光に向かう青年たち3|親鸞会 会員の声

学生時代に仏縁に恵まれてよかった

上田 里恵(仮名)

 私は、海と山で囲まれた所で生まれ、何の不自由もなく育ちました。

 小学生のころ、「そうか、もうそんな年齢になったのか。アッという間だなあ……。つい最近まで、小さかったのになあ」と、しみじみ語る父の言葉にいつも胸が張り裂けそうな気持ちになりました。

 急に寂しさで胸がいっぱいになり、自分は常に、「いま」にとどまっておりたいと思っていても、着実に1日、1ヵ月、1年が過ぎ、前へ進むことしかできない。自分は一体どこへ向かっているのか分からず、漠然と不安な気持ちを抱え続けていました。


 また、年齢を重ねるにつれて、たくさんの出会いがある分、別れも多くあり、「人間って独りぼっちなんだな……」とよく考えるようになりました。

「この人なら私のことを分かってくれる!」。そう信じていろんなことを語り合った親友が、実は、全く自分の気持ちを理解してくれていなかったということを知った時、絶望感でいっぱいでした。


 友達はたくさんいても、心底分かり合える友達はいない。

 一人一人、全く別の心を持っていると感じました。そしていつからか、友達と話をしていても、何をしていても、満足できない自分の心に気づきました。

 なぜ心から喜べないのか、表面的にはまわりの友人と同じように、楽しそうにしていても、心はむなしい気持ちでいっぱいでした。


 また、自分の将来に対しても不安でした。中学時代、恩師の影響で教師になる夢を温めていましたが、ある時、「教師になってどうするのか。それで私は幸福になれるのだろうか」と自分に問いかけても、「満足できる!」とハッキリ断言することができませんでした。

 では、私は一体何がやりたいのか?

 それ以前に私にはなぜ働かなければならないのか、その答えすら分かりませんでした。

 学生でいる間は勉強をすればいい、社会に出れば生活するために働かなければならない、ずっと毎日、同じことの繰り返しなのに、なぜ大人たちは発狂しないのか。私には人生はむなしい、ただただ現実逃避したい気持ちしかありませんでした。


 そのうち、なぜ自分の心が満足できないのか……。これはきっと時間に追われ、めまぐるしく動き回る日本の社会に私は合わないんだ、どこか時間にとらわれない空間で暮らしたいと考えるようになりました。

 物質的に豊かな日本で、心が貧しくなってきているといわれる中、貧しいながらも最高の笑顔で、その日暮らしをしている発展途上の国々に目を向けるようになったのです。

 日本を脱して、異国のゆったりとした時間の流れの中で暮らせば、きっと私の心を満足させてくれる何かがあるはずだと、本気で考えました。


 そして、大学に入学し、仏法を聞かせていただくご縁に遇うことができたのです。

 聞かせていただくごとに、すべて自分の心の状態が言われているようで、続けて聞かずにはおれませんでした。

 もし仏法に出会っていなければ、今、私は日本にいなかったと思います。

 海外に飛び出し、決して得られぬ満足を求め続けていたこととでしょう。

 学生時代に仏法にあえて、本当によかった。

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