2009/05/19

仏とは

浄土真宗親鸞会の常訓

「我ら親鸞学徒は
  更に珍らしき法をも弘めず
    親鸞聖人のみ教えを 
     我も信じ 
      人にも教え聞かしむるばかりなり」


で、ただ親鸞聖人の教え(浄土真宗)を正確にお伝えするばかり
なのです。
そして、親鸞聖人の教えといっても、

「更に親鸞珍らしき法をも弘めず
   如来の教法を
     我も信じ 
      人にも教え聞かしむるばかりなり」


と言われているように、如来(仏)の教法(教)、
すなわち仏教以外にはないのです。

gg045_l3
さて、仏教とは「仏の教え」ということですが、
そもそも「仏」とはなんぞや??

「仏の身元を洗え!」
「これじゃあ、仏も浮かばれねえ」
「となりのお婆さん、とうとう仏になってしもうた」
「こんな綺麗な顔の仏さん、みたことないわ」

いずれも遺体を見ての言葉です。
時代劇でも現代でも、死んだ人のことを「仏」という人が
かなりありますよね。

葬式などでよく、亡くなった人を「仏さま」と言われています。
アカデミー賞受賞で話題の映画『おくりびと』で納棺師という職業が
一般にも知れ渡るようになりました。、
納棺師は東北地方に多いようですが、東北出身の知人が言うには、

「納棺師が仏さまをきれいに棺に入れて、葬式のあと、
 みんなで火葬場に行ってね、『この仏さまは骨格がしっかりしとる』とか
 言いながらお骨を拾って。
 のどぼとけが見つかると、『仏さまが出たぞー』と叫ぶんや……」。

と、やはり亡くなった人のことを仏、仏と言うようです。
しかも「のどぼとけ」まで。
このように、多くの日本人は漠然と、亡くなった人を「仏」だと思っています。
でも、死んだ人を仏さまというのは、何かおかしくないでしょうか?
仏教とは仏の教え、
もし死んだ人が仏なら、
仏教は死人の説いた教えということになってしまいます。
死んだ人が教えを説けるはずがありませんから、
仏=死人ではないことは明らかですよね。


では、仏教で仏とはどのようなことをいうのでしょう?

実は仏とは「最高のさとりを開かれた方」をいうのです。

一口に「さとり」といいましても、低いさとりから高いさとりまで、
五十二の位があり、これを「さとりの五十二位」といわれます。
ちょうど相撲取りでも、下はふんどしかつぎから、上は大関、横綱まで、
いろいろありますように、さとりにも、ピンからキリまで全部で五十二の位があり、
それぞれ名前がついていまるのです。
その最高のさとりの位を「仏のさとり」「仏覚」といいます。
これ以上のさとりはありませんから「無上覚」ともいわれます。
この最高無上の仏というさとりを開かれた方を
「仏」とか「仏さま」といわれるのです。

ha009_l ちなみに、このさとりの位は、一段違えば人間と虫ほど境界の差がある、
といわれているのですね。
これは大変な違いです。
猫ちゃんと携帯で話しようと思って何度教えても、猫にはちょっと
難しいでしょう。
犬にパソコンの使い方を教える気にはなれないと思います。
人間とは、生きている知恵の世界が全く違うからです。
ましてや十段、十段、二十段と、修行によってさとりを開いていくことは
いかに難しいか。一例を挙げましょう。
選挙になると必ず登場するダルマさん。
あのモデルとなった達磨という人は、インドに生まれ、晩年中国へ渡り、
禅宗の祖となりました。
面壁九年といって、壁に向かって九年間、座禅に打ち込み、
手足が腐って切断したといわれています。
だからダルマさんには手足がない、あんな姿をしているのですね。
両目はギロッとにらんでいますが、怖い感じがしないのは、
こちらをにらんでいる目ではなく、自己の心を凝視しているからです。
しかし、そんな手足腐るほど厳しい修行をした達磨でも、
三十段ぐらいまでしかさとれなかった、といわれています。
また中国天台宗を実質的に開いた天台という人は、
「師は、いずれの位までさとられたのか」
と臨終に弟子の智朗に問われて、
「ただ五品弟子位(九段目)あるのみ」
と告白しています。
一宗一派を開いたほどの人でも、十段に至らなかったのです。
ましてや五十二段目の仏のさとりに達するのは、いかに大変なことか
分かるでしょう。

  《次回に続きます》

関連記事:

    None Found


コメントは受け付けていません。

親鸞会講座

最新の情報


Go Top