光に向かう青年たち3|親鸞会 会員の声

祖父の人生が最も輝いた10分

大岩 謙二(仮名)

 私の祖父は、第二次世界大戦から生還し、五人の子供を育て、多くの孫に恵まれました。事業にも成功し、「95歳の天寿を全うした」と、世間では思われています。しかし、実際には、正反対ともいえる悲しい晩年でした。

 糖尿病にかかって半身不随、大工で鍛えた肉体もすっかりやせ衰え、一人ではトイレにも行けません。ロレツも回らず、何を言っているか分からない。祖母は介護疲れのためか、後生へ先立ち、祖父は、伯父の家に預けられました。

 ところが、祖父が「トイレに行きたい」と仕種で訴えると、伯父は面倒臭そうに腕をつかみ、座ったままの祖父をトイレまで引きずって、手を使えないのに、
「ほら、あとは一人で用を足せるだろ!」
と、冷たく接していたのです。
 やがて、老人ホームへ預けられましたが、子供たちは、

「金がかかってしかたがない。月に○万も出している」

とか、

「いっそのこと早く……」

とささやくのでした。

 やがて、「祖父が危篤」という連絡がありました。

「もう二度と会えないかもしれない。なのにまだ、一言も真実を伝えていない。このままでは、何のために祖父はこの世に生まれてきたのか」

 居ても立ってもおれず、東京から青森まで、新幹線とバスを乗り継いで、病院へ急ぎました。


手に手を重ねて

 果たして、一命を取り留めた祖父は、ベッドに腕を縛られ、天井を見上げていました。看護師から、
「すぐ腕を動かして、点滴の管が取れてしまうので」
と説明されました。ベッドの上ですら、自由が利かないのです。
「伝えるのは、今しかない」

 ベッドの傍らに座り、祖父の手に手を重ねて、私は弥陀の本願を話し始めました。しかし、わずか十分。病室に親戚が入って来て、中断を余儀なくされたのです。

 つたない話ではありましたが、親鸞聖人のみ教えを聞いたこの十分ほど、九十七年の祖父の生涯で、意味のある、輝いた時はなかったに違いありません。そして、後生へ旅立っていったのです。

 人は老い、病に伏し、必ず死ぬ。それなりの幸福を得ても、やがてすべてに見捨てられ、地上を去らねばならない。

「まことに死せんときは、
  かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
 されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
    唯一人こそ行きなんずれ」(御文章)

の蓮如上人のお言葉を、祖父は身をもって教えてくれました。

「一切の滅びる中に滅びざる幸福」を明らかになされた、親鸞聖人のみ教えを、生涯を貫いて自他に徹底したいと思います。

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