2009/11/10

弥陀の願心を伝える「善をしなければ信仰は進みませんよ」

「この法をば信ずる衆生もあり、謗る衆生もあるべし」
と、釈尊はおっしゃっています。

今日多い聞き誤りを検証し、誤解はなぜ生じたのか、どう正せばよいかを、
各支部の会合に学びたいと思います。
※(参考)浄土真宗講座|三願転入とはどんなことか|親鸞会公式サイト
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0412.htm
  
  

 gg096 l 225x300 弥陀の願心を伝える「善をしなければ信仰は進みませんよ」
 

 
【講師】

「今日のテーマは、次のような質問にどう答えるか、です。

《三願転入を説き『善をしなければ、信仰は進みませんよ』といえば、
 みな『善が間に合う』と聞く。そんな間違いやすいことを話してはならないのでは》


 三願転入の教えから、『善をしなければ、信仰は進みませんよ』と話していたら
 『そんな間違いやすいことを言うもんじゃない』と言われた。
 そんな時どうしますか?」

 

『三願転入が間違いやすいから説くな』と言うなら、親鸞聖人の教えを説くな、
 ということになります。
三願転入が親鸞聖人の教えの根基ですからね」

 

【講師】

「そして、『善をするな』ということになれば、外道よりもあさましい教えになりますよね。
 こういう聞き誤りから親鸞聖人の教えは悪人製造の宗教という悪口を言われ、
 浄土真宗をここまで衰退させてしまったのですね。
 ではまず、どなたが善を勧めておられるのか、確認しましょう」

 

「本師本仏の阿弥陀如来19願で勧めておられます
 弥陀の19願は『修諸功徳の願(しゅしょくどくのがん)』
といわれますように、『諸の善(功徳)を修めよ、そうすれば助ける』と誓われた願です」

 
【講師】

「そうですね。本心である18願で、『どんな極悪人も、必ず助ける』と誓われた
 阿弥陀如来が、その真実の願に導くための方便として、19願で善を勧められています。
 このことを親鸞聖人はどうおっしゃっていますか」

 

「『至心発願欲生(ししんほつがんよくしょう)と
 十方衆生(じっぽうしゅじょう)を方便し
 衆善の仮門ひらきてぞ
 現其人前(げんごにんぜん)と願じける』


と『浄土和讃』におっしゃっています」

 

「阿弥陀仏が、19願で、十方衆生(すべての人)に善を勧め、18願に導こうと
 されているのですね」


 

「『十方衆生を方便し』とありますから、この19願と無関係の人は1人も
 いないということですか?」

「そうです。19願、20願の方便二願は、真実の18願に転入する十方衆生の道程と
 親鸞聖人は見ておられます。
 19願を通らなかったら、信仰が進まないということがよく分かりますね」

  

「また同じく『浄土和讃』に、

 『諸善万行ことごとく
 至心発願せるゆえに
 往生浄土の方便の
 善とならぬはなかりけり』


ともおっしゃっています。
『諸善万行』とは、仏教で教えられるいろいろの善です。
『至心発願』とは、弥陀が19願に、『至心発願 欲生我国』と説かれていることで、
“まことの心で、阿弥陀仏の浄土に生まれたいという願を起こして”という意味です。

『往生浄土の方便の善』の『方便』とは、『真実』に入れるに絶対必要なものをいいます。
 明らかに、諸善を勧めておられるお言葉です」
 

 
 
【講師】

「阿弥陀仏も親鸞聖人も善を勧めておられるのは分かりました。
 では、お釈迦さまは、どう教えておられますか?」

 
「一切経すべてで善を勧めておられます。お釈迦さまだけでなく、

 『諸悪莫作 衆善奉行  しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう
 自浄其意 是諸仏教  じじょうごい  ぜしょぶっきょう

 もろもろの悪を作(な)すこと莫(な)かれ
 もろもろの善を行い奉れ
 自ら、その意(こころ)を浄めよ
 これ諸仏の教えなり
                (七仏通戒偈)


 からも分かるように、大宇宙すべての仏さまは諸善を勧めておられます」

 

「親鸞聖人は、ご和讃でこのように教えられていますね。

 『臨終現前の願(19願)により
  釈迦は諸善をことごとく
  観経一部にあらわして
  定散諸機をすすめけり』


 弥陀の19願の御心(善のすすめ)を、お釈迦さまは『観無量寿経』に説かれ、
 すべての善を定散二善(定善・散善)にまとめて教えられている、という
 ことです」

 

「この、お釈迦さま一代の教えは、弥陀の本願(18願)に相応させる
 ためのものですからね」

 

「まさに
 『如来、世に興出したもう所以(ゆえん)は
  唯、弥陀の本願海(18願)を説かんがためなり』
 そのものズバリです」
 
 
 
