光に向かう青年達2|親鸞会

猛勉強は、何のため?−−私の元気のもと

親鸞会・特集・彼岸花


私は今年、ある大学の法科大学院に入学しました。法科大学院とは、司法試験合格を目指す人たちが卒業せねばならない登竜門のようなものです。

今までは5年も6年もかかって勉強してきたことを、大学院で2〜3年、勉強して身につけ法律家になるというものなので、勉強量は普通の法学部生とはケタが違います。

朝早くから自習室にこもり、授業の合間そして授業終了後も、夜遅くまで自習室で勉強という学生は、決して少なくありません。
単位も一つ落とし江波、仮進級、2つ落とせば速留年なので、テスト前ともなると、さらに目の色を変えて、皆勉強をしています。

そんな競争社会にいると、中にはついて行けないという人も、何人もいます。留年するくらいならいいのですが、精神的に追いつめられ、大学院をやめていく人、実際に心の病になる人もあります。大学では、メンタルクリニックの充実など、学校を挙げてそういう生徒がでないようにしているのです。

しかし、実際に今年に入ってからも、ちょっと前はいたのに、最近姿を見かけないという人はすでに何人もいます。法科大学院という、よりより制度を社会は選択したのですが、基本的には熾烈な受験競争の実態は変わらず、法律家になる道は消して楽ではありません。

そこまでして、なぜ法律家になりたいのか、その目的がハッキリしていないと、私自身も同じように病んでしまうことになっていたかも知れない、と思います。

周りには大変優秀な人も多く、自分の能力のなさを知らされる度に、なぜこんな世界で勝ち残っていかねばならぬのか、自分には不向きでないか、そう感じることもあります。

しかし、そんな時に、人より何倍勉強してでも必ず法律家になるんだ!と思える目的があればこそ、私は今も元気でいられるんだと確信しています。もし人生の目的を知らなければ、挫折してあっさりと別の道を考えたり、精神的に病んでしまったりしていたかも知れない……。

この競争社会の中では、挫折したり、精神的に病む人のことは決して他人事ではありません。学生時代に、親鸞会で、仏教を学ぶことができ、何ものにもかえられぬ宝物を得た、と年月が経つにつれ、知らされています。

必ず合格し、世のため人のために活躍できるように頑張ります。




目に見えぬ財産


親鸞会・特集・美瑛の空

私が親鸞会とご縁があり、仏法を聞くようになったのは大学に入ってからのことでした。

仏法にあって13年、聞けば聞くほど知らされる真実の教えの深さに驚くばかりです。仏法を知ってからのこれまでの歩みは、目には見えなくとも、私にとってかけがえのない財産となっていると感じます。

現在、あるメーカーの営業部に勤務し、仕事に追われる毎日です。

終業が深夜に及ぶこともあり、苦しいことも多いのですが、常になぜ生きるかの答えを持って日々過ごせることは、何ものにも代え難い幸せです。

二度と戻らない今の一瞬を何に使うのか。
正しい目的を知るか否かで、その積み重ねの結果には大きな違いが生じると思います。その大切な目的を知らされた今、ひたすら光に向かって進ませていただきます。

そして、育ててくれた両親に恩返しがしたいと思います。

 

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る