2009/07/26

憎しみ転じて歓喜の涙

東野恵美さんの永年の悩みの種は、姑との人間関係でした。

「なぜこんな家に嫁いだのか」

真剣に離婚を考えたこともあり、救いを求めてイロイロな宗教に迷ってきました。

そんな中、友人の紹介で浄土真宗親鸞会のことを知り、地元の講演会に参詣するや、

「やっと真実の宗教に巡り遇えました!」

と大変喜び、親鸞会会員になられたのです。
間もなく、お仏壇に正御本尊を迎え、毎月の親鸞会館、地元の講演会、勉強会と
感謝の心いっぱいで聞法を重ねられるようになりました。

そして恵美さんは「自分がこの教えに遇えたのは姑さんのおかげ」と知らされたのです。

「義母さんも難度海(※なんどかい・苦悩の人生)で
 辛い思いをしているのだから何とか聞いてもらいたい。
 今のままでは本当にかわいそうだ」

と思い、それまで離れの隠居部屋に一人いた姑さんに

「義母さん、一緒にお勤めしましょ」

と毎日声をかけるようになりました。
それからというもの、一緒に正御本尊の前で正信偈を拝読し、二人で仏法讃嘆をするの
が楽しい日課となったのです。

そして、姑さんも恵美さんと一緒に親鸞会館へ参詣されるまでになりました。
初めは硬い表情でしたが、だんだんと打ち解け、

「私は若いころから病気の主人の看病、9人の小姑の世話と苦しみの連続で、
本気で入水自殺をしようとしたこともあった」

と語られました。
それから、姑さんは、このように言われたのです。

「私は、息子夫婦の仲のよさがねたましく、
 意地悪なことばかり言ってきた」

姑さんは泣いていました。

「それなのに私を恨んでいるはずの嫁さんから、 
 寺などでは絶対に聞けない本当の親鸞聖人のみ教えを
 聞かせてもらうことができました。
 うちの嫁さんは善知識です。
 私は幸せ者です。
 ありがたいです」

と心から喜び、

「嫁さんについていくので私もお仲間に入れてください」

と言われたのです。

「憎しみ合っていたのに、本当に夢のようです。
 すべて阿弥陀さま、高森先生のおかげです」

とお二人の目からは涙があふれていました。

「今度は主人(息子)にも伝えたいね」

二人とも輝く瞳で笑っていました。

王舎城の悲劇(※)を彷彿とさせる如来のドラマを目の当たりにし、思わず
私ももらい涙でした。

(お名前はプライバシーの関係で配慮しております)

※難度海についてはコチラをご覧ください。
※王舎城の悲劇についてはコチラをご覧ください。

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2009/06/26

親鸞会館で『人身受け難し』の法話

先日、親鸞会館で『人身受け難し』のお釈迦様のお言葉を通しての法話が
ありました。

『人身受け難し 今已に受く
 仏法聞き難し 今已に聞く』

人身とは、人間のことです。
「人身受け難し、今已に受く」
とは“生まれ難い人間に生まれることが出来てよかった”という喜びの
言葉です。
“よくぞ人間に生まれたものぞ”
の生命の大歓喜です。

人間に生まれてよかったの喜びは、生まれてきた目的がハッキリしてこそ
心から溢れ出てきます。
その人生の目的について親鸞聖人は教行信証の冒頭に次のように書かれています。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
     (親鸞聖人『教行信証・総序』)

これは一体どういう意味なのでしょう。

 

「難度海(なんどかい)」とは、人生を「渡りにくい海」に例えたものです。

“人生の荒波”といわれるように、生きているといろんな波がやってきます。
病気、人間関係、失恋、リストラ、裏切り、などといった苦しみの波です。

しかもそこはちょうど空と水しか見えない海のようなもので、
どこに向かって泳げばいいのか、という方角が分かりません。

見えるのは、プカプカと波間に漂う丸太ん棒や板切れのようなものばかりで、
それはちょうど、“とりあえずの幸せ”“一時的な幸せ”を与えてくれるものと
いえるでしょう。

丸太や板切れにつかまれば、身体が浮き、楽になれるし、つかの間の安心は
得られます。
しかし波がくれば丸太はクルッと周り、しがみついていた人はまたも海に放り出され
潮水飲んで苦しまねばなりません。

悲しいことですが夫や妻、子供、金や財産、地位や名誉などはみな丸太ん棒や
板切れのような浮遊物で、押し寄せる波によって、引き裂かれたり、失ったり、裏切られたり
しては、おぼれ、傷つき、人は苦しみます。
最大の波は、老、病、死でしょう。
あまりの苦しみに溺死してしまった人も決して少なくありません。

そんな人たちに、懸命に泳ぎ方のコーチをしているのが、
政治、経済、科学、医学、芸術文学、法律といったものです。

しかしこれらは、

 「どこに向かって泳ぐのか」
 「なぜ、生きねばならないのか」

肝心な泳ぐ方角、人生の目的を明らかにしているでしょうか。 

何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜ苦しくとも生きねばならないのか、
だれも知りません。 

行く先を知らずに泳いでいる人は、やがて力尽きておぼれるだけです。
目的を知らずに生きている人は、死ぬために生きているようなものです。
死を待つだけの人生は苦しむだけの一生に終わります。

私たちは決して苦しむために生まれてきたのではありません。
生きているのでもありません。

すべての人の願いは、苦しみ悩みから解放されて、いかにこの難度海を、
明るく楽しく渡るかに尽きます。 
そんな私たちに、人生の目的を明示されたのが親鸞聖人であり、
その高らかな宣言が教行信証の最初の言葉なのです。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船」

「難度海(人生)を明るく楽しく渡す大きな船があった!
 真実の仏法(難思の弘誓)こそがその大船なのだ」

だから真実の仏法(難思の弘誓)を聞くことが大切なのです。
仏教を聞いて人生の目的がハッキリすると

「仏法聞き難し、今已に聞く」
聞き難い仏法が聞けてよかった!

と言わずにおれなくなるのです。
そんな『人身受け難し』についての高森先生の講演会に参詣した
方の感想をいくつか紹介しましょう。

 

親鸞会.NET» » 一つ歯車狂っていれば(親鸞会の法話の感想)
http://www.shinrankai.net/2009/06/gohouwakansou-2.htm

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