【講師】

阿弥陀仏、お釈迦さま、親鸞聖人が、光に向かって進めと、善を勧めておられる。
 これは、大変、説得力があります。
 『善をしなければ、信仰は進まない』ということに絶対間違いはありません。


 こんなにハッキリ善を勧められているのに、なぜ、『善をしなければ、信仰は
 進みませんよ』と話すな、と言うのでしょう」

 
「こう言うと、善が間に合って助かるように聞いてしまうと言っています」

 

「でも、そう思うのも分かりますね」

 

「『これだけ善いことをしているんだから、阿弥陀さまは助けてくださるだろう』と
いう心が出てきますからね」

 

【講師】

「確かに間違いやすいところだから、こんな誤解に同調する人もあるでしょう。
 私たちは、どこがおかしいかをよく知って、法友同士、誤解を正さなければなりません」
  
『善をしなければ、信仰は進みませんよ』というのは
 『自分の善が間に合って救われる』とは全く違いますよね

 後生の一大事は、全く、阿弥陀仏のお力によって救われることを明らかにしなければ
 ならないのでは……」

 

【講師】

この2つは全然違うことを、まず、よく知っておかねばなりませんね」

 
『善をしなければ、信仰は進みませんよ』は絶対間違いないことで、弥陀も釈迦も
 親鸞聖人も善をお勧めですから、当然のことです。

 しかし『後生の一大事は、その自分の善で解決できるのではない、自力は一切間に合わない。
 全く弥陀のお力で助かるのだ』とも言うことも、よく理解しておかなければならない

 思います」

 
「じっくり話す時間があれば、三願転入の教えを詳しく説明してから、
 『方便からしか真実へは入れない。善の勧めは、真実に導くための、阿弥陀仏の
 善巧方便なんです』と言います。

 でも、三願転入の教えが相手に十分伝わらなければ、

 『善が間に合って助かるのではない、自力は一切役に立たない』と言うと、
 『じゃあ、何のために善をするの?』ということになりはしないかと思います。
 『どうせ間に合わないのだから』と、善に向かう意欲をそぎ落としてしまうというか……」

 
「そうですよね。
 『善をしなければ信仰は進みませんよ、でも、その善で助かるんじゃない』と、
 2つのことをいっぺんに聞いたら、混乱しますよね」

 
「『善をしなければ、信仰は進みませんよ』と言うと、『じゃあ、信仰が進んで助かる
 んですね』と聞く人もあるでしょう。
 その時は、『進めば分かります』と答えればよいでしょう。
 仏法は行学。進んでみなければ分からないので、『観念の遊戯をしていないで、進んでみよ』と」

 
 
「そもそも自力の心がある限り、自分の善を間に合わせようという心を持っているんですから」

「そう。自力が廃るのは、一念で弥陀に救われた時ですからね」

「こういう非難をする人は、『どうせ善は間に合わない。弥陀のお力によって助かる
 のだろう』と分かったつもりになっているだけと思います。
 だから、無上仏(阿弥陀仏)やお釈迦さま、親鸞聖人が善を勧めておられる根拠を提示し、
 “『善を勧めるな』と言うなら、お釈迦さまも親鸞聖人も、いや阿弥陀仏さえも間違って
 いることになりますよ”と言えばいいと思います」

 
「そうだね。こんな非難は、無上仏や釈尊、親鸞聖人に対する非難ですよね」

 
「こういう誤解をしている人は、善をしようとしない無気力な人が多いように
 思います」

 
「当然でしょうね。
 “阿弥陀仏は悪人が好きだから”と悪をしてもいいのだ、仕方ないのだと
 開き直っているのですから」

 
「そして、自分たちが浄土真宗を衰退させた元凶であることにも自覚がない」

 
「善を排斥する教えでは、まともな人は寄りつかないでしょうね。
 衰退していくのは当然です」

 
 
【講師】

「先ほど、『進めば分かります』という話が出ましたが、これはどういうことか
 分かりますか?


 
「頭では、善は間に合わないと分かっているつもりでも、腹底は間に合わせようという心、
 自力なので、善が間に合わないとは思えない。
 光に向かって進まなければ、自力無功かどうか、知らされないと思います」

 
「ということは、『善は間に合わない、すべては弥陀のお力による救い』だとは、
 初めからは分からないのですか」


 
「それは、阿弥陀仏の照育によって救われて知らされることであり、私たちの頭で
 分かることではないでしょう」


 

