2009/10/03
『一字』もおろそかにはできません
9月親鸞会館で『正信偈』の一節『獲信見敬大慶喜』の講演を聞かれた方の感想です。
今回のご縁で、「親鸞聖人のお言葉は、一文字さえ、読み違えたり、
聞き誤ったりしては大変だ」と知らされました。
世間的な感覚だと「たった一文字くらい」と思ってしまいます。
しかし、親鸞聖人の一文字には「人生の目的達成してくれよ」
という深くて重い、大変な心が込められています。
講演で、親鸞聖人の書かれた『唯信鈔文意』の
「この信心をうるを慶喜という」
という言葉が出てきました。
これは「信心を獲れば大慶喜が起きる」という意味だろうと何の疑問も
抱いていませんでした。
しかし、本当はそうではなく「この信心をうるを慶喜と言うのだ」という
ことだと聞かせていただきました。
そして、その違いをハッキリ教えてくださいました。
私は「自分の考え」という根っこがこびりつき、親鸞聖人の教えを
間違って理解していました。
このままではいけない。
もっと教えをよく理解しなければ、
もっと教えに忠実でなければ、
もっと教えの通り実行しなければ、
と、聴聞姿勢を反省させられる、とてもよいご縁となりました。
本当に有難うございました。
◆参考◆
救われたら本当に大慶喜がおきるのか(浄土真宗 親鸞会公式サイト)
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0413.htm
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