2010/06/10
生きる目的がハッキリすれば すべての行為が意味を持つ1
阿弥陀仏に救い摂られた喜びを親鸞聖人はこう叫ばれる。
「噫、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(もうあ)いがたく、真実の浄信(じょうしん)は億劫(おっこう)にも獲がたし。遇(たまたま)行信(ぎょうしん)を獲ば遠く宿縁を慶べ」(教行信証)
「噫!」という感嘆は、かつて体験したことのない驚きと喜びの、言葉にならぬ言葉である。「弘誓の強縁」とは、
〝何としても苦しみの根元を断ち切り、人生の目的を果たさせたい〟
という強烈な弥陀の誓願をいい、その誓いどおり、苦しみの根元が断ち切られ、人生の目的成就した歓喜の生命を、「真実の浄信」と言われている。
それはもう、100年や200年求めて得られる、ちっぽけな幸せではなかった、と知らされるから、「多生にもあえないことにあえた、億劫にも獲がたいことを獲た」と言われるのである。多生億劫の間求めても、得られぬものが得られたから、「噫!」と驚嘆されるのも当然であろう。
そして、しみじみ、どんな遠い過去からの弥陀のご配慮があったのやらと、「遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」と感泣されている。
(親鸞会 発行 顕正新聞 平成22年5月1日号)
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