2008年08月25日
【50周年】岐阜編 有志30人、手作りの会場
親鸞会結成50周年記念サイト「高森顕徹先生と親鸞会の50年」の岐阜県編に「有志30人、手作りの会場」を追加しました。
昭和40年代、高森顕徹先生ご法話を公共施設で開催したGさん(60代男性)は、岐阜で初めての参詣者を多く誘った先駆者です。
その時の苦労を語ってもらいました。
- Permalink
- by shinrankai
- at 15:43
2008年08月25日
親鸞会結成50周年記念サイト「高森顕徹先生と親鸞会の50年」の岐阜県編に「有志30人、手作りの会場」を追加しました。
昭和40年代、高森顕徹先生ご法話を公共施設で開催したGさん(60代男性)は、岐阜で初めての参詣者を多く誘った先駆者です。
その時の苦労を語ってもらいました。
2008年08月22日
高森顕徹先生と親鸞会の50年のサイトに、岐阜県編として「新築して先生をご招待 猛暑の中、150人が聞法」を掲載しました。
参詣者は、最初はそれほどでもなかったように思うんですが、地元だけでなく、北陸、滋賀、大阪などからも参詣するようになり、150人は見えたでしょうか。縁側から玄関、廊下もみんないっぱい、3回目には入り切れなくなりました。どこの家でも同じで、会員と、
「もう在家では難しいだろう」
と話し合い、公民館を借りられないか探しました。
2008年08月21日
50周年特設サイト、高森顕徹先生と親鸞会の50年に「岐阜親鸞会会員の聞法心が親鸞会館を建立した」を追加しました。
岐阜県にて、昭和30年代末から親鸞聖人の教えを聞き求める方々が続々と現れ、53年、親鸞会岐阜会館が誕生しました。
それは、「聞法道場を我らの手で」という岐阜の皆さんの情熱が形となって現れた、最新鋭の会館でした。
2008年08月16日
親鸞会公式サイトの「会員の声」に「日本語能力試験1級に合格 祖国に仏法伝える夢に向かって」を掲載しました。
ロシアのナターシャシリーズの最終回です。
ダスヴィダーニヤ!
2008年08月13日
浄土真宗親鸞会結成50周年 特設サイトに「前田町会館(親鸞会初の会館)時代 青年部発足」を追加しました。
昭和38年、青年部発足の年と、「顕正新聞」創刊当時を振り返ります。
40年以上も前から、教学勉強が盛んだったのですね。
2008年08月11日
浄土真宗親鸞会結成50周年 特設サイトに「前田町会館(親鸞会初の会館)時代 真実の教えを分かりやすいマンガで」を掲載しました。
今や子どもだけでなく大人もマンガが大好きな時代。
難しい内容も、マンガにすると一目で分かることがあります。
昭和30年代、親鸞会の草創期に、数多くのマンガで真実開顕に活躍した方に話を聞きました。
2008年08月09日
親鸞会 会員の声に「聖人の教えに『秘密』なかった」を追加しました。
儀式でもらった信心が、親鸞聖人、蓮如上人のお言葉で正され、光に向かう親鸞学徒に。法友の手記を紹介します。
2008年08月07日
浄土真宗親鸞会結成50周年特設ページに「前田町会館(親鸞会初の会館)時代 夢の図面が現実に」を掲載しました。
2008年08月06日
2008年08月05日
弥陀の本願を喜ぶ、滋賀県のMさん(親鸞会会員)が、初めて浄土真宗親鸞会・同朋の里を訪れた時の様子を「同朋の里は浄土の光景」に掲載しました。
2008年08月04日
公式サイトの「会員の声」の連載記事「ナターシャの「ロシアより愛をこめて」」の第4回、「日本語に悪戦苦闘5カ月 この真実を伝えたい!」を掲載しました。
日本語で仏法を伝えるなんて無理と思っていましたが、教えの理解が深まると、縁ある人に伝えたいなーと思うようになりました。ロシアで知り合った新潟県の主婦Nさんに電話して、2000畳に誘うと、
「懐かしいわね!」
と感激して、その年の報恩講に参詣したのです。隣り合って聴聞できた喜びは格別でした。
2008年08月01日
「親鸞会 会員の声」に、「「木像よりは絵像、絵像よりは名号」加速する御名号本尊への流れ」を掲載しました。
西本願寺の現状を、コラムとして掲載した「認めざるをえない御名号本尊」も合わせてお読みください。
2008年07月31日
親鸞会 公式サイトの「会員の声」に「ナターシャの「ロシアより愛をこめて」」の連載第3回目として、「仏教に出遇えた日本、親身に話してくれた法友とも、さようなら……」を掲載しました。
親鸞会を通して仏教を知ったロシア人ナターシャが、言葉の壁に苦しみながらも、親鸞聖人の教えを聞き求めていく姿です。
2008年07月30日
会員の声に「プロ棋士の向こうに見えた限界」を掲載しました。
もはや、将棋が周りの人間より強いということは、私にとって何の意味ももたなくなりました。愛用していた将棋盤や駒、机や床の上に山積みになっていた棋譜用紙や毎日の研究の成果もすべてゴミ捨て場に捨てました。こういった経緯で、どうやったら本当に満足が得られるか、真剣に考えるようになったのです。
2008年07月29日