2009/02/13
仏法聞ける長寿が有り難い
男女ともに世界一の長寿を誇る日本。だが素直に喜んでいる人ばかりではない。
「皆に迷惑かけてまで、なぜ生きねばならないのか」。生きる意味が分からず居場所を失い、寂しさから痴呆が進む高齢者もあるという。
光に向かって進む親鸞学徒は、人生の目的を胸に、心は明るく、いつまでも若々しい。
「うちのおじいちゃん、威厳がある」
富山県のしげひろさん(80)一家は、3世代で親鸞聖人の教えを尊ぶ仏法ファミリーだ。妻(77)、長男夫婦、孫3人が同居している。
「いちばんよかったのは家庭法話。始めてから25年になる。仏法聞けと言わんでも、自然と孫たちの心に入っていったようです」としげひろさんは語る。
しげひろさん一家に法灯が点じられたのは昭和52年。しげひろさんが、姉から、本当の親鸞聖人の教えを説かれる高森顕徹先生のことを聞いたのである。
寺との縁が深かったしげひろさん夫婦だったが、「聞いてみたい」と思った。それは、しげひろさんの母・ちよさんの臨終を、目の当たりにしていたからでもあった。
ちよさんが他界したのは昭和51年だった。亡くなる1週間ほど前から、「暗い、暗い」と言い、5分置きに仏壇のろうそくをつけるようになる。
何を求めているのか分からなかったしげひろさんは、「危ないよ。暗いなら部屋の電気をつけたらいい」と話した。
「それに義母は、『仏法聞かせてくれる人を呼んでくれ』としきりに頼んだのです」と振り返る。
熱心に寺で話を聞いていたちよさんだったが、「あれもダメ、これもダメ」と、近くの寺や手次の坊主を拒絶した。
家族には、だれを呼べばいいか見当もつかなかった。
亡くなる3日前、「みんな仲良く、仏法聞いていってくれよ」と遺言したという。
「高森顕徹先生から『無明の闇がある』と聞いて『これや』と思いました。母に伝えられなかったのが無念でならない。もう少し早ければ……。寺では心に入る話も、残る話も全くなかった」としげひろさんは憤りを隠さない。
聖人の教えを伝えない寺へ、直ちに絶縁状を送った。神棚を下ろし、正御本尊をお迎えしたのも間もなくだった。(高森顕徹先生との出会い)
「私たちが家族で求めていける大もとは、母の遺言にあるんです」としげひろさんは言う
悩みには因果の道理
純粋に教えに従うしげひろさんの後に続くのが、長男夫婦である。「毎月、家庭法話を続けてこれたのは、子どもに聞かせたいという思いが強かったから」と語る奥さんは、学校や仕事の悩みを子供から相談された時、心がけていることがある。
「親鸞聖人はこうおっしゃっているとか、仏法ではこう教えられているよ、と伝えるんです。私の言葉ではなくて。仏法を聞いて育ったので、素直に受け止められるようです」
中でも因果の道理を話す機会が多い。テストでうまくいかなかった時なら、「自分の行動を振り返ってみたらどう?」と促す。
点数がよかった時は、「頑張ったからだね」と褒める。
「ますますやる気になりますよね」
そんな環境で育った孫たちは、「仏法は聞かねばならないもの」と思っている。
「うちの祖父は威厳がある」と言うのは、高校1年生の次女。
頼りがいのあるしげひろさんに悩みを打ち明けることもしばしば。
「中学時代、ハンドボール部の練習がつらくてやめたいと思った時、『最後までやり遂げることが大事だ』と励まされ、それで続けられた。祖父の一言は重い」
ケンカしないのは
短大卒業後に金沢で就職し、しばらく1人暮らしをしていた長女は、「仕事がうまくいかなくて落ち込んだ時、仏法が懐かしくなって聞きたくなりました。離れていると親の声が聞きたくなるのと同じように……」。家族仲良く、めったにケンカしないのは、「仏法を聞いているから、まとまっているのかな。もめそうになっても、『さっきの言い方はよくなかった』とか、それぞれで振り返って改めているんでしょうね」と話す。
家族のだれかが、光に向かう道から外れそうになった時、「仏法最優先だぞ」と引っ張っていくのはいつも、しげひろさんの役目である。
「寺との関係や神棚のことなど、最初に断行したのが父です。聞法歴は同じでも、わが家の長は父なんです」としげひろさんの長男は断言する。
その奥さんも、「私たちは父と母の後をついていくだけ。子供たちにも、ついてきてほしいと思います。仏法を絶やさずに伝えていってほしい」と話している。
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