2010/03/09
『親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし』 親鸞会.NET仏教講座
『親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし』と云々。
これすなわち、この肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべき由をあらわしまします故なり。
これをもって思うに、いよいよ葬喪を一大事とすべきにあらず。
もっとも停止(ちょうじ)すべし」(改邪鈔:がいじゃしょう)
親鸞聖人は、
「魂の解決のできた者には、死骸はセミの抜け殻じゃ。
何の用事もない。
肉体の葬式や墓に力を入れるよりも、
魂の葬式こそ、急がねばならぬことなのじゃ」
とおっしゃっています。
寿命が延びたといっても、100年そこそこです。
“悠々たるかな天壌”(果てしない歴史を持つ大宇宙)と比べたら、瞬きする間もありません。
滔々(とうとう)と流れる大河に、ポッと現れすぐに壊れる泡のようなものが肉体です。
しかし、そんな泡(肉体)が私ではありません。
過去、現在、未来を貫いて流れる永遠の生命が私であり、
この魂の葬式が果たされたならば、肉体の葬式は問題にならなくなります。
永遠の生命あることを知らず、肉体こそ私そのものと思い込んで、
遺体や遺骨を大事にする迷いの深い私たちに、親鸞聖人は、
「葬式は一大事ではないぞ。
仏法の信心獲得(しんじんぎゃくとく)こそ急げ」
と、大事なのは“心”の葬式であることを教えてくださっているのです。
親鸞会.NET
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