2010/05/11

私も親鸞学徒|オーストラリアから日本へ

オーストラリア オリヴィアさん

「人生の目的と、目標の違いを知らされたことです」

仏教のどこに引かれたかを尋ねると、きれいな日本語で端的な答えが返ってきた。

聞法してまだ半年のオーストラリアの親鸞学徒である。

「私は目標を幾つも達成してきました。

でも達成した瞬間から、次は?その次は?と問われるのです。

高森顕徹先生から『目的を知らぬ人生は、ゴールのないトラックを回り続けるようなもの』と聞かされた時、自分の人生がまさにそれだと感じたのです」

南半球で最良の大学といわれるオーストラリア国立大学を、オールA以上の成績で卒業。学士号を2つも取得し、日本留学も2回果たした。

傍(はた)からはうらやまれる学生生活も、心からやすらぎを感じられなかった。

「何かが足りない」

そう思い悩んでいた時、東京の大学で親鸞会と出遇った。

昨年9月、初めて二千畳(富山県射水市の親鸞会館)に。

「一念発起」など難しい仏語に戸惑ったが、

「これは大事な話。理解できるようになりたい」

と思った。以来、毎月欠かさず親鸞会館に参詣している。

4月からは二千畳のある富山に移り、塾で英語を教えながら聞法に励んでいる。趣味は茶道に料理。

「このまま日本に住み、国際交流をサポートする仕事をしたい」

と夢を語る。

(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)

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2010/05/11

なぜ人を殺してはいけないのですか?(2)  親鸞会.NET

前回(なぜ人を殺してはいけないのですか?【1】親鸞会.NET)の続きです。

テーマは

「なぜ人を殺してはいけないのか」

大きな問題ですね。
この問いに

「刑務所に入れられるから」「罰せられるから」

と答えた人がありました。
それで正しい答えになっているのかを論ずることにより、
この問題の根っこにあるものを探りたいと思います。

前回は、

そもそも、人を殺して刑務所に入れられるのは、
そういう法律があるから。

その法律を作ったのは国民の代表、選挙で選ばれた人。
(少なくとも日本では)
では、その人たちは「生命の尊厳」を知ったうえで、
法律を定めたのか?

もし「なぜ、人命は地球よりも重いのか」に答えられない人が
法律を制定したのならば、いちばん大事な根っこの部分が浮いたまま
法律が制定され、人殺しは罰せられていることになる。

と書きました。

そもそも、

政治、経済、科学、医学、法律、倫理、道徳、芸術、
おおよそ、人の営みはすべて、人を「幸せ」にするためにあります。
パスカルは「パンセ」という本の中にこう書いています。

「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。
その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。
意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。
これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、
あらゆる行為の動機である」

〝人は幸せを求めて生きている〟
〝人の生きる目的は幸福になるため〟

しごくごもっともなことです。
しかも、幸せは幸せでも、人が本当に求めているのは
〝しばらくの間の幸せ〟〝はかなく消える幸せ〟ではないでしょう。
一時的な肉体的快楽を目的として生きているのではありません。
少なくとも50年や100年くらいの肉体の喜びしか得られない人生観
からは「人命は地球よりも重い」という言葉は出てこないでしょう。

哲学者プラトンは『饗宴(きょうえん)』という本の中で、
〝永遠の幸福は万人に共通した目的〟と論じています。

人は、変わらぬ幸せを求めているものです。

ここで、仏教の生命観について書きたいと思います。

仏教では、私たちの生命は、50年や100年くらいのものでは
ないと教えられます。

生命は、
過去無量劫(かこむりょうこう)から続いてきて、
未来永劫(みらいようごう)続いていく、
と説かれています。

ですから、人間に生まれる前は、牛だったかもしれませんし、
ネコだったかもしれませんし、魚や虫だったかもしれません。
人間に生まれたのは決して当たり前のことではなく、
大変「有り難い」ことであると一つの譬えをもって
教えられています。

その譬えを「盲亀浮木の譬え(もうきふぼくのたとえ)」と
いいます。

動画があるので、見てみましょう。

↓↓

■動画:盲亀浮木の譬え

※詳しい内容はコチラ
↓↓

なぜ人間に生まれたことが有り難いのか|浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ

このような生命観が分からねば、「なぜ人命は地球より重いのか」
も実感できないでしょうし、「なぜ人を殺してはいけないのか」との
疑問もやまないことでしょう。

50年や100年のつかの間の喜びが地球よりも重いとは
とても思えないからです。

次回に続きます。

■関連:

なぜ人を殺してはいけないのですか?【1】親鸞会.NET

親鸞会.NET» » なぜ人を殺してはいけないのですか?(3)  親鸞会.NET

親鸞会.NET» » なぜ人を殺してはいけないのですか?(4)  親鸞会.NET

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2010/05/07

なぜ人を殺してはいけないのですか?  親鸞会.NET

「なぜ人を殺してはならないのか?」

という疑問にさまざまな意見が飛び交っています。

中には、

「刑務所に、いれられるから」「罰せられるから」

と答えている人もありました。

しかし、それで答えになっているでしょうか?
そもそも、殺人を犯した人が、刑務所に入れられるのは、
そういう法律があるからです。

では、その法律を作ったのは誰でしょう?
国民の代表、選挙で選ばれた人、ですね。
(少なくとも日本では)
では、その人たちは「生命の尊厳」を知ったうえで、
法律を定めたのでしょうか。

いわゆる「なぜ、人命は地球よりも重いのか」に
答えられる人たちなのでしょうか。
もし、人の命が、軽いもの、価値のないものならば、
別に人を殺しても問題ないことになります。

ちょうど、ハズレくじをゴミ箱に捨てるように。

『なぜ生きる』という本にはこう書かれています。

一億円の宝くじの当選券を大事にするのは、一生働いても得られぬ
価値があると思うからです。
ハズレくじなら、ゴミ箱へ直行でしょう。

割れたコップや修理のきかないパソコンなどと同様に、価値のない物
は捨てられます。

自分の生命が地球よりも重いと知れば、「ハズレくじ」を捨てるように、
ビルからの投身も、他人の命を虫けらのように奪うことも、できるはず
がありません。

「人生には、なさねばならない目的がある。どんなに苦しくても、
生き抜かなくては」と、生きる目的が鮮明になってこそ、生命の尊厳が
知らされるのです。

子供の相次ぐ自殺やエスカレートする殺人に、世の中は騒然としています。
家庭の問題だ、教育の欠陥だ、少年法が悪い、病んでいる社会……解説
は十人十色です。

しかし「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」、肝心の「人生の
目的」が抜け落ちた議論がつづくだけでは、対策も立てようがない
でしょう。
大きなテーマですので、次回に続きます。

■関連記事

親鸞会.NET» » なぜ人を殺してはいけないのですか?(2)  親鸞会.NET

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