青年大会|親鸞会 会員の声

医療の現場に真の光を

野田 輝男(仮名)

 中学の社会の授業で、石油はあと30年ほどで世界から消えると聞いて、たいへん驚いた記憶があります。石油や石炭は化石燃料といわれ、文字どおり、生物の死骸が、長い年月のうちに堆積し、変化したものです。

石油資源

 果てしない太古の生物の死骸のうえに、人間の生活が成り立っている。

 しかも、その資源も、今や使い果たそうとしている。

 ところが、周りを見回すと、そんな危機的状況にありながら、それを自覚して生活している人はいませんでした。中学生ながら、「人間とは何と愚かな存在なんだろうか」と思わずにおれませんでした。


 高校生になると、環境ブームのまっただ中、「地球に優しい」という言葉が流行語になりました。私はこの言葉に、非常に抵抗を感じていました。

「地球に優しい」というのは、人間が地球よりも上の存在でなければ出てこない言葉です。

 地球に優しくするのは地球環境が破壊されると、人間が生きられなくなって困るからです。環境破壊が進んでも、人間の生活に支障がなければ、問題になりません。

 その本心を隠すためにキャッチコピーをつけただけで、あまりにも見え透いた偽善と思わずにおれませんでした。

 世界には様々な環境破壊の問題がありますが、どれも人間の生活に深くかかわっているものばかりです。


 いちばんの環境問題の解決は、人間が地球上からいなくなること。

 それ以外に答えが見つかりませんでした。

 そして人間の一員であることに罪の意識を感じるようになりました。


 人間に生きる意味などあるのだろうか。人類は地球を破壊してまで、何をするために存在しているのだろう。この罪の意識から逃れるために、自分の人生を環境問題にささげるつもりでした。

 そのためには、環境とはどのようなものかよく知らねばなりません。

 そこで、大学の林学科に進学しました。

 その大学で、真実の仏法を知らされたのです。

 こんな罪悪の塊のような人間に、生きる意味があったのか。

 しかも、人間に生まれなければ絶対に果たすことのできない目的があるとお聞きし、続けて聞かずにおれなくなりました。


 現在は、病院の仕事をしています。

 医療の現場では慢性期医療よりも、救急医療のほうが職員の士気が上がるとされています。なぜでしょうか。

 救急の患者は若者も多く、また、命を救ったという実感もあるのに対し、慢性期の患者は高齢者が多く、患者が快方に向かったとしても、あと余命いくばくもない、そんな患者が多いからだといわれています。

 何のために病気を治すのか、人間の命の尊さを本当に感じている人がどれだけいるでしょうか。

 もし、命を取り留めた患者から、「生きていたくない。このまま死なせてくれればよかったのに、どうして助けたんですか」と言われたならどうでしょう。

 何のために命を延ばすのか。明確に答えられる医師や看護師は、世の中にどれだけいるでしょうか。

 医療の現場にこそ、真の人生の目的が求められています。

(注:約30年で石油がなくなるというのは当時の石油が採れる地域の経済や、投資と収益から見た採算の問題や技術的な問題など、さまざまな事情を含めてのことです。実際には、採掘可能年数も長くなっていると考えられています)



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