因果の道理を信じる心が人生を変える|親鸞会 会員の声

傷害、窃盗の少年たちとの触れ合い

 違法建築に証券取引法違反。利益重視で"ぬれ手で粟"の不正が横行する中、恵まれぬ人々のため、身を挺して働く親鸞学徒の若者たちがいる。その姿は、汚泥にありながら、すがすがしい香気を放つ蓮の華にも似ている。
 今回は、仏法心と教育の専門知識から、少年院の生徒たちの"立ち直り"をサポートする青年教官を紹介します。

 海の見える小高い丘に、少年院はあった。
 塀がなく、昔のような暗いイメージはない。むしろ清潔感すら漂っている。少年院は刑務所とは違い、罪を犯した少年たちを矯正し、復帰の手助けをするのが目的だ。

 教官となって初出勤の朝、藤原茂雄さん(仮名)は、門の前で立ち止まった。
 これまでに何度か見学はしている。教官室のドアに、何か鈍器でたたきつけたような、大きくへこんだ跡があった。案内してくれた庶務課長の左目に、少年に殴られたのであろう黒ずんだあざがあったのを今も鮮明に覚えている。
 ここがどんな所か、覚悟はしている。が、やはりためらいはある。潮風のざわめきに、桜の花びらが舞い落ちた。

「さあ行こう」

 大きく息をすると、藤原さんは一歩前へ踏み出した。


誰も行きたがらない道 だからこそ行く


なぜ少年院の教官を選んだのか。今でも不思議に思うことがある。
 有名国立大学の経済学部に入学。子供が好きで、教師や保育士の道を考えていた。しかし大学4年の秋、ふと目にした少年院教官の案内に、心が動いた。
 入院してくる少年のほとんどが、いわゆる「機能不全家族」の元で育っているという。幼いころに離婚した親、育児放棄や虐待する親、アルコールや薬物中毒の親……。中には生後3日で養護施設に入れられたまま、まだ両親の顔を見たことがない子や、父親が今も服役中の子もいる。

 学校や親からも見捨てられ、自暴自棄的に犯罪に手を染め、薬物におぼれる少年たちがここに行き着く。知らない世界で、だれかが切実に助けを求めているのを感じた。

 だれも恐れて近づこうとしない、報酬も多くはない。だがそんな道こそ、親鸞学徒の行くべき道ではないか。藤原さんはそう心に決めた。
 翌年、法務教官採用試験の、筆記試験は難なく突破できたが、面接は得意なほうではない。その年の夏、緊張しながら面接官の前に座った。

「大学時代、何かやっていましたか?」

「仏教を学んでいました」

 思い切って言ってみた。相手は少し驚いた顔をして、「それはいいですね。この仕事に生かせそうですか?」。

 藤原さんはきっぱり答えた。

「はい。なぜ人を傷つけてはいけないか、なぜ人の物を取ってはいけないのか。法律で禁じられているからという理由だけでは、少年たちには不十分と思います。仏教にはその理由が教えられています。きっと分かってもらえると思います」

 面接官の顔がほころんだ。
 合格発表の日は、朝から下宿で待機していた。外で郵便配達のバイクの音がするや、思わず階段を駆け下り、郵便受けから封筒を取り出した。封を開けると、合格の二文字が躍っていた。

「やった!」

 右のこぶしを思い切り高く突き上げた。その日は、くしくも自分の誕生日だった。

一緒に必死になって走ってくれた。

 

 最初に受け持ったA少年は、傷害罪で来ていた。見た目はおとなしいが、何度も暴力沙汰を起こしている。
 小学生のころ、窃盗で捕まった。以来、不良のレッテルを張られ、級友と喧嘩になると、先生は決まってAを押さえつけた。高校時代、恋人の悪口を言われてカッとなり、傷害事件を起こしている。その時も、悪口を言った相手は不問とされ、Aだけが警察に突き出された。学校は警察沙汰になったのを理由に、退学を言い渡した……。

