親鸞会 家族で聞きたい

反対していた夫の一言「聞法道場を造りたい」

北陸 須磨映子さん

 北陸に、40畳の仏間で開かれる家庭法話があるという。
 それが、須磨さんのアパートである。そこには亡夫・静夫さんの「仏法を伝えたい」願いが込められていた。

 市の中心街から山手へ広がる住宅地に、須磨さんの自宅がある。
 夫婦で農業を営んでいたが、区画整理でできた住宅地に、アパートを建てたのだという。40畳の講演会場は、自宅の隣のアパートの1階にあった。

「実は、夫の反対が始まりだったんです」
と映子さんは、打ち明ける。

 昭和50年ころ、隣に引っ越してきた故・三矢智子さん宅での家庭法話に参詣したのがきっかけで、映子さんは、富山県高岡市芳野の親鸞会館(旧・高岡会館)で聴聞するようになる。

 最初は好意的だった夫の静夫さんも、映子さんが聞法に熱心になるにつれ、いい顔をしなくなった。
 なかなか参詣できない映子さんは、縁のあった親鸞会の講師に手紙を書く。
「どなたか、私に仏法を聞かせてくださる方はありませんか」
 講師から家庭法話を勧められたが、夫に話すと、
「家に入ってもらうわけにはいかない」
と、すげない答え。幸い、アパートの1階に、使っていない一室がある。その9畳の和室で法話が始まった。

「うちの敷地で法座をしているのに、ワシが顔を出さないわけにはいかんだろう」
と、参詣するようになった静夫さんは、法話のあとも時間を割いて、ざっくばらんに話をする講師に感激し、仏縁を深めていく。

 やがて、近所の人にも仏法を讃嘆するようになったのである。

巣立つ学生を見送る

 会場の増築を提案したのも静夫さんだった。

 後に脳梗塞を患い、後遺症のリハビリ中だった平成元年のある晩遅く、家族のいる居間に来て、ポツリと言った。
「頼みたいことがある。高森先生のご法話が開ける場所を造りたい」

 映子さんは、法話会場の増築を決意した。アパートの1階の共同炊事場や食堂を改修し、さらに自転車置場も移動して拡張した40畳の仏間には、その後たくさんの講師が法話に訪れた。元の会場だった9畳の和室は現在、講師控室になっている。

 地元大学の学生が集う場所として使われた時期もあった。

 奥村さんは、大学在学中に週2回、会合で、ここを訪れたという。
「ここで仏法を聞かせていただいたことは、忘れられない思い出です」
と話す。

 須磨さんは、
「奥村さんからは、よくお礼状や年賀状をもらったわ」
と、社会へ巣立っていった親鸞学徒に目を細める。


高森顕徹先生のビデオご法話を開催し、夫の念願もかなったことを喜んでおります」

 映子さんの申し出で、40畳の聞法道場は現在、法話を中心とした地域の行事にも活用され、喜びの場となっている。

(プライバシー保護のため、仮名にしてあります)

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る