光に向かう青年たち3|親鸞会 会員の声

伝えることが見つかった

中平 邦宏(仮名)

『プロローグ』。平成7年秋、ライターにあこがれていた高校2年生の私が、文章で何かを残したいと思い立って書き始めた、ノンフィクション小説のタイトルです。

 しかし、結局はプロローグを書いただけで、完成はしていません。それは、何を書き、何を伝えればいいのか、それが分からなかったからでした。

 そのころ私は、同じことの繰り返しである毎日の生活に対する物足りなさと、将来への漠然とした不安を感じていました。

 そのような心を紛らわしてくれたのが、自宅の部屋にあった壊れかけの黒いラジオでした。そこから聞こえてくる好きな音楽に耳を傾けている時や、スポーツ中継に没頭している時間は、嫌なことも忘れられたものです。しかし、それは一時的なもので、心の底から楽しいと思えたことはありませんでした。


 それから10年。

 私は「ライター」になっていました。メールで真実をお届けする、「メルマガライター」です。

 大学を卒業した私は、ライターとは全く違う職業に就いていましたが、自分の文章で、「いつか」「何か」できないかと常に考え続けていました。

 それは、書く腕に関しては高校生の時と何一つ変わっていませんが、ただ一つ大きく変わったことがあるからです。

 大学で真実の仏法に出会っていたのです。

 高校生の私が分からなかった「伝えるべきこと」がハッキリしました。

 しかし、それは「いつか」であり、結局、具体的な何をしたらいいのか分からず、気がつけば、月日だけが過ぎていました。


 そのような一昨年の夏、1人の法友から声をかけられたのです。

「実は今、あるプロジェクトを進めているんだけど……」。その法友とは、自分の歌を通して真実を伝えようとしていました。

 彼は、ホームページを立ち上げ、自分の歌を発信しようと考えていました。

 その企画として、私に音楽やスポーツから仏法を伝えるきっかけとなるようなコラムを書いてほしいというのでした。

 青天の霹靂でした。

 忘れかけていた夢を思い出させてくれました。私は、二つ返事でOKしました。とはいうものの、時がたつにつれ、私の心の中では不安と疑問が大きくなっていくばかりでした。

「こんな自分の文章で何ができるのか?」「第一、そんなこと前例もないし……」と。

 そのようなとき、高森先生より教えていただいた善導大師のお言葉が思い出されました。

自信教人信| 自ら信じ人に教えて信ぜしめることは
難中転更難| 難きが中に転た更に難し
大悲伝普化| 大悲を伝えて普く化す
真成報仏恩| 真に仏恩を報ずるに成る


「自分が信心決定(阿弥陀仏に救われること)することが難しい。他人を同じく信心決定まで教え導くことは尚更難しいことである。しかしその困難なことをやりとげてこそ、真の仏恩に報い奉る道である」

「最も困難なことが素晴らしいんや!」「逃げたらアカン!」と、自分に言い聞かせました。

 そして、私たちはプロジェクトのプロローグを書き始めました。

 私は、プロのライターではありません。

 それらの人に比べると、腕も名前もありません。

 それでも、このような自分が、どんな一流のライターにも書けないこと、伝えられないことを知ることができた。だから書きます、真実のメッセージを。

 高校生の時、私の部屋にあった壊れかけの黒いラジオは、少しおしゃれなMD・CD付のデッキに変わっています。

 でも、そこから流れてくるメッセ−ジは、昔と何ひとつ変わらず、本当の幸せは教えてくれません。

「情報化社会」といわれる今日、書籍、雑誌、テレビ、インターネットと、情報源はあふれており、「国際化社会」といわれる現代、それらはグローバルな規模で伝えられています。


 しかし、人間が最も必要としている「なぜ生きる」という情報を発信しているものは、皆無に等しい。

 そのような中、それを知らされ伝えられる身であることは、大変な喜びであり、不思議な感動さえ覚えます。

 多くの皆さんに、親鸞聖人の教えを知ってもらいたいと思っています。

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