 Aはだれも信じていなかった。藤原さんとも目を合わさず、心を閉ざしたまま、表面だけ従っていた。

「彼と心を通わす道はないものか」。悩んだ末、体育館でのランニングを一緒にやることにした。一時間も走ると息も切れ切れとなったが、Aと一緒に汗を流せた。
 そんなある日、A少年は日誌に、「藤原先生は、運動があまり得意そうじゃないのに、一緒に必死になって走ってくれた。心を打たれた」と書いた。その日宿直だった教官がそっと教えてくれた。

 心を込めて接すれば、必ず伝わるんだと、その時初めて実感できた。赴任して4カ月目のことだった。


陰でも努力すれば、いつか必ず報われる

 やがて窃盗の常習犯、B少年も受け持つことになった。
ばれなければいい。見つからないのが成功、見つかったのが失敗〉。彼はそんな倫理観しか持っていなかった。院での生活も、教官がいないとすぐ手を抜いた。

 藤原さんは、「見つからなかったのが成功ではない。結果は必ずあらわれる」。白板に因・縁・果の図をかき、見つからずとも、縁がくれば必ず、まいた種は結果を出すことを教えた。

 Bは初めて聞く話にポカンとしていた。藤原さんは機会をとらえては、因果の道理の話をした。人が見ている見ていないは関係ない。まかぬ種は生えぬが、まいた種は必ず生える、これが人生で大切なことなんだよと。
 少しずつB少年の生活態度が変わってきたころ、小さな事件が起きた。
 消灯後、Bが隣の友人と教官の悪口を散々言っていたことが、同室の少年からの報告で分かった。事情聴取でBは悪口を認めた。それは聞くに堪えない内容だった。

 藤原さんは頭に血が上った。「こんなにこっちが悩んでいろいろやっているのに!」。裏切られた思いで、思わずしかり飛ばした。Bは泣いていた。
 Bの謹慎処分が決まった夜、宿舎で一人、藤原さんは脱力感に襲われた。同時に、「これだけしてやっているのに」という恩着せ心いっぱいの自分に泣いた。

 11月になり、寒さが急につのりだした。農耕実習で院内にタマネギを植えた時のことである。翌朝8時の集合時、クラスの当番が全体に呼びかけた。

「他の生徒で気のつくことはありましたか」

 窃盗で最近入ってきたばかりの少年が手を挙げた。

「昨日は寒くて、皆、手が動いていませんでしたが、B君一人、汗をかきながらタマネギを植えていました」と発言した。

 藤原さんは思わずBを見た。褒められたのは初めてだったのか、いかにも照れくさそうに、うつむいて笑っている。入院当初の、冷ややかな目付きが幾分穏やかになっていた。
 因果の道理は真理である。陰でも努力すれば、いつか必ず報われる。それ一つ、Bには分かってほしかった。

出院の日、少年はこらえきれず泣きじゃくった。


 傷害事件のA少年の、出院が決まった。3畳の彼の部屋で、お祝いと最後の別れをした。年の瀬も押し迫った寒い晩のことである。
 帰ったら、家族との会話や挨拶に心がけるなど、ひととおりの訓戒を伝えると、ジャンパーを着込んだAは、肩をすぼめるようにして聞いていた。
 藤原さんはAの目をしっかり見据え、これが最後、と因果の道理を話した。

「つまり自分の運命は自分がつくっていくんだ。思いどおりにならなくても他人や世の中のせいにして、楽な道へ逃げてはいけない。さあ、これから頑張るんだよ」

 手をしっかり握り締めると、A少年はこらえ切れずに泣きじゃくっていた。

 藤原さんは思う。
 いつかどこかで、親鸞聖人の教えに触れる機会があるだろう。その時、少年院で聞いたことをどうか思い出してほしい。懐かしさに引かれ、続けて聞くようになるかもしれない、と。出院するA少年の後ろ姿に、「仏縁あれかし、幸あれかし」と、藤原さんは思わず手を合わせていた。



どんな人も、平等に生かされる世界がある。

凡聖逆謗斉廻入
 如衆水入海一味(正信偈)


「凡・聖・逆・謗、ひとしく廻入すれば、衆水の海に入りて一味なるがごとし」

「他力の信心を獲得(ひとしく廻入)し、人生の目的が完成すれば、万川の水が海に入って一味になるように、才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違いなどとは関係なく、すべての人が、同じよろこびの世界に共生できるのだよ」

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