【講師】

「ここで、『なぜ答えぬ』にはどう書かれているか、拝読してみましょう。117ページです」

…………………………

「いうまでもなく、仏教の根本教理は、因果の道理。
善因には善果、悪因には悪果、自因は自果を必ず生み出す、という、
三世十方を貫く真理である。


真宗には、”我々に、善がつめるか”と、非難がましく言う者がいるが、
やらねば、善果は得られず、苦しむだけである。
勿論、我々には、出来ること、と、出来ないこと、とがある。
しかし、真剣に、やろうとしない者には、どちらも、ハッキリしない。
どうしても、やらねばならぬと、真剣に、とり組んでみて、はじめて、
出来ることと、出来ないこととが、ハッキリする。
はじめから、どうにもならぬと決めこんで、実地にやってみない者には、
どちらも永久に、ハッキリすることはないのだ」


…………………………

 

「そうか、因果の道理だから、善をするのは当然なんだ」

 
「『善なんかしなくていい』と言うのは、仏法を根本から聞き損なっているのです。
 結局、『悪をやってもいい』いや、むしろ
 『悪をせよ』ということになっていくから、
 それでは悪果しかこない。人間をダメにする外道に違いありませんね。 
 こういう消極的、退嬰的な聞き損ないが、やる気のない無気力人間をどんどん
 生み出し、浄土真宗をここまでダメにしてしまったのですね」

 
「善の否定は、仏法を伝えること(善)もいらない、やめよ、ということに
 なりますからね」

 

【講師】

「『善をしなければ、信仰は進みませんよ』と教え勧めるのは当然ですが、
 その善によって救われるのではないということとは、論理的につながりません。

 十方衆生を金輪際助かる縁手掛かりのない者と見て取られて18願を建てられた弥陀が、
 なぜ、19願で、その十方衆生に善を勧めておられるのか。

 この2つは、走れない者に全力で走れ、と勧めておられるようなことで、
 本師本仏の弥陀の御心は、絶対、凡夫の頭では分かりません。
 『何で走れと言われるのですか』としか思えない。

 弥陀の三願の御心はあまりに深遠なので、体験して初めて知らされることを、
 『進めば分かります』とおっしゃるのです。


 もし、論理的にこれを説明できるなら、弥陀の願心を人間の知恵で論理的に
 理解できることになります


 
「それこそとんでもないうぬぼれですね」

 
「弥陀の本願や、釈尊、親鸞聖人の仰せどおりに進むしか、親鸞学徒の道はありませんね」

 

【講師】

「非難者は結局、善をしたくないんでしょう。
 楽な近道を求めているのです。
 “弥陀は、『おまえをすぐ助ける』と誓っておられるから、18願に飛び込め。
 方便なんかいらん。
 善の勧めなんかいらん。
 弥陀の本願を聞いて、すぐにそれを信じればいいんだ”と。

 方便からしか真実には入れないのに、自分は方便を通らずに18願へ転入できると、
 うぬぼれている。
 自分の姿が全くかっていない。
 
弥陀の御心(三願転入)も、分かっていないのです。
 善の勧めを否定する腹底は、そこにある。
 決して惑わされてはいけません。
 自分に都合のいい聞き方しかしていないから、いつまでたっても、真実の救いには
 値(あ)えないのです。
 救われたといっていても、自分でつくった化城(自力の信心)ばかり。
 そして結局、仏縁が離れていくのです」

 
「恐ろしいことですね」

 

—————————————————————————

矛盾か、仏意は

「至心発願欲生と
十方衆生を方便し
衆善の仮門ひらきてぞ
現其人前と願じける」


「臨終現前の願により
釈迦は諸善をことごとく
観経一部にあらわして
定散諸機をすすめけり」


「諸善万行ことごとく
至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり」


「念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ」


「聖道権仮の方便に
衆生ひさしくとどまりて
諸有に流転の身とぞなる
悲願の一乗帰命せよ」 (浄土和讃)


修善の絶対できぬ逆謗の屍が十方衆生と見ぬいて、
十八願を建立なされた阿弥陀仏が、その真実の十八願に入れるために、
なぜ十方衆生に修善を勧められる十九願を建立なされたのか。
矛盾か、仏意は。


                        

参考:「雑行」が分からぬのは なぜか|浄土真宗親鸞会・現代に生きる仏説
http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091020zougyou.htm

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コメント

  1. こめ より: 2009 年 12 月 16 日 6:41 PM

    とてもわかりやすく、大変勉強になりました。

    あらためて、19願、20願の道程を通らずしては
    絶対に阿弥陀仏の救済にはあえないことがよくわかりました。

  2. 親鸞会.NET» » 特集:7つのポイント(2)「諸行往生」の誤り より: 2010 年 1 月 7 日 2:07 PM

    [...] 親鸞会.NET» » 平生業成の本願 親鸞会.NET» » 弥陀の願心を伝える「善をしなければ信仰は進みませんよ」… 親鸞会.NET» » [...]

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