられたり、ブラジルの姉妹都市訪問で来日していた「パラナ州視察団」も訪れたりしたとか。
みなさん、「こんな素晴らしい建物があるとは知らなかった」と、特に大講堂の広さには目をまるくされるそうです。当然でしょう。
さて、こんな拝観行事は如何でしょう。
7月21日の日曜日、富山県西部の有志による親鸞会館拝観が行なわれました。
親鸞会会員だけではなく、会館へ来るのは初めてという人も多い中、講師によるユーモラスで丁寧な説明がなされました。
30畳分の広さを持つ発光ダイオード製の大型映像に映し出される「親鸞聖人」のアニメに皆さん感動!
非常に天気もよく、3階ロビーから見える風景は、正に絶景です!
さて、一通り館内を見た後、某所にて一流シェフによるイタリア料理が待っています。
ランチのフルコース。
料理長が親鸞会会員なのですが、ホテルのレストランで40年間腕を磨いたそうで、「こんな味はもう他では味わえない」と、感嘆の声しきり。
食材も、無農薬・有機栽培の野菜をふんだんに使うこだわりようで、参加者みんな大満足!!
こんな拝観行事、いかがですか?
畳敷きの空間としては、世界最大規模の親鸞会館・正本堂が、あなたをお待ちしています。
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さとし@カメラ小僧です。
聞法ドメインの同朋の里で進められている、D館、食堂、大浴場の新築工事も大詰めです。それぞれの足場も撤去され、駐車場からも外観がハッキリとわかるようになりました。特にD館は濃い緑の屋根と木目の美しい外壁がオシャレです。既に駐車場からD館へと伸びる道路のインターロッキングの施工も着々と進んでいるようです。
また、大浴場や食堂も姿を現しました。
この夏休みにも県外から、家族連れや学生さんなども多く訪れ、のどかな自然の中で親鸞聖人の教えを聞き、そして、語り合って、同朋の里や法輪閣は実に賑やかでした。ただ、やはり現在の建物だけではパンク状態ですので、D館、食堂、大浴場の完成が待ち遠しいですね!
工事現場を歩くと、連日の猛暑で汗だくでしたが、木々に囲まれると涼しい風が吹き、暑さを忘れることができます。工事関係の皆さん、体調管理には気をつけて頑張ってくださいね!
ではでは。
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さとし@カメラ小僧です。
先日の8月3日(日)には、親鸞会館にて親鸞学徒追悼法要が勤修されました。
朝の正信偈の勤行のあと、親鸞学徒を代表して2名の方の体験発表があり、高森先生のご法話を聴聞させていただきました。今回はお釈迦さまの説かれた「人間の実相」の譬え話について聴聞させていただきました。刻々と確実に寿命が縮まっているのに、その現実から目をそらし、お金や財産、地位や名誉などを必死になって追い求めている全人類の愚かさをロシアの文豪であるトルストイも絶賛する譬えをもって教えられました。
昨年の追悼法要では、共に聞法していた法友が、今年の追悼法要では追悼される身となられた方もありました。今年追悼している私が、来年の追悼法要では、どうなっているでしょう?
いずれやってくる老後の不安からか、年金問題で大騒ぎしますが、それ以上に必ずやってくる未来が、我が身の死です。それから目をそらさず真面目に見つめて仏法を求めたいものです。
追悼法要には、家族や親戚、友人と参詣された方も多くおられました。このご縁で無常を見つめ、聞法される事を念ぜずにおれませんでした。
ではでは。
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