光に向かう青年たち3|親鸞会 会員の声

祖父あらざれば

後藤 綾(仮名)

 祖父は幼いころから貧しくて、学校に行けず、奉公していたそうです。戦後の貧しい中、農業を営み、雪が降る冬は東京へ出稼ぎの連続でした。

 そのうち出稼ぎで覚えた土建業にて、一代で工務店を開きました。

 祖父も祖母も、両親を早くに亡くし、2人で死に物狂いに働きました。

 長女である私の母は、嫁いで数年後に主人を亡くし、実家に戻りました。

 幼少期は母と兄が2人で暮らし、私は祖父母と3人で暮らしました。

 祖父が育ててくれなければ、私は生きて仏法にあわせていただくことはできませんでした。大恩ある祖父に、何とか仏法を伝えたいと、顕正を始めましたが、地元の講演会に1度参詣したきりで、6年ほど過ぎてしまいました。

 祖父は今、アルツハイマーの伴侶の介護と家事を1人でしています。

 振り返れば、苦労の連続でした。楽しい日々がどれだけあったでしょうか。

 そんな8月上旬、すい臓ガンで、2ヵ月の命と、本人以外の家族にだけ宣告されました。

「追悼法要に何としても一緒に参詣したい。これが最後のチャンス」と思い、必死でした。

 これまで何回も、親鸞会館への参詣は断られました。「今度こそあきらめられない」と思いましたが、申し訳ないことにともに参詣することはできませんでした。

 親友に相談すると、アニメを勧められました。

「そうだ!」と思い、9月、初めて祖父と一緒にアニメを見せていただくことができました。

 祖父は、家にいながら聖人のご説法を聞かせていただくことができたのです。

 その後、またアニメを用意していっても、祖父の体調が悪くて見ることができませんでした。そして10月、再びアニメを一緒に見せていただくことができました。

 第1部をはじめから50分ほど。翌日、続けてご縁をと、アニメを持っていきましたが、今度は、祖父のほうからビデオデッキの取りつけを勧めてくれたのです。

 そして、聖人獲信の場面を見せていただきました。

 すると、「僧侶が結婚?」とか、「法然上人と親鸞聖人はなぜ別れることになったのか」と、どんどん聞いてきたのです。

 誘っても、関心のない祖父かと思っていましたが、アニメを熱心に見ている祖父に、無上仏のご念力と思わずにおれませんでした。

 その後も週一回、アニメを一緒に見せていただいております。

 医師から宣告された余命は10月でしたが、今も祖父は元気です!

<<前のページへ [1][2][3][4][5]>>次のページへ

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る