2009/06/26
一つ歯車狂っていれば(親鸞会の法話の感想)
浄土真宗親鸞会で「人身受け難し」のお釈迦様の言葉を通しての法話がありました。
その感想です。
【一つ歯車狂っていれば】 田宮一志
受け難き人身、聞き難き仏法と知らされる程に、
なぜ今、この自分が仏縁に恵まれたのかと不思議な御縁を
心から喜ばずにおれません。
高校時代、本当に満足できる人生とは何かと、何度も悩みました。
本を読み、親や友人に尋ねましたが、そこから出てきた答えはどれも、
“どの丸太を選ぶか”以上のものは無く、
「人生とはそういうもの」
と自分を納得させ、必死に、より安心できそうな大きい丸太棒を
探し求めてきました。
必ず訪れる死を前にしたら、どんなものも明かりにならないことも
感じてはいました。
しかし、どうにもならない巨大な壁を、できるだけ見ないように
生きてきました。
仏縁を結ばせて頂いた今、世間中の人達が丸太や板切れに向かって
必死に泳いでいるのを見ると、その気持ちは痛い程よくわかります。
私も、どこかで一つ歯車が狂っていれば、同じだったと思います。
大船が判らない以上、それ以外に方法が無いからです。
泳ぐべき方角を知らされた親鸞会会員として、この喜び、ご縁の
ある方と分かち合いたいと思います。
親鸞会.NET» » 親鸞会館で『人身受け難し』の法話
http://www.shinrankai.net/2009/06/gohouwkansou.htm
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