青年大会|親鸞会 会員の声

友人の死を縁に

藤本詩織(仮名)

 大学1年のゴールデンウィーク、久しぶりに美術専門学校に通う中学からの友人に会いました。「早く留学してデザインを学び、将来は有名なデザイナーになりたい」とスケッチブックを開きながら、人一倍大きな目を輝かせて語る彼女を見て、うらやましく思いました。

 ところがその年の夏、彼女は突然、交通事故で亡くなってしまったのです。

 ラジオのニュースでそのことを知った私は、急いで実家に戻りました。通夜と葬儀に参列し、火葬場で白骨となった彼女を見て、人生の意味を問わずにおれませんでした。


花  どんなに素晴らしい夢を描いていても、突然、人生の幕切れを迎えてしまう。いつどうなるか分からない人生で、私はいったい何をしたらいいのか、と悩み、考えました。そして、勉強と部活動のほかにも読書、英会話教室、美術館めぐりなどに時間を費やしました。



 しかし、どれも最初は強烈な感動と充実感を味わえるのに、回数を重ねるにつれ、感動は色あせるどころか、苦しみにさえ変わっていくのです。

 中でも、心を鍛えたいと始めた部活動では、厳しい練習や合宿を乗り越えた後は、今まで経験したことのない達成感や解放感を味わうことはできても、次の日にはむなしさだけが残りました。仲間たちと夜の繁華街で馬鹿騒ぎしても同じことでした。


 そんな日々が続いていたある日、初めて仏法を聞かせていただきました。

 その時、お釈迦さまの「有無同然」のお言葉を教えていただいたのです。

 金、財産、名誉、地位、これらが無ければないことを苦しみ、有ればあることで苦しむ。有る者は金の鎖、無い者は鉄の鎖につながれているようなもの。苦しんでいることに変わりはないと聞かせていただき、「これがあれば充実した人生が送れる」と私が考えてきたものすべては、この鎖と同じだと知らされました。

 そして親鸞聖人の教えを聞かせていただくようになり、「100%確実な未来がはっきりしないから、どんなものを手に入れても安心できない」「この苦悩の根元である無明の闇を一念で破っていただき、人間に生まれてよかったという生命の歓喜を獲ることこそ人生の目的である」と知らされました。

 無常を教えてくれた友人にも、小さいころ、一緒にお仏壇の前で『御文章』を拝読していた祖父にも、本当の親鸞聖人の教えに出遇い、人生の目的を知らされた喜びを伝えることが、今はもうできないことは残念です。

 しかし、大切な家族にこの喜びを知ってほしいと思っています。

 大学を卒業して、3年半の月日があっという間に過ぎていきました。後悔の人生とならないよう、無常を凝視し、光に向かって進ませていただきます